愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

「イエスは大群衆をご覧になったが、彼らを哀れに思われた」(その3)(マルコ6:34)

2015-08-31 13:18:44 | 神の言葉・聖書

 皆様方は、人が経験する悲しみの内、最大の悲しみは何であると思われますか。私は大学生の時、社会学の教授が「人が経験する悲しみの内で最大の悲しみは我子を亡くした時である」と、語られた言葉を忘れることが出来ません。その時の講義の内容は忘れていても、この言葉は忘れることがありません。私は小学3年生の時にわずか3歳の妹が病死しました。その時の両親の悲嘆に打ちのめされた様子が、子供ながらに忘れがたいものになっていたので、一層忘れることののない言葉になっているのかも知れません。愛する家族を亡くしたご経験のある方は、その悲しみの深さを決して忘れることはないと思います。み言葉・聖書は「死」を「最後の敵」と呼んでいます(コリント第一15:26)。しかし、嬉しいことに神エホバはみ子イエスを通して、この地上を義の宿る楽園に回復した後に、それまでに亡くなった方をその地上の楽園に復活させてくださることを、証拠を示して約束してくださっています(ペテロ第二3:13.使徒24:15)。イエスが哀れに思い亡くなった人を復活させる場面の記録は、私たちに復活の希望を確かの証拠として示しています。

イエスは哀れに思い、悲嘆を取り除くよう動かされた。イエスは、他の人の悲嘆に強く心を動かされました。一例として、福音書のルカ7章11~15節の記録を考えてみましょう。それは、イエスの神の王国の良いたよりの宣教期間の半ばごろ、イエスがガリラアの都市ナインの外れに近づいた時の事です。その都市の門の近くで、イエスは葬式の行列に出会います。何とも痛ましい状況です。亡くなったのは、独り息子の若者で、その母親はやもめです。母親は以前にも一度、つまり夫が亡くなった時にそのような悲しみの葬儀の行列をしたことがあるはずです。そして、今度はくなった独り息子の葬式です。その息子は唯一の支えだったことでしょう。共に歩む群衆の中には、哀悼の言葉を唱えて嘆き悲しむ人や、もの悲しい曲を演奏する楽士たちも加わっていたかも知れません(エレミヤ9:17、18.マタイ9:23)。とはいえ、イエスは悲嘆に打ちのめされているやもめの母親に目を留めます。母親は、独り息子の遺体を載せた棺台の傍らを歩いていたと思われます

 イエスは、独り息子に先立たれたやもめの母親を「哀れに思い」、安心させるような口調で「泣かないでもよい」と言います。そして、イエスは自ら進んで近づき、棺台に触ります。担いでいた者たちは - おそらく他の人も - 歩みを止めます。イエスは遺体に向かって、威厳のある言葉で、「若者よ、あなたに言います、起き上がりなさい!」と命じられます。すると、即座に死人は起き直り、ものを言い始めます。まるで、深い眠りから覚めたかのようです。その続きには、「次いでイエスは彼をその母親にお渡しになった」という、実に感動的な言葉が記されています。

 これらの記述から何を学べるでしょうか。いずれの場合についても同情心と行動の関係に注目してください。イエスは他の人の窮状を見ると、哀れに思わずにはいられませんでした。そして、そのような同情心を覚えると、それに沿って行動せずにはいられませんでした。私たちはイエスの残された手本にどのように倣えるでしょうか。真のクリスチャンは、神の王国の良いたよりを証しのために宣明し、心の整えられた弟子を見いだす務めがあります(マタイ24:14;28:19,20)。私たちの主要な動機は神エホバと隣人、つまり他の人へのです(マタイ22:37~39)。とはいえ、それは、イエスが哀れに思われたように神の王国の良いたよりを宣べ伝える業は、同情心に基づく業であることも忘れないようにしたいものです。私たちは、イエスと同じように人々の気持ちを思いやる時、心に動かされて、神の王国の良いたよりを宣明するためにできる限りのことをしたいと願っています(ルカ4;43)。また、苦しみや悲嘆を経験している人々や仲間のクリスチャンに同情心を表したいものです。私たちはイエスのように奇跡によって身体的な苦しみを取り除くことや死者を復活させることが出来なくても、積極的に気遣いを言い表わしたり、ふさわしい実際的な助けを差し伸べることが出来ます。そのようにして同情心を行動に移すことが出来るのです(エフェソス4:32)。そのようにして、イエスに見倣いたいものです(ペテロ第一2:21)。

 イエスは人々に対する哀れみに動かされて、霊的な必要、らい病(ハンセン病)の人をを即座に治しその人の心身の苦しみを和らげ、亡くなった人を復活させ悲嘆を取り除かれました。イエスのすべての言動はみ父エホバのご意志でした。このことを知ると神エホバに近づいてみたい、と願われるのではないでしょうか。

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