ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

竹内整一著「『おのずから』と『みずから』──日本思想の基層──」(春秋社)

2008-06-09 17:43:59 | ときのまにまに
竹内整一さんの「『おのずから』と『みずから』──日本思想の基層──」(春秋社)を読んでいたら、次のような文章に出会った。この本について一言だけ説明をしておくと、日本人の思想や文化の基層に、「自然」に対する、「おのずから」という局面と「みずから」という二つの局面があり、これを解明することによって、日本人の死生観を明らかにする研究である。内容は豊かで興味深い。この中で、高山樗牛のことについて触れているところがあったので、メモっておく。
第6章「おのずから」の捜索──柳田・漱石・鴎外の自然把握──の中に出てくる。
<たとえば、独歩の同時代・高山樗牛(1871~1902)のよく知られた「美的生活」論とはまさにそうした主張であった。「美的生活」とは、「自然の本能に本づく」生活であり、それは「雲無心にして岬を出るが如」く「びろくの自ずから渓水に就くが如」き、「生活それ自体において既に絶対の価値を有す」という、”絶対”生活の主張である。そして、それはそのまま「吾人は吾人は須く現代を超越すべし」と、声高に宣した「超越」のありかたでもあった。>
そして、樗牛自身の言葉として、「無題録」から次の文章を引用している。
<吾人は須く現代を超越せざるべからず。斯くて一切の学智と道徳とを離れ、生まれながらの小児の心をもって一切を観察せざるべかっっらず。ああ、小児の心乎。玲瓏玉の如く、透徹水のごとく、名聞を求めず、利養を願わず、形式、方便、習慣に充ち満てる一切現世の桎梏を離れ、あらゆる人為の道徳学智の緊縛にとらわれず、ただただ本然の至性をひらいて天真の流露に任すもの、ああ独りそれ小児の心のみ。」(無題録」)> 「おのずから」と「みずから」136頁
格調の高い明治調の文章であるので、かなり読みづらいが、要するに、樗牛の「美的生活」とは幼児のような天真爛漫な生き方を示す。正しく生きようとか、誰かのために己を捨てるとかというような、「あらゆる人為的学習」や倫理観や価値観を排除、超越したところに成立する「極端なしかも最も純粋な個人主義」である。

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