ゆも庵

トイガン好きの多分トイガン中心Blog

ショップ小僧の思い出

2020年05月05日 | 日常

大学受験に失敗した18の春。

私はSWATのおいちゃんとおばちゃん(社長夫妻)に「店で使ってください!」と頼み込み、モデルガンショップの小僧になりました(^^)/

たまに顔を出す高校生でしかなかった私をよく雇ってくれたものだと思いますが、そのおかげで今の私があり、二人には今も感謝しています。

小僧の仕事は店の前の掃除から始まります。

その後、自動販売機へジュースの補充、レジへ釣り銭補充、ショーケースを磨きます。

ショップのショーケースに寄っ掛かって話すお客さんがいますが、何かの拍子でガラスが割れて店に多大な迷惑が掛かるのでショーケースには寄りかからないよう気をつけましょう。

SWATでもショーケースのガラスが割れてしまい、換えのガラスが高かったので、おいちゃんが透明ポリカネード板を切り出して代用したことがありましたが、所詮プラスチックなので、あっという間に傷だらけになり、何が飾ってあるか分からなくなりました(泣)

店が開いてからは接客は当然として、

 ・午前便で問屋から送られてきた商品の検品と在庫棚への片付けと新製品の展示

 ・通販の発送準備(梱包と宛名書き)

で昼になり、近くのうどん屋かホカ弁で食べてから

 ・通販の荷物を発送(小物は郵便局へ持ち込み、大物は宅配業者に集配を依頼)

そうこうしているうちに通販の現金書留が届き、

 ・注文内容を確認して、通販リストに記入し、荷造りと当日発送が可能な商品の発送

空いた時間には

 ・オリジナル商品のSWATゴーグルの作成(特注のポリカ製レンズを作業ゴーグルにはめ込む。レンズがめちゃ硬くて慣れないと指の皮が剥けてしまうので注意)

 ・カスタム製作の手伝い(おいちゃんが製作した迎夢X-1等の塗装等。サバゲーブーム最盛期のときは、くしゃみしたら黒い鼻水が出るくらい塗装しまくってましたw)

をしながら夕方から増えるお客さんの応対をしていると閉店時間となり、店内の掃除をして、その日の売上とシャッターを閉めてからおいちゃんとおばちゃんと一緒に晩飯を食べさせてもらい帰宅。といった毎日を送っていました。

たまにおいちゃんとおばちゃんが不在のときは私が開店から閉店まで一人で店番してるなんてこともあり結構ドキドキでしたねぇ。

ショップで働くメリットは何といってもモデルガンに触れられること!

自分では買うことのできない貴重なモデルガンも現物を手に取って知ることができたのは、その後の私を方向づけました。

当時SWATにはカスタム製作のための小さな作業場があり、好きに使わせてもらえたのも有り難かったです。

グラインダーや大型の万力、手打ち刻印ツールや多くの工具が揃っているので私は色んな加工を試すことができました。

残念ながら私のカスタムの腕前は上がりませんでしたが、素材の特性や加工法について学べたことは大きかったです。

他のお楽しみはベテランの常連さんから聞く体験談と貴重なコレクションを見せてもらえることでした。

発火が難しいハドソンのマドセンを1マガジンきれいにブローバックさせたり、「こんなカスタム作った」と見せてもらえるのは楽しかったですねぇ。

六研の真鍮モデルガンも持たせて貰ったりしてましたが金属モデルガンに興味のない私は「これが六研かぁ、ふ~ん」くらいの猫に小判の反応でしたw

SWATならではの良かったことは、おいちゃんと親交のあったイチロー・ナガタ氏が度々訪れてくれたことです!

コンバットマガジンのレポーターだったイチローさんを生で見られたのは東京以外ではSWATだけだったのでは?

この頃、Yさんは大学生で店に顔を出していましたが、住まいが遠かったので長時間滞在することが少なく、就職でSWATの近所に引っ越してから顔見知りになりました。

その後店が中心地の天神に移転してから故障したトイガンをボランティアで修理してくれるようになり、週末は私と二人で店に立つことになりました。

モデルガン全盛期だったこともあり、ジャパンビアンキカップに対抗してSWAT主催のモデルガンシューティング大会を開催したり、福岡で初めてのサバイバルゲームに参加したりと色んなことで遊びました。

そんな生活が6年程続き、私が就職で関東に旅立つこととなり、スタッフ一新を機にYさんもカウンターに立つことを辞めてお客さんに戻りました。

その後も先輩後輩として30年以上のおつきあいが続いています。

行動の原動力は明確なビジョンだという説がありますが、6年間の体験が今の私を動かしていることは確かです。

モデルガンというニッチな道楽にドップリ浸ってしまったおっさんの思い出話です。

 


4 コメント

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思い出深い写真とお話 (GFC)
2020-05-05 11:17:00
楽しませて頂きました。

この頃のお店にお店に行ってみたかったですね。
近場に本格的なガンショップは無かったですので、お店に行くだけでも大変でした。
白黒の写真、良く見えませんが今では大変貴重な物ばかりなのでしょうね。MGCのM31RSが当たるって、太っ腹ですね。
年をとると (GFCさんへ)
2020-05-05 11:58:35
思い出話には事欠かなくなりましたw

GFCさんとも10余年のお付き合いになりますので、年をとるわけです。

関東には本格的なショップがたくさんなんだろうなぁと羨ましく思っていましたが、GFCさんのお話を聞くと、そうではなかったことを知り、自分が幸運だったことを実感しました。

当時のSWATはコンバットマガジンの小さなモノクロ広告で、なんとか知名度を上げるため、太っ腹なプレゼント企画をやっていましたねぇ。
これが口先だけの嘘ではなかったことはプレゼントを発送していた私が保証します。
懐かしい (TOM)
2020-05-06 23:07:23
最初の写真は荒田のお店ですね。
私も荒田からのお付き合いですから、30数年になりますか。
オリジナルゴーグル、モデルガン・エアガンの様々なカスタム・・・どれも懐かしい思い出です。
そう言えば、私の頭にパッと浮かぶJUMOさんのイメージって、なぜか学生服姿なんですよね。
店員されていた時に散々私服姿を見ていたはずなんですが(笑)
高校生の頃から (TOMさんへ)
2020-05-07 00:42:27
下校途中に店のカウンターに立っていましたから、そのときは学生服でした。
TOMさんは私が高校卒業する前に就職して福岡を離れたので多分それが理由じゃないでしょうか?

当時おいちゃんが夜タクシーに乗っていたので、ある日私が店でGun誌読んでいるときに「裏で寝てくるけん、お前暇なら店番しとけ」と言われたのがカウンターに立つようになったきかっけでした。

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