鳥取県のある町で地銀の支店が撤退するのを受けて町が預金を解約して他の金融機関に預け直した。職員の給与等の振り込みも他に変えるという。地元にあるという利便性が無くなれば当然のことかも知れないがニュースには地銀の撤退に対する町の「抵抗」と報じている。まさか抵抗したら何かが変わると思ってのことでも逆恨みからでもなくあくまで利便性からとは思うが、ニュースの伝え方には問題がある。一歩間違えば風評による取り付け騒ぎにもなりかねない。伝え方には大いに問題がある。言論の自由が日本より遥かに主張されるアメリカではメディアが様々なことをある意味無責任に伝えることで腹が立ってトランプさんはFake News と決めつける。一部には真実が含まれているのであろう。日本のような村社会では風評が命取りになるし、風評を流して逃げてもどうせ海岸で捕まるから極端なFakeは無い。しかし、これがある意味命取りになる。概ね常識的であり、真実だと信じ込んでしまう傾向がある。Fakeがあると思えば慎重になって本当のところはどうなんだろうと思う習慣が身につく。日本人は信じやすく騙されやすい。それだけ正直者が多いということもできるのだが。
気になるのはTVである。ワイドショー花盛りで色んなテーマが取り上げられ、無責任なコメンテーターが意見を言うが、このワイドショーと報道番組の垣根が無いことである。ワイドショーはあくまでバラエティ番組だとは思うがつい信じこんでしまったりシンパシーを感じることがある。ネットニュースは出所の曖昧さからさらに多様な、無責任なものが流されるが裏をとっているものがどれだけあるのか判別し難い。その意味では顔が見えるワイドショーよりさらにFakeの危険性は増す。新聞は読まずにネットでとという若者は多いが、どれほど信頼を寄せているか、意外と冷静に見ている可能性は大きい。寧ろ、新聞は真実を伝えていると信じ込んでいる年寄りの方が意外と騙されやすいかも知れない。
犬が人を咬んでもニュースにならないが、人が犬を咬むとニュースになると言われる。もし、本当に人が犬を咬んだらだらどう伝えるか。
ネットでは、「犬社会で恐れられている狂人病」
大手新聞では、「病んできた精神社会」
某国業界紙では。「生肉は危険、あの犬種はそれほど美味くないはず」
ペット業界では、「人間こそ鬼畜である」
猫新聞では、「外国のできごとだが我々も気をつけよう」
宗教新聞では、「互いに咬み合っているから両成敗」
ワイドショータイトルでは、「獣医師を呼ぶべきか、精神科へ連れて行くべきか苦渋の選択」
てなタイトルになり兼ねない。ネット全盛時代、イジメにも似た集団行動は実際に手を下すより遥かに大きな影響がある。本当のところはどうなんだろうと常に考える習慣を身に付けなければならない。ただ、SNSであの人は猜疑心の塊とか、天の邪鬼と揶揄されることはある程度覚悟する必要はある。