じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

ノーベル平和賞

2009-10-09 18:59:26 | Weblog
★ ノーベル平和賞がオバマ米大統領に授与されると言う。

★ 「核のない世界」というアピールは確かに評価できるが、核廃棄あるいは国際管理の過程がまだ不透明なこの時期に授与されるとは、いささか性急な感がある。

★ オバマ大統領が評価されるなら、同時に日本の原水爆禁止運動も評価されるべきだが、そこは大国ゆえのことか。

★ オリンピック誘致について、裏で政治的な動きがあると言った知事がいたが、ノーベル賞にもいろいろと裏舞台があるのだろうか。

★ それはさておき、折角の受賞だ。オバマ大統領の活躍に期待したい。
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「養護」の壁

2009-10-09 04:55:52 | Weblog
★ 学習塾を初めて30年になる。多くの子どもたちと関わりをもってきたが、時代とともに子どもたちの様子も変わってきた。

★ 学習意欲や授業への姿勢が大きく変わった。以前は勉強が得意でない子も「授業」を受ける心構えは身についていたが、最近はひどいものだ。

★ 心の弱さも目につくようになった。傷つくことに敏感で、わからないと思うことは最初からしない、目標を高くしてそれに向かって努力するのではなく、目標を低くして楽にクリアしようとする。

★ 自分の頭で考えようとしない。すぐに答えだけを求める。自分だけを受け入れてもらいたい。認めてもらいたい。集中力がない、などである。

★ そしてもうひとつ。IQが70~80のごく軽度の知的に弱点をもつ子どもたちが各学年に1人ずつぐらい見られるようになってきた。

★ 公教育ではなく私教育の「塾」なのだから、そうした生徒を受け入れないのも一つの選択肢だ。塾としての評判と言う観点からも短期的にはマイナス面の方が大きいだろう。

★ しかし、親としては公教育の学校では欲求が満たされないので、わざわざ「塾」の門を叩いて下さっているのだと思うと、できる限り受け入れたいと思っている。ただ高校受検の壁は必ずやってくる。

★ 高校進学率が50%、せめて80%の時代なら中学で卒業して社会に出ると言う道もあった。農業中心の時代なら、因数分解や一次関数や英語ができなくとも立派に労働力となれた。しかし、中学卒業者のほぼ100%が高校へ進学する時代である。

★ こうした背景からか、養護学校(特別支援学校)が軽度の知的障害をもつ生徒を積極的に受け入れるようになってきた。中学校も一つの選択肢として勧めるようになってきた。

★ しかし、いわゆる境界ラインにいる生徒やその親にとって学校に冠された「養護」という文字は実に重い。生涯その文字を背負っていかなければならないとなると、どうしても躊躇してしまう。

★ 障害が多様化し、養護学校を志望する生徒が増えているとも聞く。ノーマライゼーソンが叫ばれる中で、なぜ学校名に「養護」の文字が必要なのか、最近疑問に思うようになってきた。
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相互連関的統一

2009-10-09 04:14:56 | Weblog
★ 学生時代、ジョン・デューイについて学ぶ授業があった。デューイと言えば、プラグマティズムという思潮に類別され、「学校と社会」「民主主義と教育」の著者として知られている。

★ 「民主主義と教育」では、教育の起源、そして原始的な教育が意図的・組織的なフォーマルな教育へと変遷する過程について、その明快な記述に感銘を受けた。

★ 「社会集団を構成する成員が生まれ、そして死ぬ、という根本的な不可避の事実が教育の必要を決定するのである」(「民主主義と教育」松野安男訳 岩波文庫 13p)

★ 当たり前と言えばそれに尽きるが、社会の維持、発展という観点から教育の意義について述べている点が新鮮だった。

★ デューイは教育学者として知られているが、その思想的背景は実に広く深い。私が彼の思想の中で最も印象に残っているのは「相互連関的統一」という考え方である。

★ 彼は人間と環境との関係を有機的にとらえる。人間は呼吸をしなければ生きてはいけない。食事をしなければ生きてはいけない。しかしそのことは人間にとって実に危険なことである。もし外気が汚染されていれば、食材が腐敗していれば、毒されていれば、たちまち人は命を失ってしまう。

★ 人間と環境とは不離なる関係なのである。

★ 個人と社会との関係もこの延長上で考えられるのであろうか。

★ デューイが「梵我一如」や神秘主義にどれほど関心があったかは知らないが、「相互連関的統一」という考えは実に興味深く感じた。
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「イーグル・アイ」

2009-10-09 00:33:14 | Weblog
★ コンピューター、いや人工知能と言った方が良いだろうか、その人工知能が政府転覆を図ると言う話。

★ 確かに私たちの社会を振り返ってみると、今やコンピューター制御なくしてはありえない。インフラ、情報、経済、危機管理、安全保障・・・。あらゆる分野でコンピューターに頼り切っていると言っても過言ではない。

★ もしもコンピューターが間違っていたら、人類に反抗したらどうなるのか、この映画はそうしたことを問いかけているように感じた。

★ サスペンスやアクションとしては、この程度のことには慣れてしまって特に残るものはなかった。人間をテロリストに仕立て上げ要人を暗殺させようとするが、無人爆撃機まで自由に操縦できる人工知能なら、もっと手早い手段があるのになぁと思った。

★ ただ、それではドラマにならないか。

★ 以前、「2001年宇宙の旅」を観たとき、「ハル」というコンピューターが反乱を起こすと言うシーンがあった。宇宙船内で宇宙飛行士と「ハル」が壮絶な戦いを繰り広げるのだが、それは衝撃的だった。
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