92歳になる宮大工の棟梁が「わしも歳取った。そろそろかな」と。そう言いながらも「元気を貰える」と度々お寺に来ては修繕作業を。「棟梁、納骨堂の1階に永代供養壇(合祀壇)を作らなあかん。まだまだ永眠なんて贅沢は出来んばい。用事が終わったら逝かせてあげる」と。「まだ死ねんか」と笑顔で。
女房殿には度々感心させられる。同居するわが母親が皿を割ろうが物を壊そうが全く怒らん。「本来なら寝込んで手が掛かる年齢、自分で何でも出来るだけでも子供孝行。生きてるからには何か用事がないと張り合いがない。皿は割ったら買えば済むこと、怪我だけ気をつけてくれれば」と。女房殿は男前にて。
諺に「可愛い子には旅をさせよ」が。苦労、我慢をさせて育てよと。昔と違い難しいかな。現在この国は物が溢れかえり工夫して活かす必要のない使い捨ての環境。信仰が貧困の場所から広がる様にハングリーは必死になる要因の一つ。だからといって故意に悪い環境を与える必要は。さあ、親は思案の見せ所。