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修理

2007-08-22 23:42:27 | 侃々諤々


終わったわけでもないけれども、夏のピークタイムの全てを仕事に費やし、休みゼロ。
おかげで随分メガネ焼け(ロケ焼け)もしました。
1ヶ月ぶりに1日だけ休みが取れてもやったことと言えば、突然液晶が死んでしまったGR Digitalの修理に行き、夕方からはビールを飲みながら土いじり。


とうことで、昼前に起きて、新横浜のリコーのサービスセンターに行き、修理を申し込んできた訳なんですが、基本即日修理で可能とのこと。早いじゃないか。

私のGRDをいじりながら担当者がブツブツとなにやら唱えつついじっています。
「多分、サブ基盤が逝っているっぽいから交換します。2時間後にまた来てください」とのこと。
担当者のカメラをいじる姿勢が営業的ではなく、そのカメラが好きで、どうして壊れたのか?ということを探るようにさわっている。この姿勢にもの凄く好感を持ちました。


約束の2時間後に受け取りに伺えば、どうやら修理が未完。
聞けば、サブ基盤は交換したものの、通常は壊れないはずのパーツが壊れていたため、原因究明のため詳細な検査をしているとのこと。
邪推すれば「技術担当の昼飯が長くて間に合わなかった」のかもしれません。
しかし、ここはリコーを信じます。
イラっときたところに、「貸出機を用意いたします」とのこと。

この「当日に治すことができなければ代替機を貸し出す」という姿勢に感心しました。
わざわざサービスセンターに持ち込む者の気持ちを分かっています。

写真を趣味とする者にとって、カメラを取り上げられるのは相当なストレスです。
たとえ、3日間一度もファインダーを覗かない日があったとしても、いつ被写体に巡り会えるか分からない。
ちなみに、私が壊したのは8/20夕方の原宿。
視界を覆うような大きな入道雲が北東の空にそびえ立つ様を押さえようと、運転しつつ露光を調整したとき。
こんなことやってると近々死ぬので決して真似しないでください。
ちなみに、このエントリの画像がGRD仮死直前の写真です。
私は、大きな入道雲に出会うたびに「竜の巣だ!(「天空の城ラピュタ」より)」と、一人でわくわくしてます。


写真好きの会社なんだなぁ。
浮気して便利なFujiのコンデジに買い換えようと思っていましたが、作っている会社の姿勢を目の当たりにしてやっぱり使い続けようと思いました。
社員の一人が会社を代表していた最良の例だと思います。


とは言うものの、TC-1のデジタル出ないかなぁ、と思う日々です。
ソニーから出たら買わないけど。

本【マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと】

2007-08-22 01:15:27 | 本読み
マーリー ―世界一おバカな犬が教えてくれたこと
2006
ジョン・グローガン
古草秀子(訳)


「動物モノの企画無い?」と敏腕プロデューサーから聞かれ、たまたま最近読んだCROSSBREEDさんで本書が紹介されてみたので、その場でamazonで注文。読んでみました。
紹介されていたブログの著者の方も相当な愛犬家の様子。随分前から楽しく読ませていただいています。

ところで、amazonの「お急ぎ便」って凄いですね。
本当に翌日に届きます。
超急いでいる資料用の本やらDVDを10本くらい注文しても在庫があればきっちり翌日に届きます。
気がつけばこのところ、殆どの本やらDVDやらをamazonで買っています。amazonで無ければ他のECサイト。
あるかどうか分からない本を探して彷徨う時間も好きなのですが、そうもいかないときもあります。



ところで本作。
結論から言えば、犬を飼ったことがある方なら共感は間違いなし。涙ぐむこと必死。
反面、犬を飼ったことがない方であれば「大変だねぇ」で済まされてしまうかもしれません。
そういう本です。
「いぬのえいが」の名作短編「ねぇ、マリモ」をドキュメント本にしたらこんな感じなのかもしれません。


動物を飼うということはもの凄く面倒なことです。本書に登場するマーリーはその代表。
毎日散歩に連れて行かなければ行けないし、ゴハンも朝晩あげなければいけなし、虫に刺されないように蚊取り線香も毎晩焚いてあげたり、車に乗れば吐いちゃうし、広いところにはなして遊ばせておくと捕まえるのに苦労するし、好き嫌いはするし、病気になれば家中で大騒ぎだし、死んでしまったときの悲しさは比べるものはないし。

私のうちで飼っていた犬はジョリーといって「いぬのえいが」のエントリでも随分書き散らかしましたが、小学校2年生冬から高校2年生の夏までの10年という短い時間に彼から得たことは果てしなく大切で、かけがえのないなことだったんだと思います。チープな言葉かもしれませんが、こう言うしかない。

人間よりもずっと短い寿命の中で、自分の主人に対して全力で応えようとしてくれる。もちろん、その応えてくれるというのは「絶対の従順さ」という意味ではありません。
人を楽しませ、心配させ、怒らせ、喜ばせることを、その短い一生の中で全力で表現する犬が私は大好きです。
最後は悲しいに決まってる。けれども、その悲しみも、いずれそう思えたことが幸せだと思うようになれる。
「犬は人間の最良の友」と言う言葉がありますが、そうではなくむしろ教師であるのかもしれません。

コンビニの前なんかに繋がれいる犬がいると、たいがい頭をなでてあげるけれども、彼はたいがい自分の主人以外にたいした反応をしてくれません。「サンキュー」程度のクールな反応。しかし、主人が戻ってきた瞬間に今までのクールさが嘘のように暴れる。そんな犬がたまらなく愛おしくなります。


こう書くと、ただの犬好きのセンチメンタルと思われてしまいがちですが、そしてあながち間違いでもないのですが、犬と一緒に暮らすと言うことは、もし可能であればとても素敵なことです。
私は、幼い頃からずっと犬と暮らしてきました。感謝すべきことです。



良くない言い回しで言われる打算的絶対服従を指す「犬」という言葉があります。
しかし、私の言う意味での「犬」であれば、いずれ誰かの為の犬であることも悪くはないな。
可能であれば、ですが。