ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/18

2012-11-19 06:45:07 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は『海賊と呼ばれた男』を読む。上巻は第1章朱夏は昭和20年~22年、第2章青春は明治18年~昭和20年、下巻は第3章白秋は昭和22年~昭和28年、第4章玄冬は昭和28年~昭和49年。夜は高橋克典、田畑智子共演の「広域警察」を見て11時過ぎに就寝。今朝は5時に起床。体調快調。チュン、チュン。

#losungenj 11.18(sun)
わたしたちはあなたの民、あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ、代々に、あなたの栄誉を語り伝えます。(Ps79:13)
posted at 05:36:52
#losungenj 11.18(sun) 神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。(1Tim4:4)
posted at 05:37:10
#losungenj 私の黙想:
詩79の最初の節「神よ、異国の民があなたの嗣業を襲いあなたの聖なる神殿を汚しエルサレムを瓦礫の山としました」と最後の節、つまり今日の聖句との落差に驚く。詩人は1節の状況の中で13節を詠っている。これが苦難の中での信仰の詩である。この詩を詠った民の裔が今、ガザという狭い地域に押し込められている無力なパレスチナ難民の頭に爆弾を落としている。
posted at 05:43:37

今日の名言:RT @wisesaw:
良い結果をもたらす嘘は、不幸をもたらす真実よりいい。(ペルシアの諺) <一言>
大人になるということは、いろいろな嘘の種類を知ることである。その嘘が良い結果をもたらすか否かは、その人の深い人生経験と知恵に基づく。馬鹿正直を装う大嘘もある。
posted at 06:01:03

「昨日のツイート 11/17」をブログにアップしました。 http://t.co/i0vWT3NV
posted at 06:29:09

「今週のローズンゲン 11/011~11/17」をブログにアップしました。 http://t.co/Lr8qgM6q
posted at 08:11:33


<FBより>
今日は八幡聖オーガスチン教会での信徒による朝の礼拝に参加して、先ほど帰宅。昼食を済ませました。久しぶりの「朝の礼拝」でした。礼拝後12時まで1時間ほどとても楽しい歓談、「パリッシュ」といういう「制度」が話題になりました。

三宅 善信 切支丹が伝えた「パリッシュ」制度が、江戸幕府の寺請け檀家制度のひな形になったという事実は、あまり知られていません…。

文屋 善明 ありがとう御座います。私もその話は知りませんでした。日本のキリスト教界では、聖公会を含めて殆どパリッシュという制度は育ちませんでした。つまり宣教の形態が点と点を繋ぐ人間関係に基づいており、地割りとか管轄権というものが殆どありません。ただ抽象的に教区主教の管轄権とかが論じられますが議論がパリッシュにまで及びません。今日も話題になりましたがその意味では神道における「氏子制度」とか仏教における「檀家制度」などが話題にされました。そのとき天理教における「母教会制」も話されましたが、金光教ではどうなっているのでしょうか。カトリック教会では「教区」「小教区」という言い方で管轄権はかなり明確にされているようです。

三宅 善信 切支丹を禁教にするために、キリスト教のパリッシュ制度を真似て、先に「穴埋め」してしまったのですね。その意味で、徳川家康というのはやり手です。逆にいうと、だから、明治維新後でも、日本ではキリスト教が「面の布教」ができなくなったのだと思います。
金光教も、「人間関係優先」ですから、泉尾教会の隣に福岡教会の信者が住んでいるかもしれません。金光教では、「親教会」という言葉を使います。私が、本FB上でよく用いている「出社(でやしろ)」という言葉の反対語が「親教会」です。そして、金光教では、教祖に始まる師匠から弟子へと連綿と伝わる「取り次げ、取り次がれる」関係を「手続き」と称して、これが制度化されています。

文屋 善明 三宅先生、ご親切に説明して頂き感謝です。先生の仰るとおり明治以後日本に入ってきたキリスト教はプロテスタントで「個人の救済」に重点がかかり、い「家」にさえ入り込むことが殆どできませんでした。勿論、例外は沢山ありますが、その例外を見ても、その家の主人が檀家制度や氏子制度を背景にして宗教とはそういうものだという強い信念(個人的)に支えられたものでした。そこに日本のキリスト教の決定的な弱さがあると思います。私が若い頃は「福音の土着化」というようなことが叫ばれ、クリスチャン2代目、3代目が生まれると期待されましたが、見事にその希望は成らずで、むしろ2代目、3代目は「先祖返り」してしまっているようです。私自身は2代目半ですが。

三宅 善信 天理・金光といった「旧」新宗教はいうに及ばず、創価学会や立正佼成会といった新宗教教団だって、同じ悩みを抱えています。ですから、最近の「新」新宗教の教団は皆、「先祖供養」をその教義の中心に据えているのは、いったん確保した信者をいかに囲い込むかに腐心しているからだと思います。

<補遺>
久しぶりに実り豊かな会話ができました。会話の相手三宅善信さんは金光教泉尾教会の教主。さすが同志社神学部の卒業生で国際的に活動している宗教家です。私の短い言葉を拾いあげ、問題の本質を掴み、会話の相手になってくれました。

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