太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

生活音も消えた街

2020-06-29 07:16:01 | 日記

昨日は目を閉じれば森の中の別荘で樹々の葉を打つ雨音だけを聞いているような1日だった。ちょっとロマンチック過ぎる。住宅街であるが生活音が全くなかったのである。豪雨に見舞われ家の前を通る車さえない。日曜だがコロナのこともあり敢えて外出は控えたのだろう。お隣のアフガン家族は平日は仲間の子供を預かっているらしく嬌声を上げて遊び回る4,5人の学齢前の子供が煩いのだが日曜は人が住んでいないかのように静かである。今日から再び台所の工事が始まる。行くところも無いのでまた釣りに出掛けてみよう。もし釣れても今家で捌けないので誰かにあげるつもりだ。結構釣り場ではあげたり貰ったりすることはある。中には魚を食べるのは嫌いだが釣りは好きという人も居るが有難がられるとちょっと気分が良い。それにたとえ釣れなくても別の目的がある。少し日焼けすることだ。年が行くと多少色黒の方が健康に見える。先日の釣りで今少し腕と頬が赤くなっている。これを仕上げなければならない。

コロナ感染は東京で60人、全国でも113人と緊急事態宣言解除後最も多くなった。しかも漸増状態が続いている。クラスターの発生が目立っているが特にキャバクラやカラオケ店が顕著である。恐らくこのまま何もせず自主的対策だけを期待することはできないだろう。何らかの規制を掛けざるを得ないように思う。年が行き群れて遊ぶのを好まなくなったのが幸いか自身の生活には関係ないが、客は我慢で済んでも経営側は再び死活問題となる。やはり驚くべきは我々の普段の生活では他人の呼気を相当吸気していることだ。勿論全てが悪い事ではなく人類は他との交雑の中で遺伝子の中に様々な耐性を取り込んで生き延びて来た。純粋培養は却って特定の病原菌に弱い場合がある。知らない間に多種のウィルスを取り込んで抗体を形成してきたのも事実である。たまたま感染力と毒性の強い未知の新型コロナに襲われているのが今である。我慢で防げるものではないような気もするが我々が出来ることは我慢しかない。



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