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さらば、京都

 娘が大学院を卒業した。

 『みやこめっせにおいて、午後2時から沢田敏男 元総長、名誉教授をはじめ、各理事・副学長、各研究科長等の列席を得て、大学院学位授与式が挙行されました。修士等代表者と博士学位を取得された方それぞれに松本紘総長から学位記が授与された後、式辞があり、授与式は厳粛に執り行われました。
 今回学位を授与されたのは、3月23日付け課程博士514名、論文博士43名、修士2,131名、修士(専門職)151名、法務博士(専門職)187名です』

と大学のHPを見たら書いてあった。えっ?沢田敏男元総長?私が大学にいた頃の総長ではないか!まだ存命でいらしたのか!とびっくりして調べたら、1919年5月4日の生まれでいらっしゃるとのことで、御歳89才であられることになる。式に列席されるほどの元気でいらっしゃるとは何と喜ばしいことだ。元総長とは何の所縁もない私ではあるが、かつてご尊顔を遠くで拝したことのある誼で、長寿をお祝いさせていただきたい。

 上にも、「博士学位を取得された方それぞれに松本紘総長から学位記が授与された」とあるように、博士号を取得した人たちは一人ずつ名前を呼ばれ壇上に上がるため、ものすごく時間がかかったそうだ。そのために待たされる私たちはいい迷惑だ、などと娘は文句を言っていたが、参列した妻によると、近くにいた子供連れの婦人が、「もうすぐパパだよ」と言っていたそうなので、博士号を取得した人や家族にとっては、まさに一世一代の晴れ舞台なのかもしれない。とは言え、この日を迎えられたのも、家族や周りの人の支えがあってこそのものであり、口には言えないような苦労もしてきたのではないだろうか、などと、親子連れの情景を思い浮かべながら余計な心配をしてしまった。娘も、学問を極めようなどと身の程知らずなことは思わず、適当な時期己に見切りをつけ、まったく畑違いの職種に就こうとするのは、それはそれで賢明な選択だったのだろうと、改めて思った。

 ともあれ、これで娘が6年間お世話になった京都大学とも別れを告げることになった。自分自身が学生だった5年間を加えれば、都合11年間京大との繋がりがあったことになる。日曜日に京都に行ったときに、時間があれば時計台を望んで、長きにわたって私と娘を見守ってくれたお礼を言いたいと思っていたが、あいにく時間がとれずに残念なことをした。だが、帰り道に百万遍は通ったので、近くで一枚だけ写真を撮った。
 

 彼方に大文字が仰ぎ見える・・。なんだかこの写真を見ていたら、当てもなくこの辺りを年中ふらついていた30年前が思い出されてきて、目頭が熱くなってきた・・。私にとっての京都はやはり青春そのものだ(そんな言葉を使うのは安っぽい気がするが、それしか思い浮かばないから仕方ない)。辛いことも悲しいこともあったはずなのに、まったくそんなことは覚えていない。ただただ毎日が夢のように過ぎていったことだけが、胸の中に残っている。

 娘もいつか京都をそんな風に思い出すようになるのだろうか。

 しかし、今の娘では4月からの新生活のことで頭がいっぱいで、ノスタルジーにふける暇などないはずだ。そんな感慨に胸を焦がすのは、学生の頃を思い出してはため息をついてしまう、私のような日々の生活に疲れ果てた者の慰みでしかないようにも思う。だが、まだまだ私も老けこんでなどいられない。人生を楽しみ尽くさねばいくらなんでも勿体ない。
 これからは京都を一観光客として訪ねることにしよう。平等院に驚いたように、私の知らない京都は無限にある。何度も何度も京都にやってこよう。必ずそうしよう!!

 それまでの間、しばらくは「さらば、京都」・・。

 
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