じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

教員養成制度

2009-10-15 10:54:33 | Weblog
★ いかなるカリキュラムや教材があっても、教育実践の成果は最終的には教員の資質・力量に委ねられる。教員養成、研修制度の重要性が叫ばれる所以である。

★ 戦後の教員養成の原則である「大学での教員養成」「開放制」が今転換されようとしている。

★ 教員養成は6年制となり、大学での基礎資格の上に「大学院での養成」となる。

★ 「大学院での養成」にともなって、「開放制」の原則はどうなるのかはまだ見えてこない。政府・民主党としては、教職大学院での養成を念頭に置いているようだが、教職大学院は現職教育に大きなウエイトが置かれている。定員や組織自体のキャパシティの問題もある。

★ 教職大学院が主に教員養成系大学に設置されていることも課題となろう。大手私立大学は今後教職大学院を設置するのか。確かに京都のように教育大学と地元の私立大学が提携した連合大学院といった形は考えられる。ただ、それぞれの地域事情があるから一概にこの方法がいいとも言えまい。

★ 乱造して法科大学院の二の舞にならないように気をつけねばならない。教員採用数(率)を競って、教員採用試験対策ばかりするような愚かな大学院がないようにして欲しいものだ。教員採用のあり方も検討されなければならない。せっかく1年間の現場実習を課すのだから、その成績を活用する方法もある。

★ この件に関しても有力校長の「力」や実習中の学生の身分などクリアにしなければならない問題が残されている。そもそも実習校の問題もある。数週間の受け入れでも学校現場は大変なのに、1年となるとそのために現場をサポートする仕組みも必要であろう。一昔前なら「試補制度」だと言って教員組合などから反対の大合唱だったろうに。時代は変わるものだ。

★ 改革を実行するには課題は山積だが、しかし、大切なのはこれからの日本がどのような国を目指すのか、そしてそのためにはどのような教育が求められるのか、その教育を実現するためにはどのような教員が必要であるのか、そうした教員を養成するにはどのような戦略が必要なのか、と言うことである。

★ 現状を踏まえて「できない」「無理だ」と言っていたのでは、新しいことは何もできなくなる。旧弊に堕するのみだ。そしてこれは教育界ではよく見かける光景だ。

★ 世界観、国家像から考えていくと大きな作業になるが、教育が国家百年の大計であることを考えれば当然払うべき苦労であろう。長期的展望と戦略、短期的戦術をうまく組み合して改革していきたいものだ。

★ 市井の私にできることは読書ぐらいだが、水原克敏著「近代日本教員養成史研究」、山田昇著「戦後日本教員養成史研究」、現代教職研究会編「教師教育の連続性に関する研究」、TEES研究会「『大学における教員養成』の歴史的研究」は改めて読んでみたいものだ。
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