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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

山の贈り物 19.12.12

2019-12-12 19:26:05 | 野菜作り
 皆さんは、「森は海の恋人」という言葉を聞いたことがあるだろうか。気仙沼の牡蠣養殖業者の畠山さんが広めたと思うが、豊かな森=山、落葉樹の広がる森は、海の生物を育てるという意味である。もう少し詳しく言うと落葉樹が堆積し、腐葉土となる。そこに雨が降り、有機物が川に流れ、やがて海に至る。その有機物をプランクトンが食べ、それを牡蠣が食べる。また、化学肥料などまかった昔、百姓は畑の肥料として人糞(農家は非農家の人糞を有償で分けてもらっていた)あるいは緑肥(里山の木の葉を土の中にすき込む)や落ち葉を使っていた。山と農地さらには海は、今より遙かにつながっていたのである。

 さて、私はこの時期に行う作業がある。すなわち、ほぼ毎日登る城台山の帰り登山道にまわりの木々から落ちてくる葉を拾い集め、それを畑まで運び、堆肥となるよう囲った中に積み重ねていく。そして、夏前に切り返しを行い、11月頃今や堆肥となった落ち葉を畑一面に撒くのである。しかし、3つの囲いはあるが、これで撒ける面積は半分程度しかない。まあそれでも、もっぱら下ろす時の負荷がトレーニングになるので、一石二鳥だと思っている。


 ここは一心寺の直ぐ上 あまり積もっていない。もっと山頂に近い所から収集している

 昨年までは肥料袋だったが、今年からこの袋にした

 一心寺の直ぐ下ここまで車で入れるので、ここに袋を一時置いておき、後で取りに行く
 この広場にも沢山の落ち葉があったが、展望を良くするため木が切り払われ、少なくなってしまった
 
 ベニヤで囲った中に落ち葉を入れる 水をかけ、窒素肥料等をばらまいておく 上はブルーシートで覆う
 切り返しや撒くときにカブトムシの巨大な幼虫が何匹も出てくるが、収集時葉に小さな幼虫が付いているのであろうか
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冬期通行止め直前の高屋山 19.12.9

2019-12-10 19:42:45 | 山登り
 根尾越波に至る道は大須で12月13日から通行止めとなる。この先にある大白木山、高屋山、屏風山などは157号線が随分前から通行できないので登れなくなる。その最後のチャンスに未踏の高屋山(1136m)にEさんとYさんとともに登ってきた。現地に向かう途中、中腹あたりまで冠雪した能郷白山の雄姿が目に飛び込んでくる。大須からいよいよ折越峠の登りにかかる。気温は1度、幸い凍結はしていない。道中鹿、猿、カモシカの親子を見る。カモシカはじっとこちらを見ている。

 越波の手前に車を停め少し戻る。登り口は折越谷の小さな沢で少し登ると左手の尾根に取り付く。このルートには黄色のテープが残置されていた。いきなりの急登、しかもつかまる木も少ない。苦労して尾根上に出る。尾根に出ても黄色のテープは続いている。さらに古い赤色の残置テープもある。小一時間ほど登ると比較的新しい伐採地帯に出る。間伐をした後なのか、行く手を阻む。ここで黄色のテープは終わった。作業者のためのものであるのかもしれないと思った。

 今回藪漕ぎはなかったが、ここの通過に苦労した

 伐採帯を過ぎ、やっと歩きやすくなってきた。


植林帯を過ぎ、葉が全て落ちた明るい道は例え急な道でも気分が明るくなる。800m付近から雪が見られるようになり、直近の土日に登ったと思われる足跡が雪の上に残っている。後方には三角形の屏風山が見えてくる。山頂近くになると登りも緩やかになり、低い丈の笹が現れる。3時間と少しで山頂に到着した。

山頂からは反射板のある大白木山が見える。この二つの山を縦走する登山者も多いが、葉のある時期は藪に苦しめられる。


 山頂では、E氏の作る長崎ちゃんぽんをご相伴にあずかる。風はなく穏やかな日だったが、じっとしているとやはり寒い。こんな時は鍋物で暖まるのが最高の贅沢。1時間あまりの休憩後、下りにかかる。新人のYさん、登りも遅かったが、下りも遅かった。辛抱強くEさんがサポートしている。なかなか真似できないことだと思う。正面に樹間から屏風山が見えてくる。

最後は、赤の残置テープにより登り地点よりも下の尾根から沢に降り立った。こちらの方が正解のルートだった。予定よりも随分遅くなったので、家内に連絡した後、谷汲温泉に浸かった。

 登山口8:20→伐採帯9:20→山頂11:30~12:40→登山口15:15

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中村哲医師の受難 19.12.7

2019-12-07 19:36:43 | 面白い本はないか
 日本の寄付文化(19.4.22)で書いたとおり、海外と国内向けに少額の寄付をしている。海外向けの一つは、ペシャワール会への寄付で、寄付を始めて15年くらいになる。その会の現地代表の中村哲医師が銃撃され、亡くなった。アメリカ、ソ連など大国の干渉と不干渉により、内戦、戦禍が絶えない国になったアフガニスタン。もともとはハンセン病の患者を支援するためパキスタンのペシャワールを中心に活動していた。しかし、医師では救えない戦禍と貧しさがパキスタン、その隣のアフガニスタンには充満していた。そこで中村医師は、住民の生活を改善するため、干ばつなどの影響を受けて不毛の地になっていたアフガニスタンでまず井戸を掘り、そして水路建設にまで乗り出した。聴診器の代わりに建設重機を駆使しながら、水路を建設。そして地域の住民を雇用し、建設を進めた。そうした努力により、荒れ地は緑の大地に再生されていった。

 アフガニスタンは麻薬の原料となるケシ栽培で悪名が高い。ケシは農業作物よりも収益性が高く、普通の農業に絶望した農民が栽培する。これをテロ組織が最大の資金源とする。この流れを断ち切り、平和を同国にもたらすことが中村氏の夢であったと思う。しかし、10年前には農業の支援に携わっていた青年が拉致、殺害され、現地は中村氏だけが駐在する状態となっていた。そしてついに、ご本人まで銃撃されて亡くなったという悲報に接することになった。

 日本のODA政府開発援助は、比較的支援される国の評価が高いと聞く。しかし、カルザイ政権の時も言われたが、現地では汚職が蔓延し、なかなか住民のレベルまでその恩恵が行き届かない。そうした中で、NGOの中村医師=ペシャワール会の果たしてきた役割は、直接住民の生活の向上に役立ってきた。それでも殺されてしまう現地の複雑な状況は私たちの想像を遙かに超える。私たちは、時代が進むにつれて貧困がなくなり、その貧困が原因の戦争が収ると学校や本で習ってきた。しかし、どこを見てもそんな状況にないことは、ニュースを見ているだけで容易に理解できる。 
 
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我が町の消防団 19.12.1

2019-12-03 20:21:25 | 地域のこと他
 12月1日(日)放射冷却により0度近くまで下がった中、我が揖斐地区の上ミ野地区を火元とする消防機動演習があり、見学させてもらった。この演習は、年4回各地区の持ち回りで行われている。消防操法大会(5月~8月)、規律訓練とともに地区を火災等から守るため大切な行事である。午前7時頃、サイレンが鳴り、揖斐川町の全ての消防団が出動となる。一番早く到着するのが、常設消防。プロであるから実に手際よく、火元に至る。

 婦人防火クラブと区長さんたち

 参加する消防車には、消防ポンプ車と可搬ポンプを乗せた消防車の二種類がある。現在のポンプ車は、水のタンクを備えており、初期消火に対応できる。

 左可搬ポンプ車、右消防ポンプ車

ほとんど地区には数カ所の消火栓があり(かつては自然の川から汲み上げていた)、ここにホースをつなぐ。可搬ポンプを何台もつないで、火元に至る訓練も行われた。水利と火元が離れている場合、例えば山火事にはこうしたことが必要となる。一斉放水の後、撤収。その後、全員集合して代表区長、町会議員の挨拶がある。

 最初の放水

 一斉放水

 さて、消防団にとって最大の悩みは、新しい団員がなかなか集まらないことである。揖斐分団の定員は40名、現員は30名。我が地区では4名の定員で現員が2名。該当者が少ない(高校を卒業すると、進学、就職のため家を離れることが多い。さらに消防団は大変だという思い込みもある)こともあり、従来の30歳代までを40歳代までに拡大したばかりだが、それでも苦戦している。今年の4月、長く務めてきた2名が退団し、あわや現員1名という危機があった。幸い、新規に1名確保することができた。

 分団長によれば、現員では操法大会の参加が難しくなっているという。しかし、若者の数は減るばかりで、現員を確保することさえ難しくなっている。消防団の役割がわからない住民には、消防団がなくても常設消防(消防署)があるからいいではないかと思うことだろう。しかし、大規模な火事、災害、捜索には常設消防のみで対応することは不可能である。ではボランティアと言っても、すぐには集まらない。そんな時、ある程度規律を保った組織集団が必要となる。私が経験した捜索では、約一日揖斐川を徒歩で行方不明者を捜し回った経験がある。しかし、人口減が進む中で、今までのやり方では消防団は維持できない。山間部のように60歳代まで延長するか、任期を現在の最短2年から延長するか、さらには少人数でも運営できるように工夫するかであろう。
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