ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 08/09

2012-08-10 06:33:27 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は『寅さん・・』はお休み。説教一筋。やっと始めから終わりまで通った。後は無駄を削ぎ落とす。これが大変な作業だ。個人的な思い出話が共同体の伝説へと転換する。『警視庁・・・』、どんでん返しが面白い。10時半に就寝。5時起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:04:27

#losungenj 08.09(thu) わたしは主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る。(Hab3:18)
イエスの言葉:花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。(Mak2:19)
posted at 05:15:04
#losungenj 私の黙想:
イスラエルの民はよく踊る。踊りは喜びに直結している。イエスは悪い時代を批判して「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった」という言葉を引用している。またイエスは平野の説教において「その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある」と語る。
posted at 05:31:39

今日の名言:RT @KarlMarxbot:
学問をするのに,簡単な道など無い。だから、ただ学問の険しい山を登る苦労をいとわない者だけが、輝かしい絶頂を極める希望をもつのだ。
<一言>道の厳しさは、学問に限らないだろうが、特に学問の道は無駄(回り道)が多く、止めようという内からの誘惑が半端じゃない。
posted at 05:53:16

三浦 三千春 無駄(回り道)も可ねんですね。何かほっとしました。

文屋 善明 学問なんて、自然系も人文系も社会系も最近ではIT系でも1000回の失敗の上にただ1回だけの成功を求めているようなものでしょう。神学でも聖書学でも一つの「発見」によって、それ以前の努力が全て水泡に帰する訳でしょう。それでも、それが分かっていても続けるのが学問の道だということを発見したので、私は止めました。

三浦 三千春 持ち時間に限りがありますものね。カネの問題もあるし(^^) でも、「向こう」に行ったら、人間として、職業人として、とことんまで専門領域を極められるし、他の専門分野に移ったり、そこでまた極めたり、また、そこに純粋に追求を共にする交流があり・・・・・そういう喜びに預からせて頂けるものと、勝手に想像しています。

文屋 善明 現在、息子は大学教員をしていますが、そうでもなさそうですよ。「専門領域を極める」ことに喜びを見出す専門家はなきに等しいのではないでしょうか。たとえば、原子科学の専門家は専門領域を否定するような発言に明け暮れしている。専門家としての良心なんかとうの昔に放棄した人だけが生き残れる学問になってしまっている。

三浦 三千春  みんな、純粋な真理追究の喜びをなくしてしまってるんですね。残念ですね。 上の顔色見ての仕事・学問とか、党務・世渡り・出世の「ため」の仕事・学問なんてクソクラエ!

三浦 三千春 その点、アメリカの方が、まだ、専門家がより多くいられるような気がします(悪も大きいアメリカですが)

三浦 三千春 私が「向こう」って書いたのは、この世の生を終えた後、って意味です

文屋 善明 その「向こう」の説明、理解は三浦さんらしくない。この世の生を終えたら、専門領域も、学問も、関係なくなる。一寸だけ聖書的な言い方をすると、全てを直接的に曇りなく、歪みなく見る(1Cor.13:12)。

三浦 三千春 いや、ボクは、人間は人間のままであり、神とは違うのだから追求や試行錯誤の喜びは残ると願っております

三浦 三千春 歪みなく見るというのは、不純な動機のフィルターはいらなくなる、という意味かもしれません

文屋 善明 「この世の生を終えた後」という言葉を聞いたとき、私が思い浮かべたテキストはマルコ12:25です。そしてその展開の中で1コリント13:12に至りました。

三浦 三千春  実際、どんななんでしょうね。神の絶対管轄で秘密のヴェールにかくされてるから分かりませんよね(^^) でも、神は人を「良きもの」たる人として作りたまい、その「人」性が100%回復された生を生かしてくださると私は受け止めております。そこに婚姻関係はないけど、実現されてる人間の調和ある(神との、人との)「関係性」ってどんなのだろう? 想像を超えてます

文屋 善明 死後のことは、全くわかりません。わかるとかわからないというレベルを超えて、わかりません。現世とアナロギアの関係なのか、それもわかりません。少なくともわかっていることは肉体に関連するもの、脳内のこと、脳の記憶作用も全部パーだということはハッキリしています。じゃ、どこで死後の生と繋がっているのか、それは議論とか思考の対象にならないということです。

三浦 三千春  >全部パー  どっか別のメディアに遷しといてくれるんちゃう?くらいに私は大ざっぱに思てます。ホンマに神さんなんやったら巧い具合にできはるやろし。 ああ、なんかスレ本題からずれてしまってスミマセン

文屋 善明 私が生きた事実、考えたこと、愛したこと、憎んだことを全部ひっくるめて、どこかに保存しなければならないようなものは全くありません。ただ、現時点では私はクラウドを100パーセント利用しています。そして、クラウドの暗証番号やID等必要なKeyは孫息子に託しています。これは私にとっては「遊び」の世界です。

三浦 三千春  コヘレってますね(^^) まあ、人生を結構、積極的に、渋く楽しんでおられるコヘレ徒さんで、自分ももちょっと、渋くなれるために、生き様を参考にさせて頂いております。

「昨日のツイート 08/08」をブログにアップしました。 http://t.co/n5Dmhb7g
posted at 06:30:02

<補遺>遠藤周作の『死海のほとり』、以前に読んだときには(1973)、非常に感動したのに、今回はそれ程でもなく、むしろつまらなさを感じる。時代の差か、私自身の変化のせいか。先日読んだ三田誠広の『地に火を放つ者』のほうが迫力もあり、イマジネイションが大きい。いずれにせよ、文学作品の命はイマジネイションにある。変に歴史書を装うとちぐはぐになる。

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