太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

類似国家群

2018-06-23 09:35:51 | 仕事に関すること

数年前に太陽光発電の普及は時期は異なるがどの国も似たような発展プロセスを辿り最後は似たような状態(類似国家群)が出来あがるとモノの本に書いた。ある瞬間を捉えると国や地域の実情に則した独自の発展プロセスを歩んでいるように見えるが実はいつかきた道を歩いている。最近世界No1の導入、生産国である中国がFITの買取量キャップが設けられ買取単価も下げられると聞く。確実に市場は停滞し冷え込んで行くことが予想される。理由はヨーロッパや日本で起こったことと同じであろう。急激な市場拡大による様々な弊害が露見したのだ。他国の過去の経過を見て居れば明らかに分かることである。日本もドイツを中心としたヨーロッパの経験を見ていたが、自分達は違う、もっとうまくやると思っていた(違いたいと思っていた)のだが結果は似たようなものである。どうも最も難しいことは「歴史から学ぶ」ということであるように思う。自分達は違う、そうはならないと信じ切っている。

企業活動にも似たようなところがある。かっては他国と合弁企業を作り一時期華やかな時期もあったが、こちらは相手国の事情あるいは合弁相手の躓きにより継続して発展した例が皆無である。今回は某会社が海外合弁、あるいは出資に活路を求めたが上手く行っていない。自社単独のコントロールより遥かに難しい事業に手を出した結果である。最近は太陽光発電の関連する出来ごとで海外を含めて勢いを感じることが皆無である。

だからと言って太陽光発電が無用の長物とは思わない。単純に光からエネルギーを取り出す、しかもその光は人体にも影響しない程の希薄なエネルギー源であり、資源ではなく環境を利用しているのである。本格的に注目されてから60年以上経過している。しかもこの間世界のどこでも一度たりとも否定されなかった技術である。今更不要と決断したら如何に我々がバカな事に時間とお金と努力を費やしたかということになる。否定があったとしたらもっと早くなされてしかるべきである。

残念ながら未だに世界にその先例が無いが、課題はこの技術を如何に上手く使いこなし、普及拡大が頓挫しない社会システムを作りあげるかにある。一つは希薄なエネルギー源でありながらエネルギーには違いない。エネルギー問題を果たして市場経済の流れに全く委ねてよいもんかどうかである。そこにはある程度の国としての関与が必要なのではないだろうか。これは原発に関しても同じである。勿論最終の選択はユーザーである国民であるが、選択肢が市場経済に埋没しては選択すらできない。コンシューマー商品とは明らかに違うエネルギーの世界である。

一番遅れてやってきた中国が今踊り場に差し掛かろうとしている。まだ世界の何処もこの踊り場から抜け出てはいない。多分一番早く抜け出るのは中国ではないかと思っている。自由経済から計画経済への微妙な転換が可能だからである。国が方針を打ち出せば必ず実行できるという強みがある。コストさえ下がればと盛んに宣伝している国が最もこすとが下がったらどういう世界が開けるかを描いていない。少なくと自家消費は増えると思って蓄電技術と組み合わせる方法もあるがそれでは電気が売れなくなり電気代が上昇し反対する勢力も必ず現れる。系統に安い電気を誰かが買ってくれると言っても流すだけの系統に受容力は無い。英国への原発輸出に絡み、この経験を国内原発の新・増設にも生かせ、そのためには原発電力の買上げ(原発FITの再燃)などの国の支援もとある社説は言っている。一体この国はエネルギー問題で何処に向かおうとしているのか。メーカーの実情は海外展開の例や展示会を見るまでもなく風前の灯である。国内メーカーが消えた後、必要なら安いものを海外から輸入すれば良いというのだろうか。それは化石燃料の輸入とどこが違うのだろうか。



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