ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

思い出の中のゲートボール(GB)仲間3

2022年07月04日 | Weblog
GB部に入部したときの部長M氏は、GB部設立時から部員だったそうです。町に老人会ができるとすぐGB部も誕生したとのことですから彼はその時すでに30年ぐらいのGB歴だったと思います。当時82歳でした。

寡黙な人で、過去のことをほとんど口にしませんでした。きくとちょっと話してくれましたが、物語になるようなお話はしてくれませんでした。断片的だったので想像も困難でした。

彼の前の部長(T氏)が非常に世話好きでよかったが、亡くなってしまい、その後、部員が減り、さびしいと言っていました。この世話好きだったというT氏のことは私はまったく知りません。しかしT氏が制作したという得点ボードが残っていますが、これが素晴らしい作品で、現在も修理をしながら使っており重宝しています。また、T氏の奥様から遺品のGBスティックのヘッドをいただきました。なぜかシャフトがありませんでした。使い込まれてグリップが痛んでいたのでしょうか。両フェースチタンの高級品でした。フェースはまったく問題ありませんでした。カーボンシャフトを買い、今愛用しています。

話を戻しますが、M氏から打撃や作戦を厳しく教えられたことはありません。その都度、こうするといいと教えられた程度です。M氏の審判資格は3級でした。

しかし、よほどのことがない限り、毎回、集合時間に公園に来て、準備をし、打撃練習などをしていました。週3回ですからすごいことだと思いました。週3回GBをやることが生活になっていたと思います。健康法であったと思います。

スパーク打撃で相手のボールをアウトボールにするのが得意でした。どのスパーク打撃も打撃が強く、ボールがコート周辺のツツジの群生の中に入ってしまうのでボール探しが大変で、部員は、彼に手加減してくださいと言うのですが、強烈なスパーク打撃は彼のくせで直りませんでした。

彼の連絡はしっかりしていたので部員が迷うことはありませんでした。

部長を退任してからもGBを楽しむ習慣は変わりませんでした。大会参加を嫌がったことは一度もありません。勝っても負けてもいつものとおりGBを楽しんでいる風でした。大会で混乱して作戦を考えることができなくなる、第1ゲート通過ができないなどの不調があっても、GB嫌いになったことはありまでんでした。区の大会では審判要員を出さなくてはならないが、彼は超高齢になっても審判になることを拒否したことはありません。

昨年前半まで元気にGBをやっていました。しかし秋になって体力が急に落ちました。体力は回復しつつある、みんなとGBをやると言いながら今年初め世を去ってしまいました。92歳でした。

約10年間のお付き合いでしたが、自分では気づかないまま非常に深い関係になっていたようで彼のなきがらの前で私は泣き崩れました。

私も死ぬまでGBを生活とし、みんなと楽しみたいと思います。


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