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「捉まるまで」

 「戦争と文学」第12巻の中の、大岡昇平「捉まるまで」を読んだ。
 大岡昇平は、全集まで持っているのに、読んだ作品は余り多くない。「中原中也」くらいしか思い当たるものはないが、それさえ記憶が曖昧だ。それなのに、なぜ全集を買ったのだろう。1ページも開いてない気がする・・。気の迷いにしても、勿体ないことをしたように思う。
 そんな忸怩たる思いをもちながら、大岡昇平の作品を論じるのも失礼な話だが、まあ、私の記すことなど感想文の域を出るものではないから、厚顔を承知でいささか書き留めておこうと思う。

 大岡昇平が太平洋戦争でアメリカ軍の捕虜になったのは、年表にも記してある。
  1944年(昭和19年)
   3月 - 教育召集で、東部第二部隊に入営。
   7月 - フィリピンのマニラに到着。第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に     所属し、ミンドロ島警備のため、暗号手としてサンホセに赴いた。
  1945年(昭和20年)
   1月 - 米軍の捕虜になり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容される。
   8月 - 敗戦。同年12月、帰国し、家族の疎開先の兵庫県明石市大久保町に着いた。

 招集されたのは35歳の時だから、兵士としては薹が立っていただろう。そんな彼が、アメリカ軍が押し寄せてきたミンドロ島でマラリアに罹りながらも、山中を敗走した果てにアメリカ軍の俘虜となるまでの経緯が、この小説には克明に描かれている。中でも、瀕死の状態ながらも、草に隠れた窪地に横たわっていた彼の近くにやって来た若い米兵を持っていた銃で撃たなかった場面での己の心理を分析する緻密さには、驚いてしまった。
 
 ・草むらに私がいることも知らずに若い米兵がやって来る。
 ・遠くからの声にその兵士が応えるて、さらに近づく。
 ・「私」は銃の安全装置を外して撃つ準備をする。
 ・銃声が起こり、緩やかに向きをかえ、そちらに向かって歩き出し、見えなくなる。

その際の己の心の動きを、実に10ページにわたって分析している。それも、明晰な表現によって客観的に述べているから、理解しやすい。それは小説家の筆というよりは、心理学者のもののようで、心理分析の門外漢である私はただただ感嘆するのみであった。
 
 この「捉まるまで」の他に幾つかの章をまとめたものが「俘虜記」と呼ばれている小説なのだそうだが、収容所での体験もそこには描かれていることだろう。これでやっと全集を買っておいたのが役に立ちそうだ。「俘虜記」を全て読もう・・。
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