神が宿るところ

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波宇志別神社(秋田県由利本荘市)

2015-06-13 23:03:14 | 神社
波宇志別神社(はうしわけじんじゃ)。通称:保呂羽山本宮波宇志別神社(ほろはさんほんぐうはうしわけじんじゃ)。
場所:秋田県由利本荘市東由利法内字法内1。国道107号線(本荘街道)から秋田県道30号線(神岡南外東由利線)に入り、北東へ約2.6km。駐車場なし。
社伝によれば、天宝勝宝元年(749年)、現・宮司家の先祖である遠藤大宮四郎茂遠が筑前国(現・福岡県)から下向し、二代目の遠藤藤治太郎茂高が天宝宝字元年(757年)に保呂羽山山頂に「波宇志別神社」(「天国寺」)を創建した。以来、遠藤家は別当として奉仕し、嘉祥3年(850年)に当神社の社殿を造営し、「極楽寺」と称した。近世には、矢島藩の崇敬五社の1社となり、保呂羽山参拝者(修験)の宿坊となっていた、という。現在の祭神は大己貴命と少彦名命(ただし、拝殿に掲げられた額は「波宇志別神社 保喰神社」となっている。)。
「伽藍開基記」(元禄5年:1692年刊)によれば、式内社「保呂羽山波宇志別神社」の創始は凡そ次の通り。「昔、大友藤原吉親が保呂羽山麓で由利郡に住む遠藤太郎と名乗る猟師と出会った。2人で山に登ると、霊樹があり、金色の光を放っていた。そこへ1人の沙門(僧侶)が現れ、『この樹には蔵王権現がおられ、その本体は釈迦如来である。人々を救い、国家を安定させるために現れたのであるから、汝らは社殿を建て、蔵王権現を祀るように...』と言って消えた。そこで、両人は社殿を建てた」。
保呂羽山は久保田(秋田)藩、亀田藩、矢島藩の3つの藩領の境にあり、それぞれに参拝口があった。表口が現・横手市大森町八沢木、裏口が現・由利本荘市羽広、脇口が現・由利本荘市東由利法内であるが、それぞれの別当(社家)は、表口:大友家(+守屋家)、裏口:遠藤(後、佐々木)家、脇口:遠藤家であったという(他に、「保呂羽山波宇志別神社」の境内社「下居堂」の社家も遠藤家)。このうち、脇口の法内の社殿が当神社で、近世には「極楽寺」と称していたようだ。「寺」と言っても、当時は神仏混淆が当たり前で、藩からの文書などでは宛先が「極楽寺 宮司」の遠藤氏になっていたりする。因みに、裏口の羽広の社殿(「文殊堂」とも言われていたらしい。)は現存していない。


秋田県神社庁のHPから(波宇志別神社) :(注)「羽宇志別神社」となっているが、誤りと思われる。なお、秋田県にかほ市金浦には「羽宇志別神社」があり、紛らわしい。


写真1:「波宇志別神社」鳥居。赤いトタン屋根が印象的。


写真2:同上、石段を上る


写真3:同上、社殿


写真4:神社正面右手にある「別当家(極楽寺)の跡」の木碑。遠藤家の子孫は今も由利本荘市にお住まいだそうで、当地から離れる際に、記念に庭園として残した、とのこと。


写真5:同上、「別当家の跡」の石碑


写真6:近くにある「法内の八本杉」(場所:由利本荘市法内字臼ヶ沢国有林36林班ろ小班、当神社から秋田県道30号線を北へ約740m進むと、案内の標柱があり、そこから狭い道路を道なりに約2km。駐車場有り)。幹周約11.5m、樹高約40m、 樹齢(推定)700年という。
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