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『孟子』巻第十四盡心章句下 二百二十九節、二百三十節、二百三十一節、二百三十二節

2019-08-29 10:29:26 | 四書解読
二百二十九節
孟子は言った。
「私は今になってはじめて、人の身内を殺すことが、どんなに重大なことか分かった。もし人の父を殺したとしたら、人も亦た私の父を殺すだろうし、人の兄を殺したとしたら、人も亦た私の兄を殺すだろう。そうなれば、自分が身内を直接殺したのではなくても、自分が殺したのと大した変わりはない。」

孟子曰、吾今而後、知殺人親之重也。殺人之父、人亦殺其父、殺人之兄、人亦殺其兄。然、則非自殺之也、一閒耳。

孟子曰く、「吾今にして而る後、人の親を殺すの重きを知るなり。人の父を殺せば、人も亦た其の父を殺し、人の兄を殺せば、人も亦た其の兄を殺す。然らば、則ち自ら之を殺すに非ざるも、一閒のみ。」

<語釈>
○「一閒」、自分と他人との間に、一人を隔てるだけ、ということから、両者を比べて大差のないことを言う。

<解説>
この節の内容は儒教の最も特徴的なものである。同じ人殺しでも自分の親を殺すのは最も罪が重いとされている。この考えは二千年以上の長きにわたって、わが国でも保たれてきた。最近まで、我が国の刑法でも、親殺しは他人を殺すより罪が重かった。今は憲法による人は全て平等であるという考えから、刑法も改善され同じ扱いになっている。人の親を殺せば、人も自分の親を殺すことになり、これは自分が殺したのと同じく罪が重いことを述べ、戒めているのである。それは又逆に范祖禹が、「此を知れば、則ち人の親を敬愛し、人も亦た其の親を敬愛す。」と述べているように、人を敬愛する心の大切さを説いているのである。

二百三十節

孟子は言った。
「昔、国境に関所を設けたのは、暴乱を防ぐためであったが、今の関所は出入りの人や物に税金をかけて民に暴虐を行う為のものである。」

孟子曰、古之為關也、將以禦暴。今之為關也、將以為暴。

孟子曰く、「古の關を為るや、將に以て暴を禦がんとす。今の關を為るや、將に以て暴を為さんとす。」

<語釈>
○「古之為關也~」、趙注:古の關を為るは、将に以て暴亂を禦ぎ、非常を譏閉せんとす、今の關を為るは、反って出入の人に征税し、将に以て暴虐の道を為さんとす。

<解説>
君主の善政の一つとして取り上げられるのが、「關市は譏して征せず」である。すなわち、人や物の出入は調べはするが税金はかけないということであって、当時これは非常に大きな問題であったようだ。

二百三十一節
孟子は言った。
「自分自身が道を行わなければ、身近な妻子さえ道を行わさせることはできない。正しい道でもって人を使わなければ、妻子さえ言いつけ通りにさせることはできない。」

孟子曰、身不行道、不行於妻子。使人不以道、不能行於妻子。

孟子曰く、「身、道を行わざれば、妻子にも行われず。人を使うに道を以
てせざれば、妻子にも行わるること能わず。」

<解説>
先ずは己が道を行う、そうして初めて人を教え導くことが出来るということだ。趙岐の章指に云う、「人を率いるの道は、躬ら行い首と為る、故に論語に曰く、其の身正しからざれば、令すと雖も従わず、と。

二百三十二節
孟子は言った。
「営利に用意周到な者は、それなりに蓄えているので、凶年になっても命を失うことはない。人間の本性である徳を養うことに、周到にして自ら努めようとする者は、どんな邪な世に遭遇しても、その志を乱されることはない。」

孟子曰、周于利者、凶年不能殺。周于德者、邪世不能亂。

孟子曰く、「利に周き者は、凶年も殺すこと能わず。徳に周き者は、邪世も亂すこと能わず。」

<語釈>
○「周于利者~」、趙注:利に周達して、苟も得るの利を營めば、凶年と雖も之を殺すこと能わず、徳に達して、身ら之を行わんと欲すれば、邪世に遭うと雖も、其の志を亂すこと能わず。

<解説>
何事も用意周到にすることが大切であり、それは物事だけでなく、心の修養に於いても同じであり。それがきちんと出来るということは、志が堅いということで、色々な誘惑にも乱されることはないということである。