ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

身辺的日常性

2008-11-03 16:56:52 | ときのまにまに
去る10月30日午後6時から、麻生首相の追加経済対策についての記者会見があるということで、ある種の「期待感」を持って、テレビを見た。事前の仰々しい宣伝ほどのこともなく、内容もほとんど事前に知らされていたことの繰り返しにすぎなかったし、記者たちの質問のレベルも低調であったのでがっかりした。
目玉は、4人世帯で6万円ほどの給付金が配られるということであるが、それが経済対策としてどれほどの「効果」があるかということについては、ほとんどの評論家は疑問視している。おそらく、その通りだと思うし、選挙対策としてもあまり意味があるとは思えない。それよりも、興味があるのは、政治家の「思いつき的」、あるいは自民党と公明党との連立による「妥協的」「政策(もし、これを政策と言えるならば)」が、具体化されるまでに、官僚の手によって、いかに「骨抜き」にされ、一部の高級官僚が甘い汁を吸うことになるのか、というプロセスが『勉強」になる、と思って聞いていた。
案の定、その翌日から、骨抜きの「作業」が始まり、だんだん、その実現は怪しくなってきた。高速道路の「休日千円」という「魅惑的な政策」も、なんだかんだ議論され、落ち着き先は不透明である。そのほかの「対策」については、わたしたち一般大衆にはほとんど無関係である。
要するに、あの華々しく、仰々しかった「追加経済対策の発表劇」は与党の選挙対策にもならなかったし、麻生首相の「人気取り」にもならず、しめった花火にすぎなかったようである。
それよりも、明日のアメリカにおける大統領選挙の方が興味がある。ただ、おかしなことに、日本のマスコミは予想外に静かであることだ。結果が非常に微妙で、今何かを言うことが「危ない」のかもしれない。ただ、一つ明らかになってきたことは、アメリカ人はアメリカのことしか考えていないという、至極当たり前の事実である。しかも、その「アメリカのこと」というのは、政治的理想とか、社会的責任とか、とはほとんど無関係の「身辺的日常性」である。だからこそ、「予想」ができない。

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