ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

断想:受苦日にむけて「十字架の言葉は・・・ 」

2016-03-23 09:31:23 | 説教
断想:受苦日にむけて「十字架の言葉は・・・ 」

1.イエスは十字架の上で何を叫ばれたのか。
周りに居た人々はそれぞれイエスとの関わりの中で、その叫びを聞いた。
最初の福音書マルコによると、最も近くに居たローマの兵士は「エリヤを呼んでいる」(Mk.15:35)と叫んでいる。つまり彼は十字架上のイエスの叫びを「エリヤを呼ぶ声」と聞いたのである。しかし彼のそばに居たもう一人の兵士はイエスの叫びを聞くと、すぐに走りだして「酢い葡萄酒」取り、「海綿に含ませ、芦の棒につけ」てイエスに飲ませようとしている。つまり彼はイエスの叫びを「われ渇く」(Jh.19:28)と聞いたのであろう。この兵士は他の兵士たちと同じようにイエスの処刑に立ち会いながら、イエスの十字架上の苦しみを少しでも和らげたいという気持ちがあったに違いない。天国と地獄の別かれ目はイエスの十字架の右と左だけではない。十字架の足元にもあったのである。イエスはかつて「私の弟子であるという名のゆえに、この小さい者ひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」(Mt.10:42)、と語られた。まして十字架上でのイエスに、面倒な手続をおしまず、酢い葡萄酒を飲ませようとした、この兵士にイエスはどのように感謝されたことであろう。十字架上のイエスの「われ渇く」という言葉を、観念化し、精神的にしか理解出来ず、一杯の水さえも差し出そうとしない、いわゆるキリスト者よりは十字架上のイエスに「酸い葡萄酒」を差し出したローマの兵士の方が、はるかに神の国に近いと思う。
しかしひどい奴もいるもので、イエスにせっかく準備をして「酢い葡萄酒」を飲ませようとしているのに、それを押しとどめる男もいた。先程、「エリヤを呼んでいる」と言った男だ。十字架上のイエスの叫びを「エリヤを呼ぶ声」と聞いたのだから、考えようによっては宗教的であるとも言えるが、彼は人の苦しみが分からない宗教家のようである。彼には人の苦しみよりエリヤによってなされる奇跡の方に興味があるようである。「エリヤが彼を助けるか、どうか見よう」(Mk.15:36)。救いも、宗教も、自分の人生までも、ショー化(見せ物)してしまう現代人の、残虐さと共通するものがそこには見られる。もう一歩進めると、神を試みるために、奇跡が見たいばかりに、またイエスが本当に救い主かどうか見たくてイエスを殺害する。

2.あなたは何を聞く
さて、あなたは十字架上のイエスの叫びをどう聞くか。言葉にならない、悲鳴に近い、十字架上の叫びに、最初に言葉を与えたのはマルコである。勿論、何もマルコの独創であるとか、創作であるというのではない。恐らく、これが教会における最初の公式見解であったと思われる。始めは、それがどういう意味を持つか、弟子たちにもよく分からなかったにちがいない。もっと素直に弟子たちにはそう聞こえたのだと思う。
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」、弟子たちはそう聞こえた。それは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である、とわざわざ説明している(Mk.15:34)。この言葉はどう聞いたって、絶望の中の叫び以外のなにものでもない。イエスは絶望の中で死んだ。この言葉は弟子たちにとって決して気持ちのいい言葉でない。自分たちの耳を覆いたくなるような言葉である。

3.芥川龍之介
芥川龍之介はこの言葉について、次のように言っている。「十字架上のキリストは、要するに『人の子』に外ならなかった。「わが神、わが神、どうしてわたしをお捨てなさる?」。勿論、英雄崇拝者たちは彼の言葉を冷笑するであろう。いわんや、聖霊の子供たちでないものは、唯彼の言葉の中に「自業自得」を見出すだけである。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は事実上、キリストの悲鳴にすぎない。しかし、キリストはこの悲鳴のために一層我々に近づいたのである。のみならず、彼の一生の悲劇を一層現実的に教えてくれたのである」(西方の人、32ゴルゴタ) 。芥川龍之介はこの言葉の中に、イエスの人間味を感じ、人間的な言葉として聞いている。

4.十字架上の七言
ところで、あなたは十字架上のイエスの言葉をどう聞くのだろうか。あなたは十字架上のイエスを見上げ、そこに何を見、何を聞き、今どのようにそれに対して生きているかということが受苦日の問いである。
私たちは十字架上の七言を学ぶ。しかし自分の耳で聞こうとはしない。私たちは十字架の言葉を研究するが、十字架の言葉を生きようとしない。十字架の出来事が唯2000年前のエルサレム郊外での一つの事件にのみ留まり、今この場所での出来事になっていないということに、今日の教会の問題がある。
パウロは、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救わる者には神の力です」(1Cor.1:18)とコリント教会の信徒たちに向かって語っている。パウロがこの言葉をコリント教会に向かって投げつけた時、コリント教会ではパウロ派、アポロ派、ペテロ派、ついにはキリスト派まで登場して対立し、神学についての論議が盛んに行われていた。そこで飛かう言葉は賢い人間の言葉である。恐らく、論議のテーマは洗礼ということであったようで、聖洗式がどのように行われるべきか、その意味は何か、洗礼と割礼との関係は、議論を始めると、とどまることのなく果てしなく展開し、人間の賢い言葉が、そして人間の美しい言葉が、教会の中心になってくる。そして人々は決して美しくない、出来れば避けたい、「十字架の言葉」を無視し始める。パウロはあえてその議論に参加しようとしない。人間の賢さが支配する所ではキリストの十字架が虚しくなってしまうと彼は言う。パウロが心配していることはキリストの十字架が虚しくなり、無力になってしまうことである。「愚か」と言われようと、「馬鹿」と言われようと、「矛盾している」と批判されようと、そんなことはかまわない。キリストの十字架の言葉は人を救う神の能力なのだ、ということがパウロの確信であり、その言葉を語ることが彼の使命であり、彼の唯一の関心事なのである。だから賢い人間の言葉が行きかうコリント教会では、あえて神学論に参加せず、「わたしはあなた方の間で、イエス・キリスト以外、何も知るまいと心に決めている」(1Cor.2:2)と宣言する。

5.パウロの「十字架の言葉」
パウロが「十字架の言葉」という表現をしているのは、ここだけだが、一体この言葉の意味は何だろう。十字架上での「イエスの言葉」なのか、あるいは「十字架についての、教会の言葉」なのか。パウロの言い方は曖昧である。恐らくパウロにとって彼自身が十字架のイエス・キリストから聞く言葉は、同時に彼が語る宣教の言葉であり、そこには厳密な区別の必要がなかったにちがいない。パウロはガラテヤ教会の信徒たちに、「ああ、物わかりの悪いガラテヤ人たち、だれがあなたがたをたぶらかしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿でハッキリ示されたではないか」(Gal.3:1) とほとんど、怒鳴っている。パウロにとつて、説教をするということは、十字架につけられたイエス・キリストの姿を人々の眼前に描き出すことであった。それは決して美しいものではない。一人の男がなぶり殺しにされる姿である。あまりの苦しさに血が水のように流れたと言われている。説教とは美しい言葉で語る「神についてのお話」ではない。聞く人々の眼の前に、「十字架につけられたイエス・キリスト」を描き出すことなのである。今日、信仰が弱くなってしまっている大きな理由の一つは、教会の説教が「十字架につけられたイエス・キリスト」を語り得ていないからではないかと反省する。
教会が福音による自由を失い形式主義や律法主義の牙城となるとき、教会が愛と赦しの恵みを失い、偽善とへつらいが横行するようになるとき、教会が気配りと信頼を軽蔑し、独善と権力が支配するようになるとき、実は教会はその土台において、「十字架につけられたイエス・キリストの姿」がぼけてしまっているのである。パウロは福音からはみ出してしまったガラテヤの信徒たちに向かって、「ああ、物わかりの悪いガラテヤ人たち」と呼び掛け、私はもう一度あなた方のところに行って、説教のやり直しをしなければならないのか、と怒鳴っている。

それではパウロは「十字架の言葉」をどう聞いているのだろうか。恐らくパウロ自身は生前のイエスに会っていないと思われる。まして、十字架処刑の場には立会っていない。
使徒言行録によると、後にパウロとなるキリスト教の迫害者サウロはダマスコ地方のクリスチャンを迫害するために、ダマスコの町の近くに来た時、突然、天から光がさして、地上に打ち倒された。この時、彼は「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」(Act.9:4)というイエスの言葉を聞く。彼は、この時、イエスの十字架の言葉を聞いたに違いない。注意すべき点は、彼が迫害しているまさにその相手がイエス・キリストであったという認識である。まさに、彼こそ「十字架につけられたイエス・キリスト」である。パウロのこのような強烈なキリスト体験、十字架体験はどのようにしてなされたのであろうか。

6.最初殉教者
一人の男がいた。平凡な男である。彼は司祭になりたいと願っていた。しかし彼には司祭への道は閉ざされていた。彼は一所懸命、聖書の勉強をし、イエスの様に生きようと願い、人々に仕え、伝道の業に励んでいた。彼にとってイエスとは、「父よ、彼らをお赦しください」と迫害する人たちのために祈りながら、「父よ、私の霊をあなたに委ねます」という言葉を残して十字架で死に、それゆえに神は彼を死の苦しみから解放し、復活させられたお方である(Act.2:24,3:15)。彼はあまりにも熱心に伝道したため、キリスト教を迫害する人々からマークされ、ついに石を投げ付けられて、殉教した。彼こそ最初の殉教者ステパノである。彼は殉教の際、石で打たれながら、ひざまずいて「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」、  「主よ、私の霊をお受け下さい」と祈りながら死んだ(Act.7:59~60)。
パウロはその現場を見てしまったのである。偶然なのか、あるいはステパノ殺害の時の指導者の一人であったのか、よくわからないが、ともかくパウロはその現場にいた。しかも迫害する者の一人としてそこにいた。ルカ福音書の十字架の場面とこのステパノ殉教の場面とはそっくりである。まさにステパノはイエスのように死んだのである。恐らくパウロにとって、この経験は忘れることの出来ないものであったであろう。石に打たれながら死んでいくステパノの姿がパウロにとってのイエスの姿になった、と言っても間違いないであろう。
執事ステパノは殉教した。しかしその霊は彼を迫害したまさにその人パウロによって受け継がれ、キリスト教史の中に今も生き続けている。

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