ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

エドガー・スノーが見た「満州国」(2)

2016-07-21 16:17:33 | 雑文
エドガー・スノーが見た「満州国」(2)

日本の軍事支配がまだ確立されず、日本の最初の「特命全権大使」武藤信義大将が満州に到着する前に早くも日本の資本家たちは新しい西部、約束の地をめざして一斉にやって来た。
そこにはなんと魅惑的な展望があることだろう。長らく小さな島国に閉じ込められていた人々にとっては、それはまことに乳と蜜が流れる士地だった。そこヘ内地の経済生活を支配している、三井、住友、安田、井上、山県、岩崎など財閥の代表が押しよせてきた。その先頭を切っている
のが日本政府所有の南満州鉄道だった。
裕仁天皇は彼の将軍たちの傑作である「満州国」を正式に承認しなかったが、博儀の招待(その 背後に本庄がいた)で当座は十分だった。結局のところ「満州国」の独立宣言は、はっきリと日本人が満州ではもはや、「外国人」でなく、満州で生まれた者とまったく同等の権利をもつこと
を認めたものであった。「満州国」が最初にとった措置の一つは、日本人に二重国籍の特権をみとめることだった。
この年の春になって間もなく「満州国」は、日本人と朝鮮人による無制限の農地購入および所有を法律によってみとめた。さらに別の糸をあやつって、日本人は手に入れようとする私有地と国有地の値段を凍結することに成功した。こうした一連の特権を手に入れた彼らは、今や極東の経済の形をすっかり変えてしまう事業に取りかかったのである。
大倉公望男爵は「今日の日本」(1932年12月号)の中で書いた。
「満州の広大な平野から生産される農業物は年間総額13億円にのぼり、その主なものは大豆、高リャン、栗、とうもろこし、小麦、大麦、米、麻、煙草、綿花、砂糖大根、果樹などである。可耕地のうち55.5%が未開墾であるから、それが耕作されると満州全体で農業高を30億円近くにもっていくことも可能であろう、さらに現在行われている旧式な農耕法を新しい方法に改善することによって生産性をいっそう高めることが出来よう」。
そのように考えていた日本人はほかにもいた。日本政府と資本家たち(日本の商工業、金融活動の70%は1ダースばかりの財閥ににぎられている)の「先駆者」たちは奉天、吉林、黒竜江省と内モンゴルへ群れをなして入りこんで、農地や牧場を買いあさり、借りまくっていた。かれらは岩崎、三井、鈴木その他有名な財閥が日本でつくった対満投資投賛および「植民」会杜の社員たちだった。中でも一時もっとも大きかったのは、政府出資の東洋拓殖株式会社だった。そしてあらゆる活動を調整し、むだな競争を省くために、外務省には「拓殖局」が設けられ、南洲州鉄道会杜が設立された。
「今後10年間に、新しい移民計画で50万人の満州国開拓民が移住することになる。これで人口過剰問題は解決されるね」とある日本人が言った。そうなるだろうか。日本では年間百万人の出産があり、1932年にはそれを越えたのだった。
中国から奪った広大肥決な士地をどう使うつもりだろうか。日本は一部の士地ヘ失業者を移住させ、別の土地では朝鮮人と中国人の労働者(必要ならば契約労働者として)を使って耕作させ、大規模な企業農園を経営しようと計画していた。何を植栽するつもりだろうか。「いまわれわれがアジアと西欧諸国から買っているものは、ほとんどすべて満州で生産することができる」と東拓会社の一社員がわたしに教えてくれた。 「政治的に独立した『満州国』は、経済的に独立した日本を意味する。五年間待っていただきたい。
重要な産品のひとつは米となろう。日本は大体毎年2千5百万ブッシェルの米を輸入している。この数年は人口増加にともなって米の輪入がますますふえるにちがいない。数千エーカーもある南満州の米作可耕地が開拓されるならば、日本はほぼ自給が可能となろう。(197頁)


ジュネーブがまだ「満州紛争」と呼んでいた事件に関する国際連盟調査団の報告書が書きあげられる前に、外相内田伯爵は、「日本は絶対に満州を中国ヘ返還することに同意しない。これ以上この件に関し中国と交渉する意思もない」と声明した。
1932年7月、国際連盟調査団のリツトン郷、マッコイ米陸軍少将その他のヨーロッパ人メンバーが、将来にわたって禍根を残さない解決法を求めて日木を訪れた。当時の陸相荒木貞夫大将が「満州を中国支配下に戻すことは絶対に許されない」と彼らに断言したとき、1931年9月18日の奉天事件以来、いろいろ挑戦的態度をとってきた傾向が、いよいよ決定的なものとなった。荒木はさらに言葉をついで、満州から日本軍を撤退さすことは考えてもいないと言った。 そして翌日この言明を裏づけるかのように、新たに1個旅団を大陸に派遣した。
それが日本の回答だった。日本は満州にとどまるだけでなく、支配地域を拡大するつもりだった。日本で周期的に起こる地震によって、日本が海中に没してしまわないかぎり、日本の方針は変らないであろう。(199頁)

最新の画像もっと見る