城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

ドイツの戦い、日本の戦い 19.12.26

2019-12-26 20:42:56 | 面白い本はないか
 今日の一日は、城台山への散歩(8kgの荷物をお供に)そして八朔の整理、読みかけの大木毅著「独ソ戦ー絶滅戦争の惨禍」(岩波新書)を読んだ。昼から八朔を親戚に配りに、愛車のワゴンRで出かける。八朔の代わりに大量のキャベツ(秋から冬にかけてキャベツを栽培し農協に卸している、いただくのは規格外のもの)、別の親戚では干し柿とリンゴをいただく。その後、木下ちがや著「「社会を変えよう」といわれたら」を読む。そして夕食後、このブログを書いている。

 先日、「佐藤優の本を読む」で紹介した吉田裕著「日本軍兵士」と大木毅著「独ソ戦」を読んで少し書いてみたくなった。日本は明確な目的もなく中国との全面戦争を行い、短期決戦のつもりが長期の持久戦ともなった。そして、いわば打開策として南方に展開し、インドシナに侵略し、その結果アメリカの石油の禁輸等を招き、英米との全面戦争に至った。一方、ドイツは英仏を相手に戦争を始め、フランスは簡単に占領したものの、イギリスには大抵抗を受けた。イギリスとの和平を図るため、不可侵条約を結んでいたソ連に宣戦布告した。もちろん、ヒトラーは、当時連合国により食料等封鎖にあっており、ソ連が唯一の食料供給先であった。この生殺与奪の権力を取り返すことも宣戦の理由であった。(ドイツは、独ソ戦を人種的に優れたゲルマン民族が劣等人種スラブ人を奴隷化するための戦争、ソ連はファシストの侵略者を撃退し、ロシアを守るための大祖国戦争とした。)

 日本の緒戦、そしてドイツのソ連との緒戦いづれも成功した。日本の場合はアメリカの油断と戦争体制が整っていなかったこと、ソ連はスターリンがヒトラーの意向を無視したこと、軍上層部の粛正を行い、人的な資源に欠けていたことなど共通点がある。また、日本とドイツとも兵站戦が伸びきってしまって、補給ができなかったこともあげられる。食料の補給ができなくなると、現地調達要するに掠奪に頼ることになる。結果、現地の住民はゲリラ、パルチザンになって、軍に襲いかかる。

 ドイツは日本に比べるとスマートに(良い意味でないことは強調したい)戦争責任を果たしたと言われる。しかし、実態はすべての責任をヒトラーとナチズムに押しつけ、国防軍や一般国民には罪はないかのようにした。研究が進むに連れて、こうした考えは否定されている。日本でも日中戦争の行き詰まりを感じていた国民は、日米開戦に快哉を叫んだ。また、ドイツ、日本とも前者はアーリア人の優越、後者は万世一系の皇民思想など似たところはあるが、これはユダヤ民族などどこの民族も持っているのかもしれない。しかし、ナチズムはその徹底度において群を抜く。当時のナチ体制には、東部総合計画というのがあった。戦争終結後の四半世紀にポーランド、バルト三国、ソ連西部地域の住民3100万人をシベリアに追放し、死に至らしめる。そこへドイツ及び同盟国の国民を移住させるというのである。また、国内及び占領地域のユダヤ人をマダガスカル等に大量移住させる。この計画が遂行できなくなったので、絶滅政策に移った。

 占領地域での掠奪、捕虜の虐待で日独共通している。日本の中国人への蔑視、ドイツのスラブ民族への蔑視。一方のソ連も酷い。彼らにしてみるとやり返したということなのであろうか。このあと日本は満州で経験することになる。一方で戦車戦、自動車戦など近代的兵器の使用には雲泥の差がある。日本はノモンハンでソ連の近代的兵器により痛打された。だが、国力が弱く何も変わらなかった。持たざる国日本の兵器は極めて貧弱で太平洋戦争では一方的に損害を積み重ねることとなった。日本の戦死者230万人、ソ連の死者1200万人(行方不明など捕虜中に殺された者が多いため確定していない)、ドイツ444万人~531万人。

 久しぶりに面白い歴史の本を読んだ気がする。自国に都合良く修正された歴史が幅を利かせるようになってきた。本当の歴史を自虐思想に基づくものと呼ぶ人たちも多い。しかし、私たちは本当に起こったこを知らなければならないと思う。そうしない限りは、未来に向かって自信を持って力強く進むこともできないし、国に対する愛も生まれないと思っている。




  




 
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