ゲートボール(GB)日記

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民主主義の日本では原子力利用による人々の被害は私達の罪

2020年10月01日 | 社会

東京電力福島第一原発事故により人々が受けた被害については東京電力と国に同等の責任があるという考えが通りそうです。津波による電源喪失の恐れについては2011年の大津波以前に識者から問題提起があり、東京電力は検討した上で問題はないと判断し、また国もこの東京電力の判断を追認しました。ところが本当に大津波が来て識者の予測通り、電源喪失がおこり、原子炉が3基もメルトダウンするという決してあってはならな事故がおこりました。東京電力が安全な場所に電源を移さなかった理由は、お金を節約するため、確率を無視し、非科学的に、大津波はこないと考えたことにあります。完全に安全軽視です。その東京電力の判断を追認した国も安全軽視です。したがってこれは国と東京電力の罪です。

それでは原子力利用推進による今後日本の人々が受ける被害はどうでしょうか。

現在原子力規制委員会がありますが、どう考えても原発の安全度を上げる努力はしていますが、安全にはしていません。規制委員会ではなく、本質は推進委員会だと思います。

まじめな地震学者、土建学者、プラント学者は、原子力利用推進派の大地震被害・危険軽視に耐えられないと言っています。彼らは安全だと考えて推進しようとしていると主張しています。

戦争手段としてミサイル技術が高度に発達していますが、日本はミサイル攻撃を受けると予測して防衛力強化に努めています。それでは50以上もある日本の原子力施設でミサイル攻撃に耐える施設はあるでしょうか。テロリストが肩で発射するような小型のミサイルなら防ぐことができるかもしれませんが、軍艦や基地を一気に破壊する大型ミサイルを防ぐことができる施設などありません。日本の敵は核兵器など使う必要はありません。爆発力の大きい通常爆弾を搭載したミサイルで日本の原子力施設を攻撃すれば核兵器で攻撃したのと同じ被害を日本に与えることができます。

想定外の機器設備の故障、操作ミスなどは、小さいがある確率でおこる避けられない問題です。事故が広域放射能漏洩・汚染となると回復不能な被害になります。これが原子力施設のこわさです。

100%の確率でおこることは、事故がなくても温排水に放射性水素がどうしても混じること、微量の放射性物質が大気に拡散し続けること、そして大量の放射性廃棄物を子孫が永久に安全保管しなければならないことです。地下深く埋めるというアイデアは安全性が検証できていません。仮に安全と評価できて実行したとしても、無人で放置できる保管ではありません。定期的に人が保管を管理しなければなりません。永久管理です。先祖の罪の罰のような非生産的仕事にまじめに取り組む人っているでしょうか。管理がいい加減になって放射能漏洩・汚染がおこることは目に見えています。

現在の電力需要のため、原子力利用を続けることは現代人である私達の罪です。国会は原子力利用について現代人が責任をとれるかまじめに考えるべきです。将来技術が進歩して原子力利用は安全になると考えるのでは無責任すぎます。



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