イエス・キリストが贖いの死を遂げる前に、み父エホバに祈られた言葉を読むと、深い感謝の念に包まれ、イエスの残された手本に見倣って、エホバのご意志を行うように強められます(ペテロ第一2:21)。イエスの、弟子たち・真のクリスチャンたちに対する深い愛が伝わって来ます。そのイエスの祈りの言葉が次のように記されています。
「そしてまた、わたし(イエス)はもう世にはおりませんが、彼ら(弟子たち)は世におり、わたしはみもと(父エホバのもと)に参ります。聖なる父(エホバ)よ、わたし(イエス)に与えてくださったご自身のみ名(エホバ)のために彼らを見守ってください。わたしと同じように、彼らも(神エホバと結ばれて)一つになるためです。わたしは、彼らと共におりました時、わたしに与えてくださったあなたご自身のみ名のために、いつも彼らを見守りました。そしてわたしは彼らを守り、滅びの子(ユダイスカリオテ)のほかには、そのうちだれも滅びていません。しれは聖句が成就するためでした。しかし今、わたしはみもとに参ります。そして、彼らがわたしの喜びを自分のうちに存分に持つため、わたしは世にあってこれらのことを話しています。わたしはあなたのみ言葉を彼らに与えましたが、世(一般の人々)は彼らを憎みました。わたしが世のものではないのと同じように、彼らも世のものではないからです」(ヨハネ17:11~14)。
イエスの弟子たちに対する深い愛情の祈りの中に、イエスはいつも弟子たちを見守り、み父エホバとみ子イエスは結ばれて一体だったの同じように弟子たち、真のクリスチャンたちも神エホバと結ばれて一体になることを願ってくださっています。現在の真のクリスチャンたちは、イエスの教えられた通り、神エホバに近づき神エホバと共に歩みご意志を行っています。
イエスは祈りの言葉の中で、弟子たち・真のクリスチャンたちは「世のものではない」とは、どういう意味でしょうか。イエスの弟子たち・真のクリスチャンたちは、清い言語のみ言葉・聖書を学び、「肉の業」を避け、霊の実を培い、かつみ子イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせ、ご意志を行う清い民、「思慮深い人」として歩み、神の王国と神の義をいつも第一に求めているので、一般の人々とは取分けられている、という意味です(ゼパニア3:9.ガラテア5:19~23.マタイ6:33;7:21、24,25.ヨハネ3:16.ペテロ第二3:14.啓示7:9)。真のクリスチャンたちは常に霊的な必要を自覚しており、幸いな民なのです(マタイ5:3)。あなたもその中のお一人であれば幸いです。
永遠の 平和の誓い 終戦日 今日の一句
聖書研究生の収穫前の豊かに実った「稲穂」