gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『孟子』巻第八離廔章句下 百十七節、百十八節

2018-06-21 10:31:08 | 四書解読
百十七節

孟子は言った。
「君子が凡人と異なる点は、その本心を失わずに保ち続けるところにある。そして君子は仁と禮とを修めてその本心を保つのである。仁者は人を愛し、礼儀正しい人は他人を敬う。人を愛する者は人からも恒に愛され、人を敬う者は人からも恒に敬われる。今、ここに一人の人がいて、その人が自分に対して無理非道なふるまいをしたとしても、君子たる者は、その人を非難するのではなく、必ず、私が仁に欠けており、礼を失していたからに違いない。そうでなければ、こんなことが起こるはずがない、と自らを省みるのである。だが反省してみても、仁も礼も何ら欠ける所がないのに、やはり無理非道なふるまいが続いたとしたら、君子たる者は、必ず振り返って、真心が足りなかったのだ、と反省する。だが反省して、真心を尽くしていると思えるのに、やはり無理非道が続くようなら、そこではじめて、君子は、この男はでたらめな人間なのだ。これでは鳥や獣とどこが違うのだ。鳥や獣では非難しても仕方がない、と断定する。このようであるから、君子には生涯を通じての憂いはあっても、偶然起こる一時的な患いなどはない。その君子の生涯を通じての憂いというのは、舜も人間だ、私も人間だ。だが舜は天下に模範を示し、後世に伝えたが、私は未だに単なる村人にしか過ぎない、というような自分の至らないことへの憂いである。これこそが本当に憂うべきことである。それならこの憂いにはどう対処すればよいのだろうか。ほかでもない、舜のようになることだ。そうなれば、もはや心を煩わされ患うることはない。なぜなら仁に悖ることはなさない、礼に悖ることは行わないのであって、偶然起こる一時的な患いなどあっても、君子はそんなこと少しも患いなどとは思わないのである。」

孟子曰、君子所以異於人者、以其存心也。君子以仁存心、以禮存心。仁者愛人、有禮者敬人。愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之。有人於此、其待我以横逆、則君子必自反也。我必不仁也、必無禮也。此物奚宜至哉。其自反而仁矣。自反而有禮矣。其横逆由是也、君子必自反也。我必不忠。自反而忠矣,其横逆由是也、君子曰、此亦妄人也已矣。如此則與禽獸奚擇哉。於禽獸又何難焉。是故君子有終身之憂、無一朝之患也。乃若所憂則有之。舜人也、我亦人也。舜為法於天下、可傳於後世。我由未免為鄉人也。是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣。若夫君子所患則亡矣。非仁無為也。非禮無行也。如有一朝之患、則君子不患矣。

孟子曰く、「君子の人に異なる所以の者は、其の心を存するを以てなり。君子は仁を以て心を存し、禮を以て心を存す。仁者は人を愛し、禮有る者は人を敬す。人を愛する者は、人恒に之を愛し、人を敬する者は、人恒に之を敬す。此に人有り、其の我を待つに横逆を以てすれば、則ち君子必ず自ら反するなり。『我必ず不仁ならん、必ず禮無からん。此の物奚ぞ宜しく至るべけんや。』と。其の自ら反して仁なり。自ら反して禮有り。其の橫逆由ほ是のごとくなるや、君子必ず自ら反するなり。『我必ず不忠ならん。』と。自ら反して忠なり。其の橫逆由ほ是のごとくなるや、君子曰く、『此れ亦た妄人なるのみ。此の如くんば、則ち禽獸と奚ぞ擇ばんや。禽獸に於いて又何ぞ難ぜん。』是の故に、君子には終身の憂い有るも、一朝の患い無きなり。乃ち憂うる所の若きは則ち之れ有り。『舜も人なり、我も亦た人なり。舜は法を天下に為し、後世に傳う可し。我は由ほ未だ鄉人為るを免れざるなり。』是は則ち憂う可きなり。之を憂えば如何にせん。舜の如くせんのみ。夫の君子の若きは、患いとする所は則ち亡し。仁に非ざれば為す無きなり。禮に非ざれば行う無きなり。一朝の患い有るが如きは、則ち君子は患いとせず。」

<語釈>
○「存心」、趙注は、「存」は「在」なり、君子の心に在るのは、仁と禮なり、と解する。伊藤仁斎と中井履軒は、存とは操りて舎かざる意、乃ち本心を失わず保ち続けること、と解す。どちらを採用するか悩む所であるが、後説を採用しておく。○「横逆」、朱注:横逆は、強暴にして、理に順わざるを謂う。無理非道の意。○「不忠」、この「忠」は忠臣などの「忠」ではない。字義本来の、まごころ、まことなどの意味。○「妄人」、でたらめな人。

<解説>
人間、生涯を通じて道を全うすることが出来るか、という生き方の問題こそ、本来患うべきことで。日常の枝葉末節に煩わされてはいけない。そのような境地に達するには、仁を為し、礼を行うことに勉めることである、というのがこの節の趣旨であろう。

百十八節

昔、禹や稷は太平の世に生まれたにもかかわらず、人民のために奔走し、公務に励み、しばしば我が家の門前を通り過ぎながら、中に入って休もうとはしなかった。孔子は彼らを称賛して賢者であると言った。孔子の弟子の顔回は乱世の世に生まれ、裏長屋に住み、ひとわんの飯に、一杯の飲み物という生活で、普通の人には耐えられないような貧乏な生活を送っていたが、それを改めず、自分の道を楽しんでいた。孔子は彼を称賛して賢者であると言った。これについて孟子は言った。
「禹・稷・顏回もそれぞれの行動は異なっているが、その根本の道は同じである。禹は治水の責任者であったので、河川の氾濫などで天下に溺れる者が一人でもいれば、自分が溺れさせたかのように責任を感じた。稷は農耕の責任者であったので、天下に一人でも飢える者がいれば、自分が飢えさせているかのように思った。このように溺れたり飢えたりしている者がいるのは自分の責任であると思っていたので、家にも寄らずに忙しく奔走していたのである。禹・稷・顏回の三人はたとえ立場を入れ替えたとしても、やはり同じことをしたであろう。たとえば同室の者が喧嘩を始めたら、これを引き止めるためには、髪を振り乱し、冠の紐を結ぶ暇もなく、仲裁に入っても差支えはない。だが村で喧嘩が始まった時、村には責任者がいるのに、髪を振り乱し、冠の紐も結ばずに仲裁に駆けつけるのは、本筋から離れており、家の戸を閉じて引っ込んでいるほうがよいのである。」

禹稷當平世、三過其門而不入。孔子賢之。顏子當亂世、居於陋巷、一簞食,一瓢飲。人不堪其憂、顏子不改其樂。孔子賢之。孟子曰、禹稷顏回同道。禹思天下有溺者、由己溺之也。稷思天下有飢者、由己飢之也。是以如是其急也。禹稷顏子易地則皆然。今有同室之人鬬者、救之、雖被髮纓冠而救之、可也。鄉鄰有鬬者、被髮纓冠而往救之、則惑也。雖閉戶可也。

禹・稷は平世に當りて、三たび其の門を過ぐれども入らず。孔子、之を賢とす。顏子、亂世に當りて、陋巷(ロウ・コウ)に居り、一簞の食、一瓢の飲のみ。人は其の憂いに堪えざるも、顏子は其の樂しみを改めず。孔子、之を賢とす。孟子曰く、「禹・稷・顏回は道を同じくす。禹は天下に溺るる者有れば、由ほ己が之を溺らすがごとしと思えり。稷は天下に飢うる者有れば、由ほ己が之を飢えしむるがごとしと思えり。是を以て是の如く其れ急なり。禹・稷・顏子は地を易うれば則ち皆然り。今、同室の人の鬬う者有れば、之を救うこと、被髮纓冠して之を救うと雖も、可なり。鄉鄰に鬬う者有りて、被髮纓冠して往きて之を救わば、則ち惑いなり。戸を閉づと雖も可なり。」

<語釈>
○「三過」、言葉通りの三回ではなく、しばしばの意。○「顏子」、孔子の弟子の顔回。○「陋巷」、うらながや。○「被髮纓冠」、被髮は、髪を束ねず振り乱した状態を言う、纓は冠の紐の意で、纓冠、諸説有るが、紐を結ぶ暇もないという意味に解釈しておく。

<解説>
人にはそれぞれ立場や職責があり、それによって実際の行動は異なるが、「禹・稷・顏子は地を易うれば則ち皆然り。」と述べられているように、賢者はその職責を入れ替えたとしても、同じように人民の為に職務を全うする。それは守るべき根本の道が同じであるからである。