太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何かがふっ切れた?

2021-06-03 08:14:30 | 社会観察
 今までは政府に気兼ねして奥歯に物が挟まった物言いだったコロナ対策分科会の尾身会長。ここにきて過激(本音)とも言える発言が目立つようになってきた。東京オリ・パラに関して国会で「今のパンデミックの状況で開催するのは普通はない」と指摘した。そのうえで「こういう状況の中でやるというのであれば、開催の規模をできるだけ小さくして管理の体制をできるだけ強化するのが主催する人の義務だ」と述べた。また「なぜ開催するのかが明確になって初めて、市民は『それならこの特別な状況を乗り越えよう。協力しよう』という気になる。関係者がしっかりしたビジョンと理由を述べることが極めて重要だ」と。さらに「仮にオリンピックをやるのであれば、国や自治体、国民に任せるだけではなく組織委員会も感染の最小化に向けて最大限の努力をするのは当然の責任だ」と述べた。同時に「何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない」と指摘。世論調査くらいしか国民は意思表示する場面はないが個人的には世論調査も来ていないからよくぞ言ってくれたと言わざるを得ない。責任ある専門家として至極まっとうな意見であり何かがふっ切れたのか役職辞任覚悟なのか。しかし必ず責任転嫁だとか職場放棄だと批判する者は出て来る。気にすることはない。バックアップには溜飲を下げた多くの国民が居る。
 何故そこまで無理をしてという理由が見つけられなくてモヤモヤしていたら首相から答えが返ってきた。「アスリートは障害者も健常者も様々な壁を乗り越える努力をしている。そうした努力をしっかり世界に向けて発信していく」ことだそうだ。そうか。災害時など社会が困難な状況のときよくアスリートが「国民に少しでも勇気を与えられたら」と一見美しい言葉を発することがある。ひねくれ者としては、そう簡単に勇気はありがとうと受け取ることなどできない。思い上がりではないのとつい思ってしまう。記憶に残るところではブルーインパルスの曲芸飛行のとき同じ言葉があり、どういう形で受け取れば良いのかさっぱり分からなかった。アスリート以外にもコロナ禍で壁を乗り越えようと努力している人達は山ほど居る。どうみてもアスリートによる発信が開催の大義とは思えない。勿論アスリートに非があるわけではない。やるならオリンピックという冠を返上し可能な競技の世界大会にすべきである。中継は24時間TVがいいだろう。オリンピック開催は温存しておき次の機会まで捲土重来を期す。


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