太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

涙なしには見られない

2019-02-10 09:46:35 | 思い出話

NHKのBS放送で、「ボルトとダシャ マンホールチルドレン20年の軌跡」を見た。静かな感動と涙を誘う秀逸のドキュメンタリーである。モンゴルは民主化(1990年)直後プロジェクトで何度も訪れた懐かしい国である。当時は市場経済の始まりで大混乱の時期であった。人々は市場経済の意味も良く分からず金儲けのために悪戦苦闘していた。オフィシャルレートで1$=4トゥグリク(Tg)という時代で既に闇レートも現れ、100$も交換したらレンガに近い札束になった。それでも街は意味のない活気に溢れていた。多くの人が一攫千金を求めていた。マンホールチルドレンはまだ話題になっていなかった。

急激な市場経済化の中で成功する者、しない者がハッキリ分かりだしたのはプロジェクト終盤の90年代後半である。この頃、初めてマンホールチルドレンの噂を聞いた。街にも昼間から結構酔っぱらいが居た。ウランバートルの冬は-30℃にもなりとてもホームレスが生きていける世界ではない。地下には街中温水配管が張りめぐらされていた。これが無ければ一般の家庭でも冬は越せない。マンホールの中は温水配管の熱で暖められている。ボルトとダシャ二人の少年、少女のオユナという中学低学年の子供達がマンホールチルドレンとなってから20年経った今を追いかけたドキュメンタリーである。20年前のマンホールで暮らす二人の映像をフラッシュバックしながら撮影されているが、よく20年という歳月が自然な流れで繋げられた秀作である。

モンゴルはプロジェクトで何度も行った国であり、雄大な自然や純朴な人柄も忘れられない国である。ただ、モンゴルを撮影した映像は他局でも沢山あったが、良い所ばかり映し出し、現実とは違和感がありあまり見ないようにしていた。今回のドキュメンタリー視点を変えたものであり、ちょっと見ようと点けたら内容が素晴らしかった。知らなかったモンゴルの側面である。私が知っている人達は高級官僚であり、恵まれた家庭の人達だったことが今分かった。

久し振りに見るウランバートルは25年前とは様変わりしていた。それでも中央の高層アパート群の周辺にゲルが建っている姿はあまり変わらない。当時は田舎から出て来た人がビルの生活に馴染めずゲルを建てて生活していると説明された。そのようなゲルを何軒か訪問したことがあるが、小物の土産物屋だったり、若い夫婦が暮らしていた。遊牧民のゲルは移動するが彼らは定住である。どう見ても好んでゲルに住んでいるというより貧しい人達のような気はしていた。

録画を見る人も居るかも知れないから内容には立ち入らないが、マンホールチルドレンは戦争が孤児を生むように、経済社会が生み出す孤児達である。親や家族から引き離された生活に彼らの責任など、ましてや子供に求めるのは間違いである。経済的混乱の中で沢山の家庭が崩壊して行ったのであろう。特にマンホールチルドレンが話題になって来た頃道端に結構酔っぱらいが目立つようになったと思う。

ボルトとダシャ、それにオユナの3人はそれぞれ事情は異なるが親元を飛び出しチルドレンとなった。この3人のその後の20年を追跡したドキュメンタリーであるが、それぞれの人生に親、家族、結婚、子供、友情が複雑に交錯し小説にも書けないような展開が待ちうけていた。それでも疎遠となった親や、離れ離れになった娘との再会などフィクションでも思いつかない展開になる。ラストシーンは結婚生活もうまく行かず、波乱万丈の生活の果て、最後は元のマンホール生活に戻って孤独死してしまったあの少女オユナ。彼女のためにに再び友情を取り戻したボルトとダシャがそのマンホールに入り、彼女が大好きだったアイスクリームを供養のために備える。ここで涙だろう。

まさに小説も叶わないドラマチックドキュメンタリーであった。20年経てば人生は確実に変わる、このドキュメンタリーは今困難な中にある子供達に是非見せたいものである。絶望は決して永遠ではなく長くは続かないことがよく分かるだろう。それは頑張れとか努力せよと言う意味ではない。今ある絶望は永遠には続かないという真実である。アカデミーの総裁で国会議員まで勤めた腕白坊主でモンゴルの頭脳だった友人Dr.チャトラーはもういない。モンゴルも変わる。



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