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かささぎの橋

 今日は七夕。織姫と牽牛が1年に一度、7月7日に会えるという日・・。ロマンチックな伝説として誰もが知っている話だが、ふっと「なぜ1年に一度しか会えなくなったんだろう?」と疑問がわいた。ちゃんとした理由があったはずなのにどうしても思い出せない。
 少し調べたら分かったが、それを少しばかり色づけして、以下に書き記してみようと思う。


牽牛さま
 毎日機織に精を出して何も楽しみがなかった私を心配した父が、働き者のあなたと娶らせてくれたのは本当に幸せなことでした。毎日が夢のようで本当に天にも昇るような気持ちですごしていました。
 でも、それがいけなかったんでしょう。お話ばかりしてはしゃいでは、働くのをおろそかにしてしまった私たちに腹を立てた父が、私たちの仲を引き裂いてしまいました。父といっても天帝では逆らうわけにも行きません・・。「もう会ってはならない」この言葉を聞いたとき、私は崩れ落ちそうになりました。あなたも顔が真っ青になり、ガタガタ震えていましたね。そんな私たちを哀れに思ったのか、父が「心を入れ替えて一生懸命働いたなら、1年に一度7月7日にだけ会うことを許す」と言ってくれたときには、心からほっとしました。たとえ一年に一日だけでもあなたに会えるなら、その日のために毎日一生懸命働こう、そう心に誓いました。あなたも同じ思いでいてくれたと思います。
 私は一生懸命働きました。働いていると、あなたと会えない寂しさを紛らわすことができました。一日が終わるとあなたに会える日が近づいた、そんな喜びで胸がいっぱいになりました。
 そして・・・、やっときました。指折り数えた七月七日が・・・。でも、どうしたことでしょう。雨が、大雨が降って天の川の水かさが増してしまったのです。いくら頼んでも月の舟人は私を渡してはくれなかったのです。あなたが向こう岸に立っているのはおぼろげながら見えました。でも、どうしようもできないのです。ただただ泣くしかありませんでした・・・。
 するとその時、どこからともなくかささぎの群が飛んできたのです。かささぎたちは、天の川で翼と翼を広げて橋を作って私を渡らせてくれたのです。そのおかげで私はあなたに会うことができました。一年会うことができずに毎日毎晩恋焦がれていたあなたに・・、やっと・・。
 うれしかった、楽しかった、幸せだった。
 でも時間は止まってくれません。私は戻らなければなりません。あなたとずっと一緒にいたい、でもどうしてもそれは許されないのです。私は帰ります・・。でも、また来年、あなたに会えるのですから、その日を楽しみに生きていきます。
 今日はありがとう。そしてまた来年・・・。
                            織姫                      
 
 天帝というのは天を統べる存在なのだろうが、人の恋路を邪魔するのはいくらなんでもやりすぎだ。今夜晴れればなあ・・。
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のんき節

 松井はDL入りするし、ガソリンは7月にまた値上げするそうだし、ホント面白くないことばかりでいやになる。何もかもリセットして新たな気持ちでスタート、などという幸運はとても望めそうもないから、現状をどうにかしてやっていくしかない。「まったく!!」と舌打ちする回数が増えるのは仕方ない、ただもう自棄にならないよう己を律するだけだ。そう簡単にはいきそうもないのだが・・。
 金曜日バスを運転しながらラジオを聴いていたら、小沢昭一が「のんき節」を歌い始めた。これは石田一松という、後にタレント議員一号にもなった演歌師が1923年ごろから歌って広めたものだそうだが、歌詞を聴いて驚いた。もう80年以上も前に作られた歌詞だというのにまるで古びていない。

 學校の先生は えらいもんぢやさうな
 えらいから なんでも教へるさうな
 教へりや 生徒は無邪氣なもので
 それもさうかと 思ふげな
 ア ノンキだね

 独特な節回しで当時の世相を風刺してみせるのだが、とても「のんき」だなどと悠長なことを言っていられないような時代だったことは史実に明らかである。だが、こうでも言って笑っていなければとても生きていけなかったのかもしれない。「昔の人は無知で呑気だったんだなあ・・」という感想も浮かんでくるが、次の詞を聞いてはそうともばかり言っていられなくなる。まるで現在の世相を風刺しているようだ。

 貧乏でこそあれ 日本人はえらい
 それに第一 辛抱強い
 天井知らずに 物価はあがつても
 湯なり粥なり すゝつて生きてゐる
 ア ノンキだね

 小沢昭一も番組の中で、「日本人というのは我慢強い。ガソリン代が上がっても、後期高齢者の問題があっても、文句は言うけれど決して暴動など起こさないんですから・・」などと言っていたが、まったくそのとおりだと思う。これだけ生活が脅かされていて、国や政府が有効な手立てを施してくれていないというのに、イカ釣り漁船の操業停止が話題になるくらいで、大きな怨嗟の声がさほど国中に広がってこないというのも、特異なことではないだろうか・・。それに胡坐をかいて利巧ぶったことを他人事のようにあっけらかんと述べる政府首脳の姿勢にはあきれ返るばかりだが・・。(お前だよ、町村!!小泉と一緒になってこの国を無茶苦茶にした竹中平蔵と薄ら笑いを浮かべながらTVに出ている場合じゃないだろう!!)
 まったく毎日がはかばかしくないので、「のんき節」の替え歌を作ってみたら少しは憂さが晴れるかなとい試してみた。
 
 投機マネーは 巨大ぢやさうな
 株ぢやダメだから オイルにむかうさうな
 儲かりゃ 他人の暮らしなんざ
 どこ吹く風 ってもんだ   
 ア ノンキだね
 
 国会の先生は 一生懸命ぢやさうな
 党利党略で 国を動かしておいて
 選挙が怖くて 解散できずに
 今日もTVで 自分の宣伝
 ア ノンキだね
 
 物価高でも 贅沢品は安いさうな
 所得の格差が 消費の格差へ
 そんな理屈など どうでもいいのに
 綺麗な格好して お説吹聴
 ア ノンキだね
 
 
 悲しいことに愚痴しか浮かんでこない。たいした出来でもないが、これくらいのものならいくらでもできそうだ・・・。 
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あのね、

 あーちゃん、ひまちゃん、いいものあげる。


 4月から二人とも幼稚園に行くんだよね。これを冷蔵庫に貼っておいて帽子とか掛けるといいよ。おじちゃんが毎日飲むウーロン茶に付いてたおまけを集めたものだけど、二人にあげるよ。何なのか、もう分かるよね。青いのがゾウさん、灰色がパンダ、赤いのがおサル、肌色がワンちゃんで黄色がネコ、ピンクはウサギさんだよ。こうやって並べると可愛いでしょう。
 でも、ちょっとふつうとは違うよね。どこが違うと思う?・・・そうだね、色が変だよね。青いゾウさんなんて見たことないし、パンダは白と黒だよね。おサルのお尻は赤いけど、体中真っ赤なサルはいないよね。ウサギだって目は赤いけど、ピンクの毛をしたのは見たことがない、やっぱり変だよね。でもね、色はふつうのとは違うけど、パンダはパンダに見えるし、おサルはどう見たっておサルだよね。どうしてかなぁ?・・・それはね、動物っていうのは仲間によって形が決まっているからなんだよ。ゾウさんはみんな鼻が長いし、ウサギは耳が長い。ひまちゃんとあーちゃんは人間って仲間だから、頭には毛が生えていて、手には物がつかみやすいように指があって、立って歩くでしょ。それはお父さんでもおじちゃんでもみんな同じだよ、みんな人間だからね。そんなふうに動物は仲間ごとに決まった形をしているから、他の仲間と見分けがつくんだよ。おもしろいね。
 でも、よく見ると色だけじゃなくって、もっと他にも変なところがあると思わない?じっと見てみて・・・。そうだね、ゾウさんがネコよりも小さいなんておかしいよね。ゾウさんはネコよりもずっとずっと大きいから、こんなの変だよね。本当はこれくらい違うよねぇ。

 

 動物って面白いよねぇ。仲間によって色が違うし、形が違うし、大きさが違う。同じ仲間でも少しは違ってるけど、だいたいは同じ、そういう同じところを「特徴」って言うんだけど、もっと他にも色んな「特徴」があるんだけど、どんなものがあるか分かるかな?分からない?難しいかな・・。それじゃあ、ヒント出すよ。イヌはどうやって鳴く?そう、「ワンワン」って鳴くよね。ネコは?「ニャー」だよね。それじゃあパンダは? ふふふ・・、パンダの鳴き声はおじちゃんも知らないんだ、ごめんね。でもね、パンダにはパンダの鳴き声があるんだよ。そうじゃなきゃ、仲間どうしでお話できないもんね。
 パンダの声聞きたいよね。どうやって鳴くんだろう?
 あーちゃんとひまちゃんは動物園に行ったことあるよね。おじちゃんもウチのおネエちゃんやおニイちゃんが小さかった頃はよく行ったよ。おじちゃんはライオンやトラが好きだけど、あーちゃんは何が好き?ひまちゃんは?
 行きたいよね、動物園・・。そうだ、今度おじちゃんと一緒に動物園に行こうね。約束だよ!!
 
 
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サンタさん

 ひまちゃんとあーちゃんは双子の姉弟です。生まれたときは二人とも本当に小さかったのですが、お父さんとお母さんが一生けんめい育ててくれたので、来年には幼稚園に通えるほど大きくなりました。二人とも毎日元気に遊んでいます。
 ひまちゃんは恥ずかしがりやさんで、あーちゃんがそばにいないと元気が出ません。あーちゃんは元気いっぱいの男の子なので、そんなひまちゃんにかまってなどいられません。どんどん自分のしたいことを活発にしています。性格はすごく違うのですが、二人はとても仲がいい姉弟です。

 そんな二人におじちゃんがクリスマスプレゼントを贈ろうとしています。今年のプレゼントは可愛らしい洋服です。本当はおもちゃにしようとしたのですが、どんなおもちゃがいいのか二人にきいてしまっては面白くないので、服を贈ろうと勝手に決めたそうです。
 おじちゃんは買ってきた服を二人の家にもっていってくれるよう、サンタさんに頼みました。サンタさんは、子供たちが欲しいと願うものをプレゼントする以外に、子供たちを大切にしている大人たちからのプレゼントも運んでいく、宅配便のような仕事もしてくれるのです。おじちゃんからプレゼントを受け取ったサンタさんは二人の住所を見て、「ふっ・・」とため息をつきました。「マンションの6階か・・」。昔のように、煙突から家の中に入って、子供たちのベッドにプレゼントを置いていく、そんなことができる家はもうほとんどありません。プレゼントがいっぱい乗ったトナカイのそりを玄関脇に停めて、そっと窓から入っていくことが多いです。サンタさんは、クリスマスの夜だけどんな窓でも開けることのできる鍵を持っているのです。
 でも、最近はマンションに住む子供たちが多くなってきて、トナカイのそりで階上まで飛んでいって、ベランダの近くに停めておくことが増えてきました。特に都会の子供たちにプレゼントを運ぶサンタさんは大変です。空中に浮いているトナカイのそりからベランダに跳び移るのはけっこう難しいです。勇気を出して、思い切りよく跳ばないと危ないです。二人にプレゼントを運ぶことになったサンタさんは、そうしたことにかなり慣れていますが、それでも、気を抜いて足を滑らせてしまったら、まっさかさまに地面に落ちてしまいます。どれだけ慣れていても心配です。

 
 クリスマスイブの夜、街の灯りがだんだんと消えていくころ、サンタさんはトナカイのそりに乗り込みました。「しゅっぱ~つ!!」トナカイが元気よく走り出します。「ひまちゃんとあーちゃんちから行こう」。サンタさんは二人の住むマンション目指して手綱を握りしめました。
 天気のいい夜でした。空には月と星が輝いていました。マンションのベランダに着いたサンタさんは月明かりで二人へのプレゼントをすぐに見つけられました。さあ、注意してベランダへ。サンタさんはゆっくりと足を伸ばしました。何度味わっても緊張します。トンッと軽い音を立てて見事ベランダに降り立ったサンタさんは、ほっと一息ついて、赤い上着のポケットから鍵を取り出しました。それで窓を触ると、魔法にかかったように窓がスーッと開きました。
 ひまちゃんとあーちゃんはどこに寝てるんでしょう?サンタさんはじっと目を凝らしました。「ああ、あの部屋だ」。お父さんとお母さんの寝室で、ひーちゃんはお父さんとあーちゃんはお母さんと一緒のベッドで眠っていました。サンタさんはそーっと近づいていって、二人の枕元におじちゃんからのプレゼントを置きました。「かわいい顔をして眠っているなあ・・」、サンタさんは子供たちの寝顔が大好きです。小さな寝息を立てて眠る子供たちを見るだけで、寒い夜苦労してプレゼントを運んできた疲れもあっという間に吹き飛んでしまいます。
「メリー・クリスマス!」、そう呟いてサンタさんは扉を閉めて、次の家に向かいました。

 次の朝、「わあ、ボクのところにサンタさんが来た!プレゼントがある!」「ワタシにもある!」あーちゃんとひまちゃんは目を覚ますとびっくりして叫びました。「なんだい?」、大きな声で起こされたお父さんは眠そうに言いました。「サンタさんが来たの!!」と二人は声を合わせて叫びました。ベッドから飛び降りて、プレゼントの包み紙をビリビリと破り始めました。中からはかわいい服とおじちゃんが描いた二人の顔の絵が出てきました。

 

 だけど、ぜんぜん似てません・・。お父さんは眼を覚ましたお母さんと苦笑いをするしかありませんでした。
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裁判?

裁判官():これからヤモリ三匹(太郎・花子・次郎)に対する暴行の疑いで、被告人・塾長()に対する裁判を開廷いたします。まずは、検察側の証人尋問を行います。
検察官():はい。それでは最初の証人・ヤモリ太郎くんの証人尋問から始めます。太郎くん、あなたが塾長から受けた暴行について証言してください。
ヤモリ太郎():はい。ボクがいつものように夜10時頃、塾の教室の窓に貼り付いてエサの蛾を捕まえようとしていました。すると急に窓が開いて軍手をした塾長の手が伸びてきて、ボクを捕まえました。ボクは驚いてしまって気を失いそうになりましたが、塾長が「やった!捕まえたぞ!」と大声で叫んだものですから、はっと我に返って塾長の方をギロッと睨んでやりました。ボクと目が合った瞬間に塾長は「ギャー!」と奇声を発してボクの体を離したものですから、何とか逃げ出すことができました(気の弱い男です・・)。その際、2階の窓から地面まで落下したので、着地に失敗したボクはしばらく動けませんでした。幸い軽い打撲ですみましたが、あの時の恐怖を今でも忘れられません。なんとか塾長に対して罰を与えてくださいますよう、お願いします。
検察官():塾長の暴挙の一端が明らかにされましたが、まだこれは氷山の一角に過ぎません。次に花子さん、証言を始めてください。
ヤモリ花子():ワタシはあの時のことを思い出すと今でも恐怖で体が震えます。太郎さんが命からがら逃げ出したわずか5分後位だったと思います、ワタシが隣の窓ガラスに止まっていた蛾に狙いを定めていた時に、突然塾長が窓を開け私を捕まえました。2度目なので少し慣れたのか、何のためらいもなくワタシを捕まえました。ワタシは何をされるのか恐ろしくてたまらず、じっと目をつむっていましたが、お腹のあたりに何かが触れるのを感じました。ちょっとくすぐったい気がしてうっすら目を開けてみると、塾長がマジックでワタシのお腹に何か落書きをしているのです。「何するの!」と心の中で叫びましたが、恐ろしくてとても声にはなりません。塾長は何度も上からなぞりながら大きく×印を書きました。これが証拠の写真です。


何の目的があってこんなことをするのか分かりませんが、書き終えると満足そうにワタシを窓の下に戻してくれました。命は助かったとホッとしましたが、油性マジックなので全然消えません。このままでは恥ずかしくてとても出歩けません。ワタシの体をこんなにしてしまった塾長が許せません。厳罰をお願いします。
検察官():本当に無茶なことを・・。怒りがこみ上げてきますが、ここは冷静になって、一番大きな被害に遭われた次郎さん、証言をお願いします。
ヤモリ次郎():ジブンの体を見てください。尻尾が途中で切れております。


言うまでもなく、これも塾長の仕業です。花子さんに×印をつけて、さらに落書きをしたくなったのでしょうか、塾長は窓枠でじっと身を潜めていたジブンを見つけ出して、捕まえようと軍手をはめた手を伸ばしてきました。人間に捕まえられるなんて初めてでしたし、太郎と花子のことも隠れて見ていたので、もう恐ろしくてパニックになってしまいました。思い切り噛み付いてやろうとしましたが、手の動きが早くあっという間に捕まってしまいました。塾長の手の中で、思いっきり体を捻じ曲げて逃げ出そうともがいていたら、ブチッと音がしてジブンの体が急に自由になりました。助かった!と思った瞬間、身体のバランスがうまくとれません。あっと思って後ろを振り返ったら、塾長の軍手にジブンの尻尾が握られていました。「尻尾が切れた!・・・尻尾ってまた生えてくるんだろう?」などと言う塾長の声が聞こえましたが、そんなに簡単なものじゃありません。まだ生えてきてくれないので、このままじゃ動きにくくて蛾を捕まえることもままなりません。いつまで生きていけるか心配です。ジブンをこんな目に合わせた塾長に断罪をお願いします。
裁判官:よろしい、よく分かりました。すぐに判決を下します。この三匹のヤモリに対する暴行により、塾長は・・・。
 

 すみません、天地神明に誓って、もう二度とこんなにひどいことはしませんから是非ともお許しを!!

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ねずのばん (その2)

 1時を過ぎて月が少し低くなったのが分かりました。それにかなり小さくもなりました。でも、形は満月のまま変わっていません。
「やっぱりずっと満月のままか・・」
新しい発見ができず、ちょっと残念な気がしましたが、夜空を見上げているのは楽しいものでした。月の動きに合わせて星たちもゆっくり動いていきます。天の川も傾きを変えたのが分かります。
「夜の空って生きてるんだなあ」
舞ちゃんは楽しくなってきました。夜空を眺めながら、昔の人も同じ星を見ていたんだと思うと、時の流れを超えられたような気さえしました。うっとりしたまま時計を見ると3時になっていました。慌てて月の位置を確認して図に描きこみました。
「あと3時間くらいかな・・」
家の周りからは物音一つ聞こえてきません。少し前まで草むらの中で鳴いていた虫たちの声も途絶えています。舞ちゃんは小さなランプも消して、月明かりだけの静寂の中に飛び込みました。自分が闇に溶けていくような気がします。妙に気持ちがいいのです。眠気はまったく感じません。ただただ満月と星々だけが舞ちゃんに微笑みかけているだけでした。

 

 「満月さん、あなたは一晩中満月のままなの?途中で体が細くなったりしないの?私それが知りたくてずっと起きているのよ」
舞ちゃんは月に向かって話しかけました。すると、夜空の奥で一つの小さな星がキラッと瞬いたように見えました。
「舞ちゃん、お月様は一晩中形を変えたりしないよ」
そんな声が遠くから聞こえてきました。舞ちゃんは驚いて周りを見回しましたが、誰もいません。変だなとは思いましたが、もしかしたらと空に向かって呟きました。
「星さんなの?」
「そうだよ、舞ちゃん。聞こえるかい?」
舞ちゃんはびっくりしてベッドから落ちそうになりましたが、思わずコクンと頷きました。
「お月様はね、私たち星の道案内人なのさ。私たちは毎晩お月様について空を巡っているんだ。その案内人が形を変えたりしたら、私たちが途中で迷っちゃうだろ。だから、お月様は空に出ている間は同じ形をしていてくれるのさ」
「でも、日によって三日月になったり、半月になったりするわ」
「ああ、それはお月様がとてもお洒落さんだからさ。毎晩同じ姿じゃあ我慢できないんだ。毎日ちょっとずつ姿を変えたいのさ」
「ふーん、そうなの・・」

 

 バサッという物音で、舞ちゃんは我にかえりました。
「あっ、しまった」
山の端がうっすらと白くなっています。
「寝ちゃったんだ・・」
月はもう山に吸い込まれそうなほど傾いています。開け放してあった窓から涼やかな朝の空気が入ってきて、舞ちゃんの頬を快くします。自分の失敗を悔やんでいるうちに山の稜線がみるみるうちに明るくなり、太陽が姿を見せ始めました。
「日の出!」
まだ少しぼんやりした目で月を探しました。月は半分ほど山の中に隠れていました。
「そうか、こうやって一日が始まるんだ!」
  
  満月が去り、太陽が現れる、それが一日の始まり。
  太陽が去り、満月が現れる、それが一日の終わり。

舞ちゃんは生まれて初めて一日の終わりと始まりを続けて目にしました。地球の不思議にふれたような気がして体中がぶるぶる震えました。
「なんだかすごい・・」
舞ちゃんは部屋中に拡がってきた朝日の中で呟いていました。

 また暑い一日が始まります。

 

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ねずのばん (その1)

 舞ちゃんは中学1年生。念願の女子中学に見事合格して楽しい毎日を過ごしています。
 
 舞ちゃんには夏休みになったらどうしても果たしたい願いがありました。それは満月を、月の出から月の入りまでずっと見ていたいというものでした。小学校で月の勉強をした時から、舞ちゃんは月の変わり方と動き方に興味を持つようになりました。月の形が

     

新月→三日月→上弦の月→満月→下弦の月→新月

と変わっていくのは、月と地球の位置によって月の光る部分が違って見えるからだというのはよく理解できました。でも、夜の間月の位置は変わっていくのに、なぜ月の形はずっと変わらないままなのだろう、ひょっとしたら満月で出てきても沈むときには少し欠けたりしていないだろうか、と疑問に思いました。学校でも塾でもそんなことを質問したら、周りからバカにされるだけだと思って、ずっと黙っていました。だけど、疑問を疑問のままにしておくのはあまり気持ちのいいものではありません。そう思い始めてから舞ちゃんは、いつか一晩中月の動きを見張っていたいと思うようになりました。

 

 中学に入って2度の定期試験を経験するうちに、夜遅くまで勉強するようになりました。期末試験では、歴史の用語がなかなか覚えられずに夜中の1時過ぎまで勉強しました。その時舞ちゃんは、
「これだけ遅くまで起きていられたんだから、ひょっとしたら一晩中起きていることもできるんじゃないかな」
と思いました。そこで夏休みになったら一度試してみようと密かに心に決めました。
 調べてみたら、夏休み中に満月の夜は一回しかありません。8月上旬の暑い盛りの夜です。この時を逃がしたらまた一年待たなければなりません。舞ちゃんは、その夜に雨が降ったり、曇り空になったりしないよう、毎晩寝る前にお祈りしました。もちろんお母さんにもお願いしました。
 「理科の宿題で満月を一晩中観察しなければいけないの。無理かもしれないけど、朝までずっと起きててもいい?」
 「宿題なら仕方ないわねえ。でも、眠くなったらあきらめて寝るのよ。それと外に出て行ってはダメ。部屋の中から観察するだけにしなさい」
幸いなことに、舞ちゃんの家は小高い丘の上にありました。南向きの舞ちゃんの部屋からは、月の出から月の入りまで、少し首をひねれば見られます。ふだんは学校から家までの帰り道に坂道を上らなければならないのに不満を言っていましたが、この時ばかりはこの家に住んでいたことに感謝しました。

 

 いよいよその夜がやって来ました。一日中太陽が炎の玉のように空の中で輝いていたので、夜になっても暑さが弱まりません。一晩中起きているつもりの舞ちゃんは、その暑い昼の間家の中で一番涼しい座敷の隅で午睡をしました。起きたら汗びっしょりになっていましたが、頭がすっきりしてこれならしばらく眠らなくても大丈夫そうです。
「よし、頑張ろう!」
気合を高めました。
 6時になると月が東の空からぬっと顔を出しました。大きな満月でした。少し赤みがかって不気味な感じがするほどでした。でも、舞ちゃんはその満月を見るとまるで友達に会ったかのように嬉しくなりました。
「一晩よろしくね」
舞ちゃんは元気です。
 12時までは家族も起きていたので一緒にすごしながら、30分おきに自分の部屋に戻って月を眺めました。スケッチブックに月の位置や高さ、大きさが分かるように描きこんでいきます。月の色は薄い黄色にしました。
 12時になったときお母さんが舞ちゃんの部屋に来て、
「いつ寝てもいいように電気は消しておきなさいよ」と言いました。絶対に眠るつもりはなかったのですが、ベッドの枕もとの小さなランプだけつけて、部屋の明かりは消しました。ベッドでじっとしてると、闇にすっぽり体が包まれたようで少し寂しくなりましたが、月明かりが拡がってきて心を和らげてくれました。

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「しあわせ」

  Merry Christmas!!

 島崎藤村の書いた童話に「しあわせ」というものがあるそうな。私は全く知らなかったが、短い話なので以下に載せてみる。

 「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きました。
 だれでも幸せのほしくない人はありませんから、どこの家を訪ねましても、みんな大喜びでむかえてくれるにちがいありません。けれども、それでは人の心がよく分りません。そこで「しあわせ」は貧しい貧しいこじきのようななりをしました。だれか聞いたら自分は「しあわせ」だと言わずに「びんぼう」だと言うつもりでした。そんな貧しいなりをしていても、それでも自分をよくむかえてくれる人がありましたら、その人のところへ幸せを分けておいてくるつもりでした。
 この「しあわせ」がいろいろな家へ訪ねて行きますと、犬の飼ってある家がありました。その家の前に行って「しあわせ」が立ちました。
 そこの家の人は「しあわせ」が来たとは知りませんから、貧しい貧しいこじきのようなものが家の前にいるのを見て、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でごいざいます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃお断りだ。」
とそこの家の人は戸をぴしゃんと閉めてしまいました。おまけに、そこの家に飼ってある犬がおそろしい声で追い立てるように鳴きました。「しあわせ」はさっそくごめんこうむりまして、今度はにわとりの飼ってある家の前へ行って立ちました。
 そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らなかったと見えて、いやなものでも家の前に立ったように顔をしかめて、
「お前さんはだれですか。」とたずねました。
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。『びんぼう』はうちじゃたくさんだ。」
とそこの家の人は深いため息をつきました。それから飼ってあるにわとりに気をつけました。貧しい貧しいこじきのようなものが来て、にわとりをぬすんでいきはしないかと思ったのでしょう。
「コッ、コッ、コッ、コッ。」
とそこの家のにわとりは用心深い声を出して鳴きました。「しあわせ」はまたそこの家でもごめんをこうむりまして、今度はうさぎの飼ってある家の前へ行って立ちました。
「お前さんはだれですか。」
「わたしは『びんぼう』でございます。」
「ああ、『びんぼう』か。」
と言いましたが、そこの家の人が出て見ると、貧しい貧しいこじきのようなものが表に立っていました。そこの家の人も「しあわせ」が来たとは知らないようでしたが、情けというものがあると見えて、台所の方からおむすびを一つにぎってきて、
「さあ、これをおあがり。」
と言ってくれました。そこの家の人は、黄色いたくあんのおしんこうまでそのおむすびにそえてくれました。
「グウ、グウ、グウ、グウ。」
とうさぎは高いいびきをかいて、さも楽しそうに昼ねをしていました。
 「しあわせ」にはそこの家の人の心がよく分りました。おむすび一つ、たくあん一切れにも、人の心のおくはしれるものです。それをうれしく思いまして、そのうさぎの飼ってある家へ幸せを分けておいておきました。


 人によってこの話から様々な印象を受けるだろうが、今日はクリスマス、いい話を聞いたってことにしておこう。

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Mother’s Lullaby

 母さんのブログに原爆ドームの写真が載せられていた。私は倉敷よりも西へは行ったことがないので、原爆ドームを訪れたことがない。しかし、人間の愚かさ、悲しさを痛感させられる数少ない場所のひとつであり、死ぬまでに一度はいかねばならない所であると思っている。
 その原爆ドームの写真を見ながら、私は中学3年生の英語の教科書に載せられている "Mother's Lullaby" という話を思い出した。原爆が落ちた直後の広島の話であり、子供たちに原爆の悲惨さを伝える貴重な読みものとして今回の教科書改訂でもそのまま残された。以下にその物語を全文載せてみる。

(1) A big, old tree stands by a road near the city of Hiroshima. Through the
years, it has seen many things.
One summer night the tree heard a lullaby. A mother was singing to her
little girl under the tree. They looked happy, and the song sounded sweet.
But the tree remembered something sad.
"Yes, it was about sixty years ago. I heard a lullaby that night, too."

 1本の大きな古い木が広島市の近くの道端に立っていました。何年もの間、それはたくさんのことを見てきました。        
 ある夏の夜、その木は子守唄を聞きました。1人の母親がその木の下で、小さな女の子に歌っていました。彼女たちは幸せそうに見え、その歌はやさしく聞こえました。しかし、その木は何か悲しいことを思いだしました。
 「ええ、それは約60年前のことでした。その夜も私は子守唄を聞きました。」

(2) On the morning of that day, a big bomb fell on the city of Hiroshima.
Many people lost their lives, and many others were injured. They had burns
all over their bodies. I was very sad when I saw those people.
It was a very hot day. Some of the people fell down near me. I said to
them, "Come and rest in my shade. You'll be all right soon."

 その日の朝に、大きな爆弾が広島市に落ちました。たくさんの人が命を失くし、多くの他の人々はけがをしました。彼らは体中にやけどを負っていました。私はそれらの人々を見たときとても悲しかった。
 とても暑い日でした。人々の何人かは私の近くで倒れました。私は彼らに言いました。「私の陰で休みに来なさい。あなたたちはすぐによくなりますよ。」
    
(3) Night came. Some people were already dead. I heard a weak voice.
It was a lullaby. A young girl was singing to a little boy.
"Mommy! Mommy!" the boy cried.
"Don't cry," the girl said. "Mommy is here." Then she began to sing again.
She was very weak, but she tried to be a mother to the poor little boy.
She held him in her arms like a real mother.

  夜が来ました。何人かの人々はもう死んでいました。私は弱い声を聞きました。それは子守唄でした。1人の若い少女が小さな男の子に歌っていました。
 「お母さん!お母さん!」その男の子は泣きました。
 「泣かないで」と、少女は言いました。「お母さんはここにいますよ。」それから彼女は再び歌い始めました。
 彼女はとても弱っていましたが、そのかわいそうな男の子の母親になろうとしました。彼女は本当の母親のように、腕の中に彼を抱きしめました。

(4) "Mommy," the boy was still crying.
"Be a good boy," said the girl. "You'll be all right." She held the boy more
tightly and began to sing again.
After a while the boy stopped crying and quietly died. But the little mother did not stop singing. It was a sad lullaby. The girl's voice became weaker
and weaker.
Morning came and the sun rose, but the girl never moved again.

 「お母さん」、その男の子はまだ泣いていました。
 「いい子になりなさい」、と少女は言いました。「大丈夫ですよ。」彼女はもっとしっかりとその男の子を抱きしめて、また歌い始めました。
 しばらく後で、その男の子は泣くのをやめ、静かに死にました。しかし、小さな母親は歌うのをやめませんでした。それは悲しい子守唄でした。その少女の声はだんだん弱くなりました。
 朝が来て太陽が昇りましたが、少女は二度と動きませんでした。


こんな悲しい話が今も地球のどこかで繰り返されているかもしれないと思うと、つらくてたまらない。
 世界に平和を!!
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ホワイトデー

 私からの、ホワイトデーのプレゼント



市内のケーキ屋さんで見つけた「末長~いロールケーキ」だそうだ。全長約55cmある。バレンタインデーに心配りをしてくださった方々にささやかなプレゼントをさせていただく。

『母さん、ボネさん、ビーバーさん、でこさん、写真だけで申し訳ないですが、私の感謝の気持ちを受け取ってください』

ホワイトデーとは、バレンタインデーに受け取ったプレゼントの交換日なのだろうが、「プレゼント交換」と聞くと忘れられない物語がある。O・ヘンリーの短編『賢者の贈り物』(原題 "The Gift of the Magi")である。全文をここに載せるのは大変なので要旨を書いてみる。
 
 貧しい生活を送る若い夫婦の物語。
 クリスマスのお祝いに愛する夫に何かプレゼントをと妻は思う。しかし、貧しくて高価なものは買えない。夫の懐中時計に金の鎖をつけてあげたい、そう願った彼女は、その金の鎖を買うために、自分の自慢だった、長い美しい髪の毛をばっさりと切ってそれを売ったお金で金の鎖を手に入れる。
 一方の夫も、最愛の妻に何かをプレゼントしたいと考えるが、貧しくて何も買ってあげることができない。自分の持っているものといえば、懐中時計だけしかない。彼はその懐中時計を売って、輝くばかりに美しい妻の髪にと髪飾りを手に入れる。
 そして、クリスマスの夜、プレゼント交換する夫婦。あげたものは互いにもう何の役にもたたなくなってしまったもの・・・

あらすじはこんなところだ。
(全文の訳は、http://www.hyuki.com/trans/magi.html で読める)
この後二人がどんな反応をしたかを考えるのは読者次第だろう。「互いに溢れる涙をぬぐいあって抱きしめあう二人」を想像する者もいるだろうし、「互いの顔を見つめて笑いあう二人」を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、大多数の人々はこの物語を心温まるいい話だと受け取ることだろう。この話は、ずっと以前中学校の英語の教科書に載っていた。それを訳してみようと一生懸命探してみたが、見つからなかった。当時の中学生はそれを読んでどんな感想を持っただろう。ずいぶん以前のことなので、当時の子ども達の反応など覚えていない。ならば、今の子供ならどうだろう。一度たずねてみよう。
 ところで、原題の Magi というのは、キリスト降誕の際、贈り物を持ってきた東方の博士のことだと、今辞書を調べて初めて知った。だから、物語の最後に、O・ヘンリーが次のようにいっている意味がやっと分かった。

 東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。


 私はとてもこんな意味での賢者にはなれないだろうな・・・
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