じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

小沢冬雄「黒い風を見た・・・」

2021-03-13 14:48:06 | Weblog
★ 本棚に溜まっている比較的マイナーな作品を読み始めた。

★ まずは黒田晶さんの「メイド イン ジャパン」(河出書房新社)。第37回(2000年)文藝賞受賞作と言う。帯に「全選考委員が不快感と絶賛、衝撃指数100%」「作者の首を絞めたくなる不快な作品」とあったが、冒頭から児童ポルノに児童虐殺。この衝撃にはさすがに耐えられず、数ページでリタイアした。

★ 続いて、谷川直子さんの「おしかくさま」(河出書房新社)。第49回(2012年)文藝賞受賞作。東日本大震災後の日本。離婚を機に心を病んだ女性が「おしかくさま」(お金の神様ーホームページやATMを利用する現代的な新興宗教?)とかかわる話(のようだ)。最後の方が面白いというが、これも10頁余りで挫折してしまった。小説との出会いは縁のものなので。

★ そして、小沢冬雄さんの「黒い風を見た・・・」(新樹社)。第74回(1975年)芥川賞候補作。この期の受賞作は中上健次さんの「岬」で、その後、第75回(1976年)村上龍「限りなく透明に近いブルー」、第77回三田誠広「僕って何」って続くから、芥川賞も転換期だったのかも知れない。

★ 「黒い風を見た・・・」は中編ということもあり読み切った。戦中の話。「皇軍」は米英を蹴散らし、大東亜を築くために快進撃を遂げていた。ミッドウェー海戦でも大きな戦果を挙げ(国民にはそう知らされていた)ていたころから、ガダルカナルの日本軍が転進(決して撤退とは言わない)し、山本五十六司令官の搭乗機が撃墜されるころまで話。

★ ある農村の小学校の様子。教育と言っても皇民として死ぬ心構えが教えられ、日々戦闘の訓練が繰り返えされていた(貧弱な装備と結局は精神論頼み)。村の瓦屋に奉公しているチュウ公という男性。吝嗇な親方に虐待を受けながらも、身寄りがないのでどこにも行けず何とか生き延びている。しかしその生活に堪えられなくなったチュウ公は逃走し、村外れに住む今でいうホームレスの人々と同居する。それを快く思はない瓦屋の親方や学校の教師たちは彼らを襲撃するのだが・・・。

★ 今では使いにくい表現(放送禁止用語)がたくさん出てくる。戦局が悪化する中で、人々の生活が変化していくところが興味深かった。
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「茶の十徳」

2021-03-12 15:33:15 | Weblog
★ 地方紙「京都新聞」、そのまた地域版「山城」の紙面の「随想やましろ」というコラムで、宇治商工会議所副会頭・小山茂樹さんが「臨終不乱」という文章を寄せられている(2021年3月12日朝刊)。

★ そこで紹介されているのが「茶の十徳」。鎌倉時代の初め、茶祖・栄西禅師の弟子、明恵上人が京都右京区の高山寺の境内に茶の種を蒔き、そのとき茶の効能を十か条にまとめたものだという。

★ ①諸天加護 から始まり、②父母孝養、③悪魔降伏、④睡眠自除、⑤五臓調和、⑥無病息災、⑦朋友和合、⑧正真修身、⑨煩悩消滅、⑩臨終不乱の10か条。

★ いささか過大評価とも思えるが、カテキンやカフェインなどと言った化学物質が解明されていなかった時代、茶を嗜んだ人の体験から生まれた効能なのだろう。

★ 本棚を漁ってみると、昭和30年発行の裏千家「入門必携」という冊子(財団法人今日庵発行)があった。多分、父が茶道を始めた時、頂いたものであろう。その24頁にも「茶の十徳」が書かれている。

★ ついでに他のページも読んでみると、宗家による「茶道とは何か」が書かれていた。「茶は渇きを医するに止まる」という利休の言葉。それは、肉体的な渇きを癒すに留まらず、精神的な求道、自己修練にも通じるとか。茶道、華道、仏道、更には柔道や相撲道まで「道」という考え方は興味深い。ゴールがあるようで果てがなく、日々の修練こそがゴールであるようだ。 

★ そう考えれば、「十徳」第10番目が「臨終不乱」というのも理解できる。「臨終正念」とも言われるが、臨終に臨んで迷いがなく、苦しみもなく旅立ちができること。「死」は「生」を受けた者の宿命。「デス・エデュケーション」などと言った言葉もあるが、有限であるがゆえに、限られた時間を楽しみ、日々豊かに生きたいものだと思った。
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ドラマ「真犯人」

2021-03-11 12:50:53 | Weblog
★ 翔田寛さん原作のドラマ「真犯人」(2018年)を観た。面白かった。

★ 東名高速道路沿いの空き地で男性の刺殺体が見つかる。男の身元を調べる中で、40数年前の児童誘拐事件との関連が明らかになっていく。 

★ 40年前の誘拐事件、その10年後の再捜査、そして現在(2015年)と3つの時代が描かれていた。どの事件にも再捜査の指揮を執った重藤成一郎(誘拐事件時は警部補、再捜査時はノンキャリアの警視、現在はある出来事のために辞職したあと引退している)が関わっていく。

★ 重藤を演じた上川隆也さんの老け役が良い。「遺留捜査」で上川さん演じる糸村刑事とコミカルな絡みをしている甲本雅裕さん、ここではちょっとやんちゃそうな熱血刑事を演じていた。

★ いぶし銀のような刑事役をでんでんさん。「誘拐」された児童の祖父役を北見敏之さん。どちらも良い味だ。キャストを交換しても面白かろうが、やはり、このままの方が良い。

★ 現在の捜査を担当する刑事役を小泉孝太郎さん。上川さんとの絡みも良い。

★ 「真犯人」は誰なのか。最終回までヤキモキさせるが、それがサスペンスドラマの醍醐味だ。刑事魂にも感銘した。
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宮沢賢治「風の又三郎」

2021-03-10 16:15:03 | Weblog
★ アマゾンプライムで1940年の映画「風の又三郎」を観た。

★ 田舎の小さな小学校。先生が一人で1年生から6年生までが1つの教室で学ぶ単級学校だ。9月1日、二百十日にあたるこの日に、風変わりな転校生がやってくる。まだ着物姿が普通だった時代に、彼は洋服を着ていた。見知らぬ少年に恐れと好奇心を持つ子どもたち。そこは無邪気なもので、自然と仲間意識が芽生えてくる。いつしか彼は「風の又三郎」と呼ばれるようになる。

★ そして9月10日。二百二十日のこの日に、台風と共に少年は姿を消す。先生は急な転校だというが、子どもたちは風の神様「又三郎」が北に帰ったと思い、雲に向かって叫ぶ。 

★ 映画「スタンド・バイ・ミー」のような冒険的要素もあり、出会いと別れを通して、成長する子どもたちが印象的だった。1940年と言えば、すでに日中戦争が始まり、太平洋戦争も目前だ。国威発揚が奨励される時代の中で、よく撮れたなぁと思う。(猫の額ほどの校庭に高く掲揚された日の丸に礼をする子どもたちの姿はあったが、国家主義的な雰囲気は感じられなかった)

★ 映画を観た余韻で、宮沢賢治の「ポラーノの広場」(新潮文庫)から「風の又三郎」を読んだ。原稿の散逸があり、また宮沢賢治は改稿を重ねるので、つじつまの合わないところもあるようだが(映画ではうまく埋め合わされていた)、あらすじは映画通り。原作で「又三郎」は星の王子さま」のような容姿に描かれている。ファンタジー小説のようだ。

★ 時代は変われども、子どもたちの元気さは変わらないなぁと感じた。
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映画「海にかかる霧」

2021-03-09 15:06:46 | Weblog
★ ドラマ「監察医 朝顔」第2シーズンは、いよいよ終盤。ドラマとは言え次々と苦難に見舞われる万木・桑原家。遂に朝顔の母親の遺骨が・・・。泣ける回だった。東日本大震災から10年。この間に逝った人、生まれて来た人。自らの境遇と重ね合わせて感動した。

★ 柄本明さん演じる朝顔の祖父。いいなぁ。とてもリアルだ。そして遂に・・・。

★ 高校入試が一段落したので韓国映画を2本観た。

★ まずは「犯罪都市」(2017年)。2004年にソウルで実際にあった暴力団の抗争事件とそれに対処する警察を描いたアクション映画。中国からやってきた朝鮮族のアウトロー3人組がとにかく暴力的だ。(アニメ「呪術廻戦」のようだ)。理不尽な暴力の連続だが、ハラハラしながら夢中で観てしまった。

★ 2本目は「海にかかる霧」(2014年)。こちらも2001年に起こった実話をベースにしているとか。不漁でカネに困った漁船の船長が、中国からの密入国に加担するというもの。警備艇の目はあるものの、人を送り届けて終わりという簡単な仕事のはずだった。ところが歯車が狂い出す。そして多くの密航者を乗せた漁船は地獄と化す。

★ とにかくカメラワークと編集の技だろうね。漁船に乗っているかのような臨場感を感じた。最後のシーンは、音楽で言うなら不完全終止。こういう終わり方は後を引く。
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川上未映子「刺繍糸」

2021-03-08 10:22:19 | Weblog
★ 3月8日、今日は京都府公立高校の中期試験だ。今頃、塾生たちは問題に挑んでいることだろう。彼らが実力を発揮できるように祈るばかりだ。

★ 新聞によると、今日は「ミツバチの日」だという。それに「国際女性デー」だとか。それを記念してか、朝日新聞に川上未映子さんの「刺繍糸」という作品が掲載されていたので読んだ。

★ コロナ禍の中、パートを切られた女性。居酒屋を営んでいた夫と二人暮らしだが、臆病な性格が災いしてか経営が傾き、感染症がだめ押しとなって廃業。借金だけが残ったという。夫は仕事のない苛立ちからか、妻に愚痴を繰り返す。そうかと思うと、自らの兄への借金を妻に指示する。夫は心の余裕をなくしているようだ。そんな夫に、仕事を切られたことを打ち明けられず、女性は公園のベンチで長い一日を過ごす。

★ 閉塞した痛みがまるで内出血のように彼女を苦しめる。ふと、彼女は道ばたに落ちている刺繍糸を拾う。純白の刺繍糸。彼女はそれを指に巻く。変色する指先。彼女は少し笑って「刺繍糸では死ねないな。」と言う。

★ 禍は、より弱いものを苦しめる。自助でしのげる人は良いが、それができない人はどうすれば良いのか。タテマエとしての公助はある。しかし生活保護を受けるにしても、夫の兄へ照会状は届く。要領の良い人なら、詐欺まがいの給付を受けることもできようが、根がまじめだけにそれもできない。

★ 明治時代のインテリは「死ぬか、気が違うか、宗教に入るか」(夏目漱石「行人」)と言ったが、彼はそれを語る人がいるだけ救いがあった。公園のベンチで時間をつぶし、夫の罵詈雑言に堪える彼女を誰が救えるのだろうか。

★ 昔ながらのお節介な人でもいれば良いのだが。いろいろと考えさせられる小説だった。
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松岡圭祐「蒼い瞳とニュアージュ」

2021-03-07 13:24:30 | Weblog
★ 松岡圭祐さんの「蒼い瞳とニュアージュ」(小学館文庫)を読んだ。

★ 歌舞伎町のパブで起こった放火事件。取調室では厳めしい刑事が女性スタッフたちから事情を聴いていた。しかし、そこはジェネレーションギャップに、カルチャーギャップ、中年刑事はギャルたちに手を焼くばかり。そんなとき、同じくギャルの格好をした女性が現れる。臨床心理士、一ノ瀬恵梨香だという。

★ 流行りのバッグやグッズに女性たちは大騒ぎ。一瞬で恵梨香は彼女たちの心をつかんだ。ちょうどそこに居合わせた内閣情報調査室の宇崎俊一。放火事件について官房長官に報告書を上げるのだという。

★ その頃、内閣は爆弾テロの予告で緊迫していた。最新型の高性能爆弾。関東一円が水没し、数千万人が犠牲になるという。内閣官房、内閣情報調査室、警視庁そして自衛隊が爆弾を追う。

★ 捜査の主流から外れた宇崎もまた恵梨香とともに真相に迫る。

★ この作品は2007年にドラマ化されている。一ノ瀬恵梨香を深田恭子さんが、宇崎俊一を萩原聖人さんが演じている。ドラマは相当に脚色され、歌舞伎町の放火事件はキャバクラの監禁事件に、宇崎の身分は内閣情報調査室から警察庁の官僚に変更されている。爆弾事件と同時に、違法薬物(自殺ほう助)事件も盛り込んでいる。

★ 原作に比べてスケールは小さいが、そこは深キョンの魅力で埋め合わせか。
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映画「日本暗殺秘録」

2021-03-07 12:00:00 | Weblog
★ 土曜日はTBSーBS「関口宏のもう一度!近現代史」が楽しい。今日は南京事件まで話が進んだ。

★ たまたまだが、近現代史を描いた映画「日本暗殺秘録」(1969年)を観た。桜田門外の変、大久保利通、大隈重信の暗殺事件も紹介されているが、メインは血盟団事件と二・二六事件が描かれていた。

★ 片岡千恵蔵さん、鶴田浩二さん、高倉健さん、田宮二郎さん、千葉真一さんなど東映のオールスターキャストで描く近現代史だった。

★ こういう映画が興行的に成り立つ時代だったんだね。俳優陣の目の演技、それを映す撮影術が見事だ。

★ テロやクーデターでしか活路が見いだせない、そんな時代があったんだね。
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桐野夏生「日没」

2021-03-05 10:00:19 | Weblog
★ 中学1、2年生の学年末テストが終わった。テスト対策が終わり、ホッとしたので、桐野夏生さんの「日没」(岩波書店)を読んだ。

★ 総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会という聞き慣れない役所から、小説家「マッツ夢井」に召喚状が届く。読者からの提訴があったので、事情聴取の上、宿泊研修を受けてもらうというのだ。

★ 「強制」とは書いていなかったが、それを匂わす文面。彼女は、そこへ向かうことにした。しかし、そこは「療養所」と呼ばれる「収容所」だった。政府にとって不都合な作家や風俗を紊乱する過激な性表現を用いた作家、創作上の設定とはいえ差別的発言を描いた作家たちが収容されているという。

★ 最小限の職員との接触以外、人との交流を断たれ、孤独と不安の中で療養という名の「洗脳」が行われる。抗議も抵抗も許されない。それは「反抗」とみなされ拘束という懲罰を受ける。精神疾患と診断され、薬漬けの拘束。自ら死を選ぶか、それとも転向するか。極限状態の中で、終盤を迎える。

★ 「収容所」での生活場面は少々退屈だが、それは読者を作品に引き入れるトリックなのかも知れない。

★ 表現の自由が「自主規制」される時代、危機感を感じる表現者ならではの作品だ。ふと気づけばいつしか戦前の「検閲」が復活しているなんてことになりかねない。

★ スターリン時代の強制収容所を描いたソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィッチの一日」(木村浩訳、新潮文庫)。主人公は最後の場面で、懲罰を受けず、重労働にも回されず、食事を食べ、病気にもならなかった1日に満ち足りた幸福感を感じている。極限状態にあるにもかかわらず。生きる強さなのか、それともそのささやかなプラス思考こそが生を留める方策なのか。

★ より大きな視点で見れば、人はみな「シャバ」という収容所の住人なのかも知れない。
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石持浅海「心臓と左手」

2021-03-03 22:36:22 | Weblog
★ 石持浅海さんの連作短編集「心臓と左手」(光文社文庫)から表題作と「貧者の軍隊」を読んだ。どちらもパターンは同じながら、ひとひねりある。

★ まずは「心臓と左手」。近隣から「例の家」と呼ばれる住居。そこには新興宗教の「教祖」が住んでいた。「教祖」が秘術で病を治すと言った、ありふれた宗教だが、医師から見放された「信者」は「教祖」の教え通り生活を改善することによって、病を克服していた。

★ 「信者」はそこそこ集まっているようだが、強引な勧誘をするでもなし、派手な宣伝をするでもなし、奇妙な服装や言動をするでもなし、ましてや高額な寄付を求めたり、世直しなどと言うでもない。地味な活動を行っていた。そのためか、奇妙がられてはいたが、住民からの苦情もなかった。

★ ところがその「例の家」で悲惨な殺人事件が起こった。教団幹部3人と損壊された教祖の遺体。教祖は胸を開かれ、左腕を切断されていた。

★ 「貧者の軍隊」も、これもある住居で起こった殺人事件。その住居には4人のサラリーマンが同居していたが、実は彼らはテロ集団だったという話。

★ 「心臓と左手」など大見え切って「勧善懲悪」とならないところが面白い。確かに人は死んでいるが、果たして誰を裁けばよいのかと迷う。

★ イカサマ宗教でも(実際の「宗教」と言われるものも似たようなものだが)病を治し、人々を苦しみから救えば、それはそれで有意義なことだ。それでいくらかの布施(寄付)を得たとしても法的に問題があるわけではない。

★ どちらのエピソードも警視庁の大迫警視が沖縄の事件で知り合った「座間味くん」と話をする趣向で真相が明らかとなる。この二人のやりとりが面白い。

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