gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

『呂氏春秋』巻第二十四不苟論

2018-06-06 10:19:55 | 四書解読
巻二十四 不苟論

一 不苟

一に曰く。賢者の事うるや、貴ばると雖も苟も為さず。聽かると雖も自ら阿らず。必ず理に中りて然る後動き、必ず義に當りて然る後舉ぐ。此れ忠臣の行いなり。賢主の說ぶ所、而して不肖の主の其の說ばざる所は、其の聲を惡むに非ざるなり。人主、不肖なりと雖も、其の忠臣の聲を説ぶは、賢主と同じきも、其の實を行うは、則ち賢主と異なる有り。異なるが故に其の功名禍福も亦た異なる。異なるが故に子胥、闔閭に説ばれて夫差に惡まれ、比干は生きて商に惡まれ、死して周に説ばる。武王、殷郊に至り、係墮す(「係」は糸や紐をかける意、「墮」はこぼつ意、故に鼻緒の紐が切れたと解す)。五人、前に御し、肯て之を為す莫し。曰く、「吾の君に事うる所以の者は係に非ざるなり。」武王、左に白羽を釋き、右に黃鉞を釋き、勉めて自ら係を為す。孔子、之を聞きて曰く、「此の五人の者の王の為にする所以の者は佐なり。不肖の主の安んぜざる所なり。」故に天子にも細民に勝たざる者有り、天下にも千乘に勝たざる者有り。秦の繆公、戎の由余を見て、說びて之を留めんと欲す。由余肯ぜず。繆公以て蹇叔に告ぐ。蹇叔曰く、「君以て內史廖に告げよ。」內史廖對えて曰く、「戎人は五音と五味とに達せず。君、之を遺るに若かず。」繆公、女樂二八人と良宰とを以て之に遺る。戎王喜び、迷惑大亂し、酒を飲み、晝夜休まず。由余驟々諫むれども聽かず。因りて怒りて繆公に歸すなり。蹇叔、內史廖の為す所を為す能わざるに非ざるなり。其れ義として行わざるなり。繆公能く人臣をして時に其の正義を立てしむ。故に殽の恥を雪ぎ、而して西のかた河雍に至れるなり。秦の繆公、百里奚を相とす。晉は叔虎を使いとし、齊は東郭蹇を使いとし、秦に如かしむ。公孫枝、之を見んと請う。公曰く、「客を見るを請うは、子の事か。」對えて曰く、「非なり。」「相國、子を使しむるか。」對えて曰く、「不らざるなり。」公曰く、「然らば則ち子の事とするは子の事に非ざるなり。秦國は僻陋の戎夷、事、其の任に服し、人、其の事を事とするも、猶ほ諸侯の笑いと為らんことを懼る。今子、子の事に非ざるを為す。退け。將に而の罪を論ぜんとす。」公孫枝出でて、自ら百里氏に敷す。百里奚、之を請う。公曰く、「此れ相國に聞く所か。枝、罪無くば奚ぞ請わん。罪有らば奚ぞ請わん。」百里奚歸り、公孫枝に辭す。公孫枝徙りて、自ら街に敷す。百里奚、吏をして其の罪を行わしむ。分官を定むるは、此れ古人の法を為す所以なり。今、繆公、之に鄉う。其の西戎に覇たること、豈に宜ならずや。晉の文公將に鄴を伐たんとす。趙衰、鄴に勝つ所以の術を言う。文公之を用う。果して勝つ。還り、將に賞を行わんとす。衰曰く、「君將に其の本を賞せんとするか、其の末を賞せんとするか。其の末を賞せば、則ち騎乘の存し、其の本を賞せば、則ち臣、之を郤子虎に聞けり。」文公、郤子虎を召して曰く、「衰、鄴に勝つ所以を言う。鄴既に勝つ。將に之を賞せんとするや、曰く、『蓋し之を子虎に聞けり。請う子虎を賞せよ。』」子虎曰く、「之を言うは易く、之を行うは難し。臣は之を言う者なり。」公曰く、「子、辭すること無かれ。」郤子虎、敢て固辭せず。乃ち受く。凡そ賞を行うは其の博きを欲す。博ければ則ち助多し。今、虎は親しく言う者に非ず、而も賞猶ほ之に及べり。此れ疏遠の者の能を盡くし智を竭くす所以の者なり。晉の文公の亡すること久しく、歸りて大亂の餘に因り、猶ほ能く以て霸たりしは、其れ此に由るか。

二 贊能


続きはホームページで、http://gongsunlong.web.fc2.com/