notation

映画【A.I.】

2006-11-26 03:22:44 | 映画
A.I.
2001
スティーブン・スピルバーグ


「SFってなんかオタクが喜ぶメカとかウンチクとか満載のヤツでしょ?」と思われがちです。
"Science Fiction"(空想科学でウハウハ)の略というのは間違いありません。
しかし、敢えてここは"Scientific Fantasy"(科学もちょっと盛り込んだおとぎ話)と思ってください。こう思った方が世の多くのSF作品が報われますし、合点もいくというものです。
故:藤子・F・不二雄氏の"スコシ・フシギ"シリーズも大好きです。

私、SFモノが大好きで高校生から大学生くらいまではハヤカワSF文庫をいくつか読みました。おかげで我が家の文庫本コーナーの背表紙は水色率がやや高めです。貸して帰ってこない本達よ、幸せになっておくれ。

技術をもって大多数の人間の欲望を満たし、その副作用として生まれた退廃的な少数派とのギャップを描くことで人間の本質を描くというのがSFの定石だと思っています。この辺はフィリップ・K・ディックを読んでみてください。ブレード・ランナーの原作者です。


今更観た本作。
意外なほどに全体を通して響きます。
記憶・時間・人間・心・模造とか定義がよく分からないことたちをずらっとテーマに据えて、あまりにも広い世界で展開。

基本的にCGが嫌いで、出てくるだけで辟易なのですが、本作は違う。
ドリーム・ワークス製作なので世界最高のCGだからこれ以上のモノは当時できないというのは分かっているものの、職業柄鼻につく。
でも、でもですよ。「あらゆる最新テクノロジーを駆使したところで人の心を動かすのは人でかない」のですよ。本気で表現したいと思えばそれは相手に必ず響く。CGアーティストと監督のイメージする世界にズレが無い。こういう作品を作ると感じることができる。上手いとか下手とかじゃないんです。


スタンリー・キューブリックが原案を立てたモノの、映画化することなく死去。
で、映画化したのがスピルバーグ。
序盤のあまりのSFっぷりに「コレはリドリー・スコットが監督した方が良かったんじゃネェの?」と思いつつも終盤ではスピルバーグ節炸裂。流石E.T.未知との遭遇を撮った監督です。こんなこと言うと何様だと怒られそうですが、そう思ったんだからしょうがない。でも、序盤だけ。


この映画で思ったことは、結局言っていることはもの凄くスタンダードな「愛」の定義のお話で「与えるモノか、求めるモノか」という、鶏が100個卵を産んでる様を観察しても答えが出ない問い。そこで本作では一つのケースをロボットに見立ててみましたというもの。
「これは比喩として邪念の無いソリッドな存在としてのロボットが語る言葉なんだから勧善まみれなのね」という理性が働きまくるものの「でもそれって決して間違ってないし、そういうことに疑いを持つ自分ってどうなの?」という問答が鑑賞中に繰り広げられます。
で、最終的にはロボットがロボットの満足の為に人間を作る(一時的に)という模造が模造の本望を作るという奇妙な結末。しかし、その作られたシーンで繰り広げられるあまりにも優しい時間に呑まれる呑まれる。歳のせいでしょうか。


序盤のあるシーン。
ちょっと狭い部屋で柔らかい光のさす窓をバックに、デビッド(子供ロボット)がモニカ(母)にプログラムに沿って親の愛を植え付けられ「僕のママ」というシーン。コレがヤバイ。ここまで率直に母に対してこんな事言ったこと無い。マザコンもちょっと入ってるかも知れませんが、それに加えて私も子供がいてもおかしくない歳でもあるので、それを言われている妻(架空)を眺める目線でもあり。

ラスト付近。
未来人(ロボット)が発する声が2001年宇宙の旅で登場する人個知能HAL9000の声と酷似。
平坦だけど、どこか優しく人を落ち着けるように喋る声色。ロボットがロボット相手に発するのがこの声か!と驚きました。
1968年に映画が公開された当時はHAL9000なんてホントに未来のロボット。で本作では2000年後の声としてまたこれをチョイス。
2001年に公開された本作のスピルバーグなりのキューブリックへのオマージュの証。こういうの大好きです。ツボです。

多分、この「A.I.」という映画は「2001年宇宙の旅」以後の世界なんだな。結局ルーツを考えざるを得ない、みたいなの。
キューブリックがやってたらどうなったんでしょうか。