333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

ルールは発見される、ルールは変更される

2009-06-10 00:53:16 | SP(Standard Program)
●前に一緒にメシを食っていた時に、知人が急に「そうか!俺は首を見ていたんだ」と言い出したことがありました。別に知人は敵対する部族の頭部を切断してコレクションしているわけではありません。単純に彼は「女性の美しい首すじに惹かれる」と言いたかったようです。ポイントは「ああ、うなじ好きね」ということではなく、知人が「自分が異性の首を見ていた」ということを“発見”したことにあります。

●たまに「ルールは破られるためにある」という言葉がありますが、個人的にはその言葉よりも「ルールは発見されるためにある」というフレーズの方がしっくりきます。ルールは作るものでも、守るものでも、破るものでもありません。ルールは知らぬまにどこかで生まれ、熟成されて、ある時に“発見”されます。先の知人のように自分で発見するケースもあれば、第三者によって発見される場合もあります。

●例えばある時にあなたは自分が「相手の手の指にこだわりがある」ことを発見します。例えばです。想像してください。それは結構な驚きです。自分はそれまで自分であろうが他人様であろうが、指なんでどうでもいいと思っていました。しかし、ある時に自分の感情が揺れ動く瞬間にはいつも「美しい指」があったことに気づきます。人はこうしてルールを発見します。「俺は“さっぱりした味”が好き、ということに決めた」という人はいません。「俺って、さっぱりした味が好き…ということみたい」と発見するだけです。

●そして、もうひとつルールについて。多くの勘のいい方はお気づきでしょうが、そのルールは時に…変更されます。自分はさっぱりした味が好きだった、人の指にこだわりをもっていた。しかし、ある瞬間に指が異様にゴツい人に惹かれたりします。恋人の作る濃い味の料理に魅了されたりします。たまに本などで「できる大人は自分の作法を持っているものだ」なんて書いてあったりしますが、実は本当に魅力的な大人は「自分の作法が知らぬまに生まれ、何かの作用で変更されてしまうことの戸惑いと恍惚を知っている人」なのではないかと思うのです。

●人間のこだわりは時として美徳とされます。自分の中にルールがあり、それを遵守する人間は何だかカッコよく見えます。しかし、自分の中の確固としたルールが何かの出現によって、あらぬ方向にねじ曲げられてしまう経験は、予想以上に芳醇なものではないでしょうか。ここ最近、自分の作ったルールや作法に執拗にこだわる人が増えているように感じるのですが、その度に「予想もしなかったルールを発見し、予想もしなかったルールへと変更される」ことの恍惚と実りについてぼんやりと考えてしまいます。

●では本日の音楽はそんな話とは一切、関係なく…yanokamiで。