常楽院

福島県南会津町 真言宗

宗教・自分なりの納得

2017-07-08 | Weblog
 宗教とは、宗教の役割とは・・・・・
 寺に嫁ぎ数十年、檀家さんやお参りの方々との出会い、葬儀や法要の裏でのお手伝い、境内の環境整備、本堂の掃除や花の取替えなど、など・・・・
 檀家さんや参拝にこられた方々が、ほっとしたり、心が慰められたり、落ちつける、そんな空間が出来たらいいな、それが従業員の仕事だと思い住職と共に続けてきました。
 
 それと一緒に、宗教についても考えてきました。
 本を読み、人の話を聞き、写経や御詠歌に取り組んだり。中途半端に解かったと思うと、ますます解からなくなってしまいました。

 数年前ある方と出会い、ますます解からなくなってしまいました。
 その方は私とは違う宗教を持っていました。そして、真っ直ぐにその宗教に帰依していました。
 私は結婚式や葬儀に出席する時は、その方の宗教に対して敬意を払い、賛美歌を歌い、神様や仏様に手を合わせてきました。でもその方は、自分の帰依している以外のものに対しては手を合わせることはしない。そのような所にも行かないし、出席もしない。頑なぐらいしっかりとした宗教感を持っていました。
 そう言えば、本堂で檀家さんの葬儀が執り行われた時、亡くなられた方の息子さんのお嫁さんが「私は山門をくぐる事は出来ない。」とおっしゃって、門の外で見送られたことがありました。
 そう言うものなんだろうか、宗教ってなんなんだろう・・・

 そんな中、ダライ・ラマ14世が著した「思いやり」と言う本に出会いました。
 
 この世に存在している宗教はすべて、私たち人間に役立つものになっています。私たちが困難や問題に直面し、絶望して何の手段も講じることができなくなったとき、宗教は私たちが生きていく希望を求め、救いの道を見つけ出すことのできる拠り所となってくれるのです。

 いろいろな国を訪問するとき、私自身は仏教徒ですが、他のさまざまな宗教もそれぞれ多くのたちのために役立っているのですから、すべての宗教に対して敬意の念をもち、すべての宗教に対して尊敬の念をもち、賞賛の気持ちを表すように心がけています。

 すっと心に入ってきて、ふに落ちました。それぞれいろいろな信じ方があり、私は私の信じ方で仏様に手を合わせればいいんだな。心が少し軽くなりました。
 でも、いろいろと難しい所があり、繰り返し読んでいるのですが、理解できない所も多々あります。
 

 今年は花が遅い。昨年は今頃紫陽花が見頃を過ぎ蓮の花が咲き始めたのに、今年は紫陽花がやっと色付きはじめ、蓮の蕾はまだ見えていません。
 例年遅いと言っている君子欄も今頃割いている。ゆり、あやめ、孔雀サボテンなども咲いています。全国的に遅いのかな?それとも我が家が遅すぎるのかな。早くても遅くても花はいいなー。