住職のちょっといい話

北海道からお届けする住職のちょっといい話

いのちの声…

2006-10-29 22:43:23 | 思うこと…
 金 金 金
 大人たちは今日も醜く
 玉を弾く

 こんなことをするために
 生まれてきたのか

 金 金 金
 大人たちは今日も空しく
 玉を弾く

 子供の頃は未来のこんな自分の姿を
 想像しただろうか

 金 金 金
 大人たちは今日も悲しく
 玉を弾く

 いつになったら自分の
 命の大切さに気付くのだろうか
 

 パチンコ店の風景が写された写真と共に、この詩は描かれていました。

 今年5月に真宗大谷派北海道教区、青少年部門の企画した研修会に「アンダー19の集い」というのがありまして、19歳以下を対象に「いのちの声を写う!!」というテーマで実施されました。

 文集になったソレは、コピー用紙に白黒印刷しホッチキスで止めたに過ぎない粗雑なものであるにも関わらず、その中身は鋭い感性によって表現され、自らの思考を言葉にした、とても素敵なものでした。

 子供たちの眼に大人はどう映っているのだろう?改めて考えさせられました。

 「勝ったか負けたか、損したか得したか、思いどうりになったかならないか」死ぬまで、そのことに掛かり果てる姿は「醜く、空しく、悲しい」と教えられたような気がします。

 「いのちの声」は「醜く、空しく、悲しくは終わらせたくはない」という叫びなのかも知れませんね…

 

 

蝦夷富士(羊蹄山)…

2006-10-24 01:04:56 | 蝦夷富士(羊蹄山)
 私は決して自然派(ナチュラリスト)ではありません!

 むしろ自然は苦手なんですが、気になる山がありまして…

 10年程前に、太平洋戦争末期に沖縄県立第一高等女学校・沖縄師範学校女子部の生徒と職員とで組織された学徒看護隊、通称「ひめゆり」で生き残ってくれた方と出会いました。

 ちょっとした縁で車に乗せてお連れしたところ、「すばらしい」と言って、しばらくその場を離れず、じっと眺めていました。

 何を思い考えていたのかは分かりませんが、その時の光景が焼きついています。

 この道を通る度に思い出すので、写真に残すことにしました。

 四季を通じて、いろいろな顔をする蝦夷富士を紹介します。

 写真は10月15日、11時44分に写しました。

 

「死体は切なく語る」…

2006-10-17 11:15:43 | 読書…
 何ヶ月か前ですが、「死体は切なく語る」と題された本を見かけ、吸い寄せられるように購入しました。

    「死体は切なく語る」 上野正彦著 東京書籍

 元東京都観察医務院長、医学博士が2万体の死体を検死し思わず涙したという出来事が綴られた本でした。

 筆者は、30年にわたる監察医時代の忘れられないシーンとして、数件の事例を紹介しています。

 どれも人間とは斯くも悲しいものだと知らされることばかりでした。

 筆者は、あとがきに「私は多くの死を書き続けることによって、命の尊さ、いかに生きるべきかを訴えていきたいと思っている。」と語っています。

 しかし、私の読後感としては「命の尊さ、いかに生きるべきか」ということは伝わってこなかった気がします。

 それは、人間の悲惨さは充分に言葉にしながら、筆者自身の思索は言葉足らずの感があるのです。正直もの足りなさを感じました。

 今思えば、この思索の深い部分をあえて言葉にしなかったのではないかと考えています。言葉にすることによって、安っぽくもなり、本質から離れていく故に、その深い部分を読者に委ねたのではないだろうか?

 他者からは答えを貰うのではなく、問いを貰うのでしょう。そして、自らが応えていくのでしょうね。

 

14日…

2006-10-14 14:28:20 | 思うこと…
 今日14日は、久しぶりの法話会でした。

 講師は、真宗大谷派北海道教務所という北海道の大谷派のお寺の寺務所のような所に勤務しているSさんでした。私の後輩であり善き仕事仲間です。

 テーマは「白昼の闇」でした。

 「白昼に闇などない、闇はむしろ見えない場所にあるのだ、それは我々の目に映らない木の根の奥にあるようなものなのです。それを「いのち」と言っていい。人は煩悩(貧欲、瞋恚、愚痴)という質を保持したまま、娑婆に生を受け自我妄執のなか生きるのです。自我妄執と知らされる<はたらき>に出会わなければ、自我妄執と知りそれを破り超えることは起きないのです。煩悩具足、成就の凡夫という目覚めこそ確かな生の獲得なのです。苦悩の娑婆にあって勇気と眼(まなこ)を賜るのです。」

 私も勇気を貰いました。

 ありがとう!

言霊(ことだま)…

2006-10-09 17:14:38 | 読書…
 ずいぶん前に読んだ本ですが、このブログのコメントをみて思い出したので紹介します。

  言霊(ことだま)      井沢元彦著 祥伝社
 「言霊の国」解体新書  井沢元彦著 小学館文庫
 
 「この国は言霊に毒されている」井沢元彦氏の言葉です。

 言霊(ことだま、ことたま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。
 声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 そんな迷信と思ってはいけません!現代でも病院に4号室や9号室が無いように、または受験生に「落ちる」や新婚さんに「別れる」などシチュエーションによってタブーしされる言葉があるのは、言霊思想が背景にあります。

 その最たるのが「言葉換え」や「言葉狩り」です。

 例えば、差別用語を無くせば差別が無くなるような錯覚です。

 ひどい時には事実まで曲げてしまうことがあります。

 言葉をすりかえて問題をうやむやにする手法も巧みに言霊思想を利用しているのでしょう。

 これは日本人独特の思想なんだそうな…

 ちなみに、念仏は呪文でも言霊でもありませんけどね>井沢さん

 むしろ、それを破っていく「はたらき」なんですけど…


中間ライン…

2006-10-05 00:14:27 | 思うこと…
 今年の7月に日本海にミサイルが落とされた時、このブログで私が僧侶の仲間と「国境、国益、国策」について学んでいることを記しましたが、その続編です。

 根室沖の中間ラインにおいて銃撃、拿捕された事件は船長の帰国もあってかタイムリーな話題になっています。

 そこで、千島列島の歴史を国境線から考えてみました。
 
 当たり前の話ですが、国が国であることを意識するためには相手国が必要です。1855年、日本とロシアは日露和親条約(下田条約)を結び択捉島とウルップ島の間を国境線としました。これはロシアが日本との友好関係と貿易を重視したためといわれています。

 1875年、樺太・千島交換条約を結び、樺太をロシア領とし国後島からシュムシュ島までを日本領としました。

 1905年、日露戦争後ポーツマス条約により北緯50度以南の南樺太が日本領となりました。

 そして長い戦争の末、1945年ポツダム宣言受諾、9月2日に降伏文章に調印し停戦が成立しました。ソ連は南樺太占領後、8月28日から9月1日までに国後・択捉・色丹、3日から5日に歯舞群島を直接占領しました。

 1952年サンフランシスコ講和条約発効により日本は独立を回復しますが、条約に従い南樺太・千島列島の領有権を放棄します。しかし、このとき千島列島の範囲は明確にされませんでした。しかもこの条約にソ連は調印していません。

 日ソの外交関係が回復するのは1956年の日ソ共同宣言でしたが、国後・択捉の帰属に対して意見の一致が得られなかったので平和条約の締結には至りませんでした。

 1973年、日ソ共同声明において日ソ間の諸問題が解決した後、平和条約を締結することが合意されました。

 1991年、ソビエト連邦は解体しロシア連邦として独立し現在に至ります。

 さて、150年程の歴史ではありますが、国境線の移動を感じて頂けましたでしょうか?その影に翻弄され続けた人々がいます。

 元島民であり、ロシアの民であり、アイヌ民族の人々です。1700年代後半は国後・択捉と日露共にアイヌ民族と交易をしていましたが、1789年のクナシリ・メナシの戦いを契機に和人によるアイヌ民族に対する支配が決定的となる史実も残されています。

 いずれにしても、現在は日本から見れば中間ラインでも、ロシアから見れば国境ラインであることは明白なのでしょう。

 政治的意図が分からないでもありませんが、いつの世も線引きに翻弄され、傷つき、いのちを失う人がいるのが何とも…

 1943年カイロ宣言、同年テヘラン会談、1945年ヤルタ会談。

 いつも国の問題は人間のいないところで物事が決まっていくのですね…