20日の講演風景がメールで・・。
CATVの取材カメラが2台、ずーと廻っています。2時間通しで。
僻地を含む多可町ですので、各戸にケーブルが入っています。
10000近い戸数のすべてに、防災や街の出来事を流すことを目途に出来たTVネットです。 電話で、反応が何件かありました。
知友の2人から感想も聞けました。 まあまあだったようです。
atelierでは、100号を進めました。 でも、画が進んだとは言えません。 「白」で、画面の半分近くを消して行く作業になってしまいましたから、画面自体は後退したような感じです。
制作の過程では、時には画面全体を消していくようなこともしばしばあるのです。 これも「描く」作業なのです。 「絵描き」は誰でも、描く時間の経過の中で、想いを収斂させて往くものですから、描こうと最初に思っているモノから出来上がった作品が大きく変わっていくものなのです。
つまり、「最初の思い」と「完成した作品」の落差のようなものが、作品だとさえ思うのです。
最近特に、この想いを深めています。 描き始めから、刻々変わっていく「描き手・画家」の心の推移を留めた画面を作品と云うのではないかと。
この作品は難産のようです。 昨日まで進めていた100号に、2時間ばかり描き繋いで、広い部分が「消しとられて」行ったのです。
自宅に帰って、葉書絵を10枚ばかり手慰みで・・。