神が宿るところ

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陸平貝塚

2018-04-07 23:10:25 | 史跡・文化財
陸平貝塚(おかだいらかいづか)。
場所:茨城県稲敷郡美浦村馬見山字貝売391-2他。茨城県道122号線(大山江戸崎線)沿い、「安中郵便局」の東側の道路を北へ(案内標識がある。)、約170mで広大な駐車場。駐車場から北へ少し上ると「美浦村文化財センター」があるが、その先、「陸平貝塚」前まで自動車で行ける。
「陸平貝塚」は、霞ヶ浦南岸の舌状台地にある縄文時代前期~後期の貝塚で、東西約250m、南北約150mの範囲に環状に大小8つの貝塚が発見されている。このうち「陸平貝塚A貝塚」は、当時東京大学の学生であった佐々木忠次郎、飯島魁によって発掘調査が行われたもので、日本人の手で初めて発掘調査が行われたということで我が国の考古学史上でも大きな意義を有する遺跡となっている。かつて、住宅団地やリゾート地として開発しようとする計画があったが、いずれも頓挫し、現在は「陸平貝塚公園」として整備されている。なお、公園内に数ヵ所「ぶくぶく水」という湧き水がある。「常陸国風土記」信太郡の条に、「郡家の北10里(約5km)のところに「碓井」がある。古老の話では、景行天皇が「浮島」(現・稲敷市浮島)に行幸になったときに、差し上げる飲料水がなかった。そこで、占いによって吉となる場所を何ヵ所か掘らせた。それが、今も「雄栗」の村にある。」という記事がある。「信太郡家(郡衙)」は現・美浦村信太付近(前項「楯縫神社(美浦村信太)」参照)とされているので、方位は北東になるが、「碓井」・「雄栗」が「陸平貝塚」付近にあったものと考えられ、「ぶくぶく水」がその井戸だったのではないか、ともいう。
因みに、「陸平貝塚公園」の北側(台地の北端、霞ヶ浦を見下ろす位置)に「大宮大神(大宮神社)」が鎮座している。社伝によれば、白雉元年(650年)に生田長者満盛が氏神として創立、白鳳元年(673年)に伊勢大神(天照大神)を奉斎、奈良時代に阿部仲成(安部仲成。「安中郷」の名の起こりという。)が朝廷の許しを得て正式に勧請し、安中郷24ヵ村の総鎮守となったという。社伝が真実なら相当な古社だが(「常陸国風土記」(「釈日本紀逸文」)によれば、信太郡の建郡が白雉4年(653年)である。)、縄文時代から集落があり、その絶好の場所に鎮座していることを考えれば、古くから祭祀が行われていた可能性はあると思われる。


美浦村のHPから(陸平貝塚公園のご紹介)

茨城県のHPから(ぶくぶく水)

茨城県神社庁のHPから(大宮大神)


写真1:「国指定史跡 陸平貝塚」の石碑


写真2:同上、説明板


写真3:「陸平貝塚A貝塚」


写真4:「陸平貝塚公園」


写真5:同上、復元竪穴式住居


写真6:「大宮大神」(大宮神社)正面


写真7:同上、社殿
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