【受験と国語】

配点の大きい入試の国語。
得点源にする戦略をご紹介しています。

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「親」とは

2014年11月08日 | 読解問題用書き下ろし
 実の親による子に対する虐待が後を絶たない。ろくに食事を与えない、暴行を加える、果ては命を絶つ……胸がしめつけられるような惨事がくり返される。これに対して「実の母親なのに」「お腹を痛めた子をあやめるなんて」と批判することはたやすい。しかし、我々は問題の本質を見誤っているのではないか。責任の所在を個人のレベルに求めてきた従来のアプローチでは根本的な解決は期待できまい。

 人間の赤ちゃんは、成長が遅い。シマウマの子は生まれてすぐに歩き始めるのに対して、ヒトは一年もかかる。これはヒトがサルから進化した証でもある。理屈はこうだ。ヒトの祖先は二足歩行を始めたが、このことで母体の産道が狭くなった。このため十分な成長を待ってからの出産が困難になる。だから、早期の出産を促すようになった。「未熟児」状態で生まれるため、母親による手厚い養育が必要となる。しかし、これでは食糧を確保できず親子共倒れとなってしまう。そこで男親に食を確保する役目が課せられた。これが夫婦・家族の始まりである。
 医療が発達していない昔は、出産時のトラブルで、あるいは産後の肥立ちが悪くて幼子を残して亡くなる母親は少なくなかった。その場合、実母に代わって子育てを担うのは祖父母であっただろう。晩婚化が進んだ現代と異なり、昔は世代交代が早く、祖父母といっても三十代くらいだから、子育てに必要な体力も十分なので支障はない。祖父母もいなければ、親類・縁者、そして地域コミュニティで養育したであろう。

 一般に生物は種を保存するために尽力する。細胞分裂、種子で残す、卵を生む……生き長らえるために自然の摂理が働く。ヒトなど哺乳類の場合、新しい個体を生むタイプであるが、そのポイントは多くの個体を発生させる、外敵から身を守る、近親交配による抵抗力の減退を避ける……などである。環境の変化にもかかわらず、生き残った生物には遺伝子情報に様々な工夫が見られる。兄弟でも性格・体質が異なるのも、その例といえよう。更にいくつか検証してみたい。
 乳児の「三カ月微笑」をご存知だろうか。嬰児(乳児)が生後三カ月を過ぎるころに突如として大輪の笑顔を咲かせるようになることだ。天使のスマイルで大人たちをメロメロにしてしまう。単なる肉の塊が愛玩の対象になる瞬間である。思うに、これは他人による養育を促すための工夫ではないか。三カ月というタイミングが絶妙である。古の人は育児期間を三カ月ととらえて職場復帰(男は狩猟、女は採集)を促したのかもしれない。両親が不在でも、周りの大人に可愛いがってもらえるように――という配慮ではあるまいか。
 「イヤイヤ期」を挙げることもできる。二歳になる頃、だだをこねたり、理由もなくむずがる現象だ。これも母子の分離を促す工夫かもしれない。いつまでも一人にかかりっきりにならないで、次への準備をせよという子の側からのメッセージだろう。クマは、子が生後一年を過ぎると、養育を拒絶する。これは、子の乳離れを促すだけでなく、次の妊娠に備えるためでもある。ヒトも「イヤイヤ期」を契機に、母子の密着を解いて次の妊娠に備えよというサインであるまいか。これは、近親交配を避けるために娘が思春期になると(妊娠の準備ができると)父親を気嫌いするのと似ている。これらは子ども側から親に対して「子離れ」を促す遺伝子に仕込まれたタイムスイッチといってもよかろう。

 育児・子育てをしない母親は、母親失格なのだろうか。
 人工飼育で育ったトリでも産卵と卵を温めることは教わらなくてもできる。これは本能だ。しかし、卵からかえった雛を育てることはできない。それどころか敵とみなして攻撃すらするという。このことから子育ては本能ではなく、学習といえよう。
 学習なら、技量に個人差が出る。上手い下手、向き不向き……が生じて当然だ。しかも人間の場合、総じて下手になっていることを理解しなければならない。子育てに向かない、子育てが嫌い――そんな母親がいても不思議はない。

 今、日本はかつてないくらい血縁主義の偏重に陥っている。
 個人より家の存続が重要であった時代。次男、三男…は、跡取りがいない家へと養子に出されるのが一般的であった。子宝に恵まれない夫婦が子沢山の家庭からもらい受けることも珍しくなかった。そのこともあって、親子関係は必ずしも血縁関係と同義ではなかった。ところが、時流は逆に動いている。子の養育はもっぱら実親が行うべきという偏った考えが浸透してしまった。
 その背景として考えられるのが、まず核家族化の進行だ。戦後日本人はアメリカのライフスタイルを大いに取り入れた。核家族化もその一つだ。多世帯・大家族が主流であった頃、親類縁者との交わりは多く、地域コミュニティとの接触も頻繁であった。そのため子育てに実親以外の者が関わることが多かった。しかし、核家族となり、子育てに実親以外の者が関わるのは激減した。これに拍車をかけているのが住宅の変化だ。住宅の高層化は地上との隔絶を、密閉性の高さは隣との隔絶を促進した。戸建て住宅もその傾向が強い。各自が個室を持ち、敷地を塀で囲ったため「ご近所さん」と縁側で一服ということもなくなった。いきおい地域社会から隔絶された密閉空間での子育てとなる。血は水より濃いどころかドロドロである。

 およそ人間は何のために生きるか。哲学的な意味はさておき、生物学的にはただ一つ。それは子孫を残すためだ。カッコウのように子育てを他の鳥に委ねる鳥もあることからわかるように、実親による養育は必須の条件ではない。結果として子どもが生き残れば、この命題を満たすことになろう。
 ヒトは、肉食を覚えたのを契機に社会を形成してきた。形成せざるをえなかった。牛のように自分より大きな獲物を仕留めるには仲間の協力が不可欠だし、肉食獣のテリトリーを荒らせば、逆に餌食になるおそれもあるから、共同で身を守る必要があった。このように人間は、単独で生きることができないので、集団つまり社会に依拠している。ならば、社会全体が親として、子が育つ環境を整える責務を負っているといえよう。誰が養育を担当するかは問題とならないはずだ。養育を必要とする子どもより上の世代は全て「親」と考える。そう考えるならば、一人の親で完結するより、むしろ「産む」「育てる」「支援する」……得意の分野で本領を発揮する分業制をとった方が合理的かもしれない。
 とはいえ、定着してしまった社会制度や倫理規範を根本から見直すことは難しいかもしれない。しかし、虐待の疑いが強いならば親権を停止して児童を保護する、養子縁組を促進する。といった手だては可能だろう。これまでの認識を改め、衆知を結集して児童福祉の充実をはかるべきである。
 虐待は負の連鎖を生むという。虐待を受けた子は、親になってから子を虐待する傾向が強いからだ。虐待の遺伝だけは阻止しなければならない。
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番狂わせを呼ぶ国語 (1)

2014年07月19日 | エッセイ・雑感
サッカーのワールドカップを見て感じたのは、事前の予想や「ランキング」があてにならないこと。ランキング1位のスペインが早々に敗退を決めたのに対して、D組で最下位のコスタリカが決勝トーナメント一番乗りを果たしました。

番狂わせが起こるのは受験界でも同じです。ランキング・偏差値の高い受験生が本番で実力を発揮できないことがあります。今年、センター試験がふるわず、涙をのんだ受験生も多かったようです。勝敗を左右したのは、国語。模試で160点をゲットする実力がありながら、90点代にとどまったという話を聞きます。なぜ番狂わせが起こってしまうのでしょうか。それは、時間帯と出題形式にあると思います。

まず、時間帯。センター試験で国語は1日目。1日目は長丁場です。受験する科目にもよりますが、会場入りから解散まで10時間を超えることも。ウンザリするくらい長い拘束時間です。優秀な受験生ほど先を読む能力に長けていますが、これが災いします。「次は国語、その後英語の筆記とリスニングか。ウンザリだなぁ」と“疲労感”を先取りしたり、「リスニングの機械はちゃんと動くかな」などと心配を先取りしてしまいます。このためちょっとした鬱(うつ)状態に。長い昼休みの間にあれこれ考えてしまうようです。

また、眠気との闘いになることも軽視できません。国語が実施されるのは昼休み明け。もっとも眠い時間帯です。実際に眠ってしまう受験生もいます。

(つづく)

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ことばは正しく使うな!?

2012年07月06日 | 読解問題用書き下ろし
ことばのルールを勉強することは重要ですが、それにとらわれる必要はないともいえます。文法、語法…といったルールはあくまでも原則であり、一見誤りに見えても、ちゃんとした理由があったり、すでに定着しているため元に戻れない場合もあります。

その一つが、敬語の「いただく」と「くださる」の区別。原則として、「くださる」は相手を敬う場合、「いただく」は自分がへりくだる場合に用います。
例えば、「先生が、サーブの打ち方を教えてくださった」「私は、先生にサーブの打ち方を教えていただいた」と使い分けます。
ところが、この使い分けは大人でも難しく、誤りが多く見られます。例を挙げると:「雨の中ご来店くださりありがとうございます」とすべきところを「雨の中ご来店いただきありがとうございます」という人がほとんどです。

このような「いただく」の使いすぎはなぜ起こるのでしょうか。私の推測ですが、音が鋭いので躊躇してしまうのでしょう。
「うるおい」「あでやか」「おっとり」など日本古来の大和言葉には、「カ行」「サ行」といった鋭い音は少ないですからね。
また、意味的にも「お客様のご来店を私はちょうだいしました」と読み取ることも可能です。

これに対しては、店に来たのは私ではなく、客であるから論理的でない、という反論があるかもしれません。
でも、日本語は論理を重視しない言語であるから、あながち不合理といえないでしょう。
「負けず嫌い」を思い出してください。負けたくないという強い気持ちを示すのですから「負け嫌い」というべきです。しかし、そう言わない。
このようにルール・論理よりも音の響き・雰囲気を重視する場合もあるのです。

以上のことから、ことばの使い方は柔軟にすべきといえましょう。
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理由付けが“命”

2011年01月30日 | 解き方
説明文・論説文の作者にとって、腕の見せ所は、独自の意見とそれを支える理由付けだ。

出題者も当然そこに反応する。読者である受験生にもそれに共感することを求める。

見つけ方のコツを示しておこう。理由を示すことばに傍線などの印を付けることを習慣にしよう。「なぜならば…」「…だから」そして「…のだ」には作者独自の論理が込められていることが多い。
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勉強の前にトランプ!?

2010年10月27日 | 学習方法
NHKテレビのすイエんサー「ミラクルな力を発揮しちゃうぞ!スペシャル」で体を動かした後では暗記力が高まることを実験で示していました。運動の後は脳の血流が活性化するから勉強がはかどるという理屈のようです。

スポーツも勉強も“体の運動”だから、準備運動・ウォーミングアップをすると効果が上がるのも道理。といっても、激しい運動をする必要はないでしょう。勉強の前に,机の上や周りを片付ける,背伸びをする…といった軽い動きで十分。

私が勧めるのは“トランプ”です。ゲームをして楽しむわけではなく、マークごとに分ける,番号別に分ける,一人七並べをする…どれか一つをやってみましょう。

目と手を動かし、頭も動かす…適度なウォーミングアップになります。加えて、観察力と判断力を鍛えるトレーニングにもなりますよ。

『すイエんサー』http://www.nhk.or.jp/suiensaa
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漢字ができなきゃ読解もできない!?(2)

2010年02月01日 | エッセイ・雑感
漢字は“観察力”を鍛えてくれます

漢字を学習していくと、自然に対比の視点が身に付きます。たとえば、(1)「蜜」と「密」は、読みは同じで形も似ているが、全く別の漢字である。逆に、(2)「美」と「様」は、見た目は違うがともに「羊」を共通にしており、喜ばしい状態を示す。などに気づくはずです。この対比の視点が、観察力を育ててくれます。

読解問題の本文では、多くの場合二つの事象を対比しながら論述が展開されます。 (1)似ているが…の点で異なる。(2)異なるが…の点で共通する。と2つのパターンがあり、どこまでが同じでどこから違うかをキチンと観察して区別できなければ、論理の展開についていけない。出題者は、そこを狙う。

この区別という能力は、手を変え、品を変え試されます。原因と結果の区別。目的と手段の区別。事実と意見の区別。意見としてだれの意見なのか(筆者か,一般論か,引用した他の論者か)…など。

対象をしっかり観察して異同を区別できる。漢字学習がその能力を鍛えてくれるのです。

(つづく)
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漢字ができなきゃ読解もできない!?(1)

2010年01月27日 | エッセイ・雑感
漢字ができない生徒は、読解もできません。漢字は読解問題を解く上でも重要なファクター。

漢字学習というと、知識を身に付けるだけの“単純作業”にすぎないと軽んじる傾向があります。しかし、これは認識不足と言わざるをえません。

日本語は、漢字,ひらがな,カタカナ…と複数の文字があるのが特徴です。しかも混ぜて使用する。漢字ばかりの文章、ひらがなばかりの文章…はありません。

ライターは、状況に応じて、漢字,ひらがな,カタカナ…と使い分け、視覚的にもすっきりするようバランスよく配置するのです。
また、重要度によっても差をつけています。キーワードには漢字をあてることが多いようです。

したがって、漢字に関する感覚が鈍い生徒は作者のキーワードを見逃しがち――といってよいでしょう。

(つづく)
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スポーツ関連の言葉、気になりますか?

2010年01月26日 | エッセイ・雑感
冬のオリンピックが近づき、「皆さんに感動を与える演技をしたい」と意気込みを語る選手が多いようです。これに対し、「感動は与えるものではない」と異を唱える人もいます。私は、日本語の英語化と捉えています。感動する試合は英語でmoving gameとなり、直訳は「感動させる試合」です。

これは、自動詞が他動詞へ転じた例と考えられます。選手が主体的に観客の気持ちを左右するようになったことの表れ。

スポーツの世界でもエンターテイメントと同様、アピールが重要になりました。観客にアピールし、その声援を得て好記録、高得点を叩き出す選手が増えてきた。その先駆者が陸上三段跳びバンクス選手でしょう。体操の具志堅選手は、歌手のライブを見て観客にアピールする方法を勉強したといいます。

ところで、スポーツ関連でいえば、私は「優勝おめでとうございました」と過去形を使うインタビューが気になります。過去形は距離を置くために使われます;時間的な距離を示すという本来の用法に加えて、人的な距離を置いて丁寧さを表す、事実との距離を示して仮定を示す…という具合。ですから、優勝を決めた試合の直後でありながら、過去形を用いるインタビュアーは「あんたの優勝なんか、私にとっては何も関係ない」と距離感を示しているようです。興ざめしてしまうのです。
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本文は1.3回読め!!

2009年04月28日 | 解き方
中学入試において、国語の場合、長文を素材にした読解問題が出題されます。何度もじっくり読み返すことができればよいのですが、試験時間は限られているので、そうもいきません。ですから、効率的に読む必要があります。

1回で、全てを理解できるのが理想ですが、先の展開が分からないまま読み進めるのも不安で、読みが“浅く”なってしまいがち。

そこで、初めと終わりを部分的に読み、改めて、読み返す――という方法を勧めます。

説明文では、筆者の心情として、「まず結論ありき」です。次に、どのように読者の関心をつかむか初めの部分:新聞で言えばリード文を考えます。そして、どんな例を挙げて、どのくらいの深さで論を進めるのか、を調整します新聞など媒体によっては与えられるスペースが限られるので、文字数を調整するのはこの中間部分です。

ですから、全体を読む前に初めと終わりを押さえておくと効率的です。といっても最終段落だけでは、まとまりに欠ける場合があるので要注意。小括・総括の2段構成をとる場合があるからです。段落2つ分は読みたいですね。

初めと終わりが重要なのは、説明文だけでなく、文学的な文章でも同じ。問題用紙は限られているので、必要最小限で引用するはずです。ですから、出題者は、素材となる本から「どこで始まり」「どこで終わるか」を慎重に判断します。言いかえると、初めと終わりは、問題に密接な関係があるので、注意深く読む必要があるといえます。
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退廃ムードに活を!!

2009年04月28日 | エッセイ・雑感
国語のカリスマ教師ってあまり聞いたことがありません。画期的な指導法を確立するのが難しいからでしょう。ですから、小手先の指導に終始しているのが大勢です。

読解力をアップする指導をはなから諦めて、漢字、慣用句などの知識問題の練習に終始している塾があります。また一見、読解指導を行っているように見えても、問題演習と解説だけの塾もあります。つまり問題を解かせて、若干の説明をするだけ。さらには、文章内容のジャンル・カテゴリーをムダに細分化して、こういう問題はこう解くと、“マニュアル化”して、勉強した“気分”にさせる塾もあります。

と、お茶を濁すかのような“指導”が行われているのが実態なのです。

業界がそんなムードですから、やる気がない教師が多く、「読書習慣のない子は伸びない」「文化力が低い家庭の子は無理」と生徒・家庭のせいにして自分の指導を磨こうとしません。

私が、無料でメソッドを公開しているのは、こうした退廃ムードに活を入れたいからです。
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