毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
卑下と従属
メジャーリーグでは、各チームとも残り25試合ほどになり、各地区で激しいせめぎ合いが繰り広げられているが、マイナーリーグでは1足早く、今シーズンが終了した。日本人選手も何名かマイナーリーグでプレイしており、その中で最も注目されたのが、野茂英雄投手と中村紀洋内野手である。野茂は、日米通算200勝を達成した後デビルレイズを解雇され、ヤンキーズのマイナーチームと契約を交わしたものの、昇格することなくシーズンを終えた。一方の中村は、春先一度はドジャーズに昇格したものの、ほとんどをマイナーチームで過ごし、今シーズンの成績は、101試合、打率 .249、打点 67、HR. 22 に終わった。これは昨年の日本での成績、105試合、打率 .274、打点 66、HR. 19 と比べて大差がないことから、日本のプロ野球がマイナーリーグ程度の力しかない証拠だと揶揄されても仕方がないような成績だ。
その中村が、シーズンを終えた感想を求められ、『長かった。やっと罰ゲームが終わった』と答えた記事を読んだ時、私は驚き呆れてしまった。これがどういう状況下で出てきた発言で、またその前後の関係が不明であるため、断定的なことは言えないが、私には彼の真意が全くつかめない。もし彼が、『罰ゲーム』という言葉を、自らの実力を見極めもせずに、メジャー挑戦した己の愚かさに対する『罰』という意味で使ったとしたなら、いったい彼は自分を何だと思っているのだろう。いやしくも日本1ではないかもしれないが(日本1は松井秀喜に決まっている)、日本を代表するスラッガーの1人だ。その彼が、己を卑下してこの発言をしたのなら、彼の今まで日本で築き上げてきた実績を、自ら否定することになってしまう。さらには、己を卑下した結果、マイナーリーグという組織に甘んじて従属していたと言うのなら、何たる惰弱な男だろうか。自らの意志で選択した道ならば、志半ばといえども、決して自己を否定する発言をしてはならない。この発言からは、全く気概が感じられない。
そもそも私には、中村という男が理解できない。3年前にFA宣言をして、日本の数球団やニューヨークメッツと入団交渉をする過程で、『中村紀洋というブランドの価値を知りたい』などと訳の分からぬ発言を繰り返していた。自らをブランドと名乗るだけの自負心が本当に彼にあったのなら、理不尽とも思える理由で、メッツ移籍を土壇場で拒絶したりしただろうか。フルスィング男などと言われ、一見豪放磊落に見えても、その実は因循姑息な男に過ぎず、ただ現実の重みに耐えかねて逃げ出しただけだと、当時の私は思ったものだが、今回のこの発言を見ると、私の推測もあながち的外れではなかったように思われる。
男児志を立てて郷関を出づ
学もし成る無くば復還らず
骨を埋むるに何ぞ期せん墳墓の地を
人間到る処に青山あり 月性
松井秀喜は、メジャー挑戦を発表する記者会見で、『命を賭けて』と言った。(☆さんからのご指摘で訂正)果たして中村にそれほどの覚悟があったのだろうか。男が、命を賭ける覚悟で決めたことを成し遂げずに、故郷へ帰ることなどできるはずがない。中村にはその覚悟がなかったのは、『罰ゲーム』などという言葉を平気で使う鈍感さを見るだけで分かる。来季は日本でプレイする意向があるようだが、こんな男ではどのみち大した活躍は望めはしないだろう。
その中村が、シーズンを終えた感想を求められ、『長かった。やっと罰ゲームが終わった』と答えた記事を読んだ時、私は驚き呆れてしまった。これがどういう状況下で出てきた発言で、またその前後の関係が不明であるため、断定的なことは言えないが、私には彼の真意が全くつかめない。もし彼が、『罰ゲーム』という言葉を、自らの実力を見極めもせずに、メジャー挑戦した己の愚かさに対する『罰』という意味で使ったとしたなら、いったい彼は自分を何だと思っているのだろう。いやしくも日本1ではないかもしれないが(日本1は松井秀喜に決まっている)、日本を代表するスラッガーの1人だ。その彼が、己を卑下してこの発言をしたのなら、彼の今まで日本で築き上げてきた実績を、自ら否定することになってしまう。さらには、己を卑下した結果、マイナーリーグという組織に甘んじて従属していたと言うのなら、何たる惰弱な男だろうか。自らの意志で選択した道ならば、志半ばといえども、決して自己を否定する発言をしてはならない。この発言からは、全く気概が感じられない。
そもそも私には、中村という男が理解できない。3年前にFA宣言をして、日本の数球団やニューヨークメッツと入団交渉をする過程で、『中村紀洋というブランドの価値を知りたい』などと訳の分からぬ発言を繰り返していた。自らをブランドと名乗るだけの自負心が本当に彼にあったのなら、理不尽とも思える理由で、メッツ移籍を土壇場で拒絶したりしただろうか。フルスィング男などと言われ、一見豪放磊落に見えても、その実は因循姑息な男に過ぎず、ただ現実の重みに耐えかねて逃げ出しただけだと、当時の私は思ったものだが、今回のこの発言を見ると、私の推測もあながち的外れではなかったように思われる。
男児志を立てて郷関を出づ
学もし成る無くば復還らず
骨を埋むるに何ぞ期せん墳墓の地を
人間到る処に青山あり 月性
松井秀喜は、メジャー挑戦を発表する記者会見で、『命を賭けて』と言った。(☆さんからのご指摘で訂正)果たして中村にそれほどの覚悟があったのだろうか。男が、命を賭ける覚悟で決めたことを成し遂げずに、故郷へ帰ることなどできるはずがない。中村にはその覚悟がなかったのは、『罰ゲーム』などという言葉を平気で使う鈍感さを見るだけで分かる。来季は日本でプレイする意向があるようだが、こんな男ではどのみち大した活躍は望めはしないだろう。
コメント ( 17 ) | Trackback ( 0 )
« SEVENT... | ケイト・ブッシュ » |
中ブタは、自分はメジャーでやれる実力があるって言ってるっす。
なのに、契約のせい(他の選手はマイナー落ちしない特約があるのに、自分はそれが取れなかった)と、
ちゃんと自分を評価してくれなかった首脳陣のせいで、
マイナーに送られてしまった、という意味で言ってると思ってたっすけど。
そりと、ゴジが使った言葉は、正確には「命を賭けて」っす。
まあ、イコール「死ぬ覚悟」なのかもしれないっすけど、
ちょっとニュアンスが違う気がするっす。
パゲ・・!
訂正します。
自分の中で翻訳されていたようですね。
中村のことはいいです。
ただ、『卑下』という言葉から、無理矢理連想しただけですから、間違ってても構いません。
本当に、実力があるんですかね、よく分かりませんが。
私には、勘違いしてるとしか思えません。
これじゃあ、お許しがいただけませんね。
反省して今後につなげます。
『秘儀と習俗』、読ませてください。
「割礼」のようなことですか。
「トルコ人の串刺し」ですか。
興味が湧いてきます。
是非読ませてください。
それにしても塾長の文才は大したもんですね、でも最近の傾向は星さんみたいな作家が現れ認められる様な傾向も1部見受けられますね。
お願い、イチローの事も論じて頂けないでしょうか?
角子さんが少しイチローの事好きって言ってましたんで、個人メールでも、星さんにも
私は、中学生や高校生からよく作文を書いてくれとか、時事問題の文はないのかと言われるものですから、ここに貯めておくつもりでいるだけです。
お褒め頂いて恐縮ですが、文才なんてものはまるでありません。
自分が一番よく分かっています。
イチローはオヤジさんが私の高校の先輩というつながりはありますが、特に関心はありません。
何か書け、と言われてもすごい選手だ位しか思い浮かびません。
同郷のヒーローなのに、残念なことです。
イチロー論は、おいらの「イチハイ」の過去ログでも読んでくりっす。
ジュクチョー、「秘義と習俗」は文学論(?)みたいないくつかのエッセイをまとめた本っす・・・!
(「秘儀」じゃなくって「秘義」なんす・・・)
ジュクチョーの好きなエロい話は出てこないっす・・・。
おいらも中ブタなんて何の興味もないっす。
ただ、あいつがゴジのバッティングにイチャモンつけるのがウザイんす!
パゲ・・・!
誤用の典型のように言われてたっすけど、
そういえば、塾長もこのブログで使ってたっす・・・。
でも、誤用に歯止めはかからないっすし、
昔のエライ作家も誤用してるみたいっすから、
「耳触り」という言葉を作って、
「手触り」「舌触り」と同じように使おうという動きもあるみたいっす。
塾長はそういう新語に賛成の立場で使ったんすか?
そりとも、単なる「誤用の典型」だったんすか?
塾長たるもの、まさかそんなことはないと思うっすけど・・・。
《もともとの正しい使い方》
「耳障りだ」「耳障りな音」(悪い意味にしか使わない)
知りませんでした。 それから、角子がこだわっているのは、「こだわる」って言葉。
最近は「味にこだわる」とかって、良い意味でも使われることがあるんですよね。
悪い意味だと思っていました。
言葉は生きているから、どんどん変わっていくんですね。
ますます浦島花子にならないように、日本のバラエティ番組のビデオでもせっせと見ることにします。
☆ちゃんのブログに行って、どの番組がいいか参考にします。
だけど、今は「こだわりの味」ってのが、
店を誉めるときの誉め言葉の第一って感じっす!!
面白いっすね・・・!!
はいっす!
バラエティのことなら聞いてくりっす!
星ちゃん
「耳に心地よい」とか「心地よい響き」とかいうのが正しい使い方です、とか言っていたような・・・
ただ、お師匠様のおっしゃるように、「肌触りのいいソファー」だとか「舌触りのいいアイスクリーム」なんていう使い方と比べたら「耳障りのいい音楽」ってのもありかなぁ・・・とも思います。
塾長の毎日の論文を読むたびに、改めて国語の勉強をやり直させていただいているようで感謝しております。
私が手元において時々参考にしている辞書は、昭和56年発行の、小学館『国語大辞典』でありまして、これを引くと、
「耳触」・・聞いたときの感じ、印象。「耳ざわりのいい(悪い)音」
と、用例まで載っております。
勿論、「耳障」・・聞いていて気にさわること
とすぐ隣りにあります。
私は、今仕事を終えたばかりで、自分のいつの文章に『耳ざわり』という表現を使ったかは定かではありませんが、使った記憶は確かにあります。
その際、『耳触りがよい』と言うつもりで使い、この辞典で確認もしたように覚えているので、自分が誤用しているなどという感覚は全くありませんでした。
今日の今日まで、『耳触りがよい』=『聞こえがよい』は立派な日本語だと思っていました。
現に、この大辞典に堂々と載っている以上正しい用法と思ってはいけないのでしょうか。
ちなみに、『広辞苑』には載っていませんでしたが、『三省堂国語辞典』にはちゃんと載っています。
辞書によって判断が違うようでは、素人には判断できません。
☆さんはどう思われますか。
「三省堂」は、そういう「走り」の言葉を載せる代表的辞典っすから、さもありなんっす!
明治時代では誤用と思われていたものが
今の時代では辞書に載ったりするわけで、
そんなふうに言葉は生きてるっすから、
「耳ざわりがよい」もそのうち、広辞苑にも載るかもしれないっすね。
ただ、塾長としては、今の段階では、
まだ、入試の文章とかでは使わないようにと、
生徒を指導したほうがいいと思うっす。
大学教授とかにはそういうことにこだわるヤツもいるっすから。
NHKの「放送研究と調査」っていう雑誌でも、
「『耳ざわりがよい』は耳障りか―第10回ことばのゆれ全国調査から」(2000年2月号)
とかやってたみたいっすから、議論が分かれるところなんしょうね。
ただ、『明鏡』には、「『耳触り』と解し、『耳ざわりがよい』のように使うのは誤用」と書かれてるそうっす。
http://www.taishukan.co.jp/meikyo/koho_kokugocho-sa.html
http://www.web-nihongo.com/bbs/user/res/5/592.html
↑
ここでは、賛否両論っす。
(ただの口うるさいオヤジかな)
日本語って懐が深いのか、ただいい加減なだけなのか、どんどん変わっていっちゃいますね。
それがいいのか、悪いのか、私には分かりませんが、耳障りな表現だけはやめて欲しいです。
それと、掲示板の目障りな表現・・・おっと、また口が滑りそうになりました。
穏便に、穏便に、平にご容赦を。
これからもご指導、ご鞭撻よろしくお願いいたします。
ジュクチョーが聞いてきたから、
いま、ネットで「耳ざわり」「誤用」って入れて
検索かけたら、上に書いたようなことが出てきただけっす・・・!!
NHKの「放送研究と調査」っていう雑誌も、もちろん初耳っすよ・・・!!
パゲ・・・!
いいじゃないですか、博学なオヤジ、この路線で行きましょうよ。
ブログの自己紹介にもそう書いたらどうですか、必ず、みんな納得しますよ。
お肌・・・なんす・・・!
こだわる星ちゃん
↑
この「こだわる」はいい意味かにゃ!?悪い意味かにゃ?