聖書を学ばれたことのない人は、「天に宝を蓄える」などの考えは、きっと考えたこともない言葉かも知れません。それは、人間が文字通りには天に宝を蓄えることなどは出来ないからです。人は地上に宝を蓄えていることを知っているからです。しかし、イエスは有名な山上の垂訓の中で、次のように教えられました。
「ああた方は自分のために地上に宝を蓄えるのをやめなさい。そこでは蛾やさびが食い尽くし、また盗人が押し入って盗みます。むしろ、自分のために天に宝を蓄えなさい。そこでは蛾もさびも食わず、盗人が押し入って盗むこともありません。あなたの宝のある所、そこにあなたの心もあるのです」(マタイ6:19~21)。
上の聖句の中の「地上に宝を蓄える」とは、物質第一の生き方を表わしています。現在は「対処しにくい危機の時代」ゆえに、多くの方々は利己的であり、物質第一、金銭第一の生き方をされています(テモテ第二3:1~5)。イエスはそうではなく「自分のために天に宝を蓄えなさい」と教えられました。確かに文字通り天に宝を蓄えることができれば、その宝は朽ちることも、盗人に盗まれることもありません。天は最高の宝の蓄え場所に違いありません。では、「自分のために天に宝を蓄える」とはどんな意味でしょうか。この意味は、聖書に記されている神エホバのご意志を学び、そのご意志を生活の中で第一にする生き方をしなさい、ということです。では、生活の中で第一にすべき生き方とは何でしょうか。イエスは同じ山上の垂訓の中で、「(神の)王国と神(エホバ)の義をいつも第一に求めなさい」と教えられました(マタイ6:33)。そして、神の王国の良いたよりの真理を全地で宣べ伝えるようにご指示をされました(マタイ24:14;28:19,20)。加えて、聖書は、人間として培うべき特質は、「古い人格を捨て去り」、「新しい人格を身に着ける」ように促し、愛を培い、朽ちる「肉の業」を退け、神エホバから出る教えの実・霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは明白な論証・証拠に基づき、抱く期待、希望が保証されていること)、温和、自制の特質を培うように教えています(エフェソス4:20~24.コリント第一13:4~8.ガラテア5:19~23)。神エホバの教えの人格特質を培い、ご意志を第一に行うあなたも、「自分のために天に宝を蓄える」方々のお一人であれば幸いです。
石垣の 上の花畑 楽しめり 今日の一句
道辺に咲いている「カンナ」
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