神が宿るところ

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経塚(金光明王尊)(山形県鮭川村)

2016-07-27 23:42:40 | 史跡・文化財
経塚(きょうづか)。「金光明王尊」を祀る堂祠がある。
場所:山形県最上郡鮭川村京塚。山形県道35号線(真室川鮭川線)沿いの「京塚郵便局」の南、約50mのところ(「高橋酒店」の角)を東に入り、約660m進むと舗装路が途絶える。そこから遊歩道(「東北自然歩道」)を約10分歩く。駐車場なし。
かつて「庭月観音」(前項「庭月山 月蔵院」参照)と「新庄城」城下を結ぶ道として「猿鼻街道」があった。そのうち、現・鮭川村の京塚と上絵馬河の間は遊歩道として整備されていて、カタクリの群生地などもあるハイキング・コースとなっている。その道沿いに「経塚」がある。「経塚」は、仏教の経文を記したものを埋納して塚を造り、その上に石塔などを建てるのが一般的で、中世を中心に流行した。当所の「経塚」は、小石に1字ずつ経文を記した「一字一石経」と呼ばれるものを埋納し、塚の上に経文を神格化したものと思われる「金光明王尊」の堂祠が建てられている。当地の地名である「京塚」は、「経塚」が転化したものとされており、古くから大事にされてきたものだろう。「猿鼻街道」自体は正徳年間(1711~1715年)頃から盛んに利用されたというが、街道沿いに「応永2年の板碑」というものもあり、応永2年というと室町時代、西暦では1395年に当たる。だから、道自体はもっと古くからあったのだろう。
因みに、古代官道の「東山道」に「佐芸(さき? さけ?)」という駅家(うまや)があったことが「延喜式」に記されているが、その場所については諸説ある。ただ、その名が「鮭川」に因むものではないかとの説は、かなり有力とされていると思われる。また、この「経塚」が「金光明王尊」を祀っているところから、この付近に「出羽国分寺」(国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」)があったのではないか、という説も一部にあるらしい。「経塚」の西、鮭川左岸に「上野遺跡(うわのいせき)」があり、この付近に「金光寺」という地名もあった。「上野遺跡」は平成16年に発掘調査され、掘立柱建物跡78棟のほか、青銅製の鏡や懸仏などが出土したが、遺構の存続年代は15~16世紀初め頃とされ、古代の寺院跡は発見されなかったようである。


写真1:「応永2年の板碑」。猿鼻街道沿い、鮭川村京塚側の人家が途絶える辺りにある。


写真2:猿鼻街道。現在は遊歩道として整備されている。


写真3:「経塚」


写真4:「経塚」の「金光明王尊」堂


写真5:猿鼻街道沿いにある「尼壇」。「経塚」の東、約700m。どういうものか、不明。
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