愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

青紫の花「柳葉ルイラ草」と百日草

2015-09-04 11:13:12 | 四季折々の花々

 庭に青紫の花「柳葉ルイラ草」が次々と咲いています。

 私の手持ちの花図鑑には紹介されていない花です。

 群れて咲く花は、比較的静かな感じで爽やかさを提供してくれます。

 今日は青紫の花「柳葉ルイラ草」と百日草を紹介致します。

               庭に咲いている「青紫の花「柳葉ルイラ草」」

                 道の駅に切り花で売られていた「百日草」

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神エホバは自ら進んで行動される!

2015-09-04 10:59:47 | 神の言葉・聖書

 皆様方も愛情深い人は、何事も自ら進んで行う・人であることをご存知と思います。人間は「神の像(かたち)」に創造されていますので、丁度映像を映し出すように神エホバの愛の特質を反映することが出来ます(創世記1:27)。ですから、愛の神エホバが自ら進んで行われる特質を、人間も表わすことが出来るように創造されているのです。

 み言葉・聖書は神エホバについて、「神は愛である」と教えています(ヨハネ第一4:8)。加えて、「神(エホバ)がまずわたしたちを愛してくださった」と、記しています(ヨハネ第一4:19)。では、どのような点で神エホバはまずわたしたちを愛してくださったのでしょうか。そのことをお伝え致します。

 そもそも、偉大な創造者エホバ神は、何に動かされて創造の業を始められたのでしょうか。ひとりで寂しかったからでも、交友関係を必要としたからでもありません。神エホバはそべてを備えた全き方であり、何かに欠けていて他の者に何かを供給してもらわなければならない、というようなことは全くありません。しかし神エホバは、自然なこととして、能動的な特質である愛に動かされ生きる喜び、その賜物の価値を認識できる理知ある被造物と分かち合うことを望まれました。「神(エホバ)による創造の初め」は、神の独り子イエスでした(啓示3:14)。次いで、神エホバはその優れた働き手・イエスを用いて他のすべてのものを生み出されました(箴言8:22~31.ヨハネ1:1,2)。まず生み出されたのは、み使いたちでした(ヨブ38:4,7.コロサイ1:16)。それら強大な霊者たちは、自由と理知と感情を与えられ、互いどうしの、そして何よりも神エホバとの愛ある結び付きを築く機会に恵まれています(コリント第二3:17)。ですから、それら霊者たちは、神エホバにまず愛されたので神エホバを愛しました。

 人類に関しても同じことが言えます。最初に人間アダムとエバは、最初から、いわば愛に包まれていました。エデンにある楽園の住みかのどこを見ても、自分たちに対するみ父エホバの愛の証拠を見ることができたのです。聖書のこの言葉に注目してください。「エホバ神はエデンに、その東のほうに園を設け、ご自分が形造った人をそこに置かれた」(創世記2:8)。あなたは、とても美しい公園に行かれたことがありますか。そこで一番心地よかったのは何でしょうか。あずまやに射す木漏れ日でしょうか。花壇で咲き誇る、色とりどりの美しい花々でしょうか。小川のせせらぎ、取りのさえずり、虫の羽音などのバックグランドミュージックでしょうか。豊富な木々や果物や花の香りはどうでしょうか。いずれにせよ、今日のどんな公園も、エデンの園の楽園とは比べものになりません。なぜでしょうか。

 エデンの園の楽園は、偉大な創造者エホバ神によって設けられたものでした。言葉では言い表せないほど魅力的な楽園であったに違いありません。目に麗しい樹木や、美味しい果物を産する木々がそろっていました。楽園はよく潤い、広々としており、興味深い様々な動物によって活気にあふれていました。アダムとエバには、やりがいのある仕事や完全な伴侶など、幸福で充実した生活を送るのに必要なものがすべてありました。神エホバがまず愛してくださったので、アダムもエバも同じようにして、神エホバに応じるべき十分の理由がありました。しかし、アダムとエバは神エホバの愛には応じませんでした。愛の気持ちから天の父エホバに従うどころか、悪魔サタンの言葉の欺きの言葉に従って、利己的な態度で反逆したのです(創世記2章。創世記3:1~6.啓示12:9)。

 そのアダムとエバの反逆行為は、神エホバにとって非常に辛い出来事であった違いありません。とはいえ、反逆ゆえに、神エホバのの愛ある心に苦々しい気持ちが生まれたでしょうか。そのようなことはありませんでした。神エホバの「愛ある親切は定めのない時にまで及び」ます(詩編136:1)。それゆえ、神エホバは直ちに、アダムとエバの子孫のうち正しい性向を持つ者すべてを受け戻すための愛ある備えを設けるという目的を定められました(創世記3:15)先に紹介しました通り、そうした備えには神エホバの愛するみ子イエスの贖いの死の犠牲も含まれており、それはみ父エホバの非常に高価な負担を強いるものでした(ヨハネ第一4:10)。罪と死からの解放をもたらす、イエスの贖いの死は、私たちが何も知らないうちに、そのような備えをしてくださったのです。

 お分かりと思いますが、神エホバは初めから、自ら進んで人類に愛を示して来られました数え切れないほど多くの点で、まずわたしたちを愛してくださった」のです(ヨハネ第一4:19)。神エホバの愛は調和と喜びを促進します。ですから、神エホバが「幸福な神」と呼ばれているのはもっともなことです(テモテ第一1:11)。「幸福な神(エホバ)」は、み言葉・聖書を備えてくださり、その教えを学び適用し、平安と義の溢れる幸福な人生を歩むように願っておられます(イザヤ48:17,18)。そのような神エホバに深い感謝を表し、お父さんエホバに近づかれる方々は幸いです。

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