樋口一葉ゆかりの千束稲荷は初午より二の午を盛大にやる、
と言っても小さな神社なので夜になって街の人が集まるくらいかな。
一葉は若いころ短い間だったけどこの辺りに住んでいたことがある、
一葉記念館も旧居跡もすぐ近くにある。
24日は二の午の日、ここは職場から徒歩5分くらい、楽ちんだね。
去年はこの鳥居に大きな絵かな行灯かなそんなのが架かっていたし
外にも地口行灯があったけど今年は無かったな。
お稲荷様のお使い、いろいろな神社みんな顔が違うけど
ここのおキツネさまはいい顔をしている。
地口行灯は江戸っ子が冗談を楽しんだもの、
そのダジャレと絵の上手さを競い合った。
江戸期には町内の若旦那かなんかが案を出し提灯屋かなんぞが描いたらしい、
今は描く人が少なくなって困っているとか。
朝のうち曇っていたけど行った頃には青空が広がってきた、
青空じゃないと赤い幟が映えないもんね。
境内には樋口一葉の胸像がある、ちょっと怖そう・・・。
胸像に刻まれた碑文の解説と説明、
一葉の本名は夏というんだね。
ささやかに咲いた紅梅などが二の午祭に色を添える、
相変わらず風が強かったけど次第に止むということでよかったね。
夜になったら地口行灯の明かりも点いていいお祭りになりそう。
昔、五千円札が出たころこの近くの駄菓子屋で五千円札煎餅なるものを売っていた、
細長いお煎餅は五千円札そのままの形、買って帰って農業公園のみんなに分けたが
今でも売っているのだろうか。
2月24日 千束稲荷
と言っても小さな神社なので夜になって街の人が集まるくらいかな。
一葉は若いころ短い間だったけどこの辺りに住んでいたことがある、
一葉記念館も旧居跡もすぐ近くにある。
24日は二の午の日、ここは職場から徒歩5分くらい、楽ちんだね。
去年はこの鳥居に大きな絵かな行灯かなそんなのが架かっていたし
外にも地口行灯があったけど今年は無かったな。
お稲荷様のお使い、いろいろな神社みんな顔が違うけど
ここのおキツネさまはいい顔をしている。
地口行灯は江戸っ子が冗談を楽しんだもの、
そのダジャレと絵の上手さを競い合った。
江戸期には町内の若旦那かなんかが案を出し提灯屋かなんぞが描いたらしい、
今は描く人が少なくなって困っているとか。
朝のうち曇っていたけど行った頃には青空が広がってきた、
青空じゃないと赤い幟が映えないもんね。
境内には樋口一葉の胸像がある、ちょっと怖そう・・・。
胸像に刻まれた碑文の解説と説明、
一葉の本名は夏というんだね。
ささやかに咲いた紅梅などが二の午祭に色を添える、
相変わらず風が強かったけど次第に止むということでよかったね。
夜になったら地口行灯の明かりも点いていいお祭りになりそう。
昔、五千円札が出たころこの近くの駄菓子屋で五千円札煎餅なるものを売っていた、
細長いお煎餅は五千円札そのままの形、買って帰って農業公園のみんなに分けたが
今でも売っているのだろうか。
2月24日 千束稲荷
お天気が良くなって良かったね。
「地口行灯」なかなか味がありますね。
そっかぁ~描く方がねぇ・・
伝統のものを受けつく人が少ないのは寂しいね。
樋口一葉さん、若くして亡くなったよね。
もっと長生きされてたら、たくさんの良い作品を書かれてたでしょうに・・・
この日も朝方は曇り空、赤が映えないよ~っとやきもきしたけど
行く頃には晴れてきてよかったぁ、強風には文句言えた場合じゃない。
この頃になるとテレビでも地口行灯の話題が出てきたりします、
どこでも絵を描く人が少なくなって困っているみたい。
けど浅草の伝法院通りでは常設?されています、
いつ行っても通りにずらっと並んでいて若い人も喜んでいる。
樋口一葉は結構あちこちで生活していたみたい、
浅草のときは吉原の隣り、裏側。
明治になったら吉原を囲んでいた堀、お歯黒ドブは無かった?
子供ながらに行き来していたみたいで
その頃の記憶からたけくらべを書いたみたいですね。
子供の足でもいくらもかからなかったと思いますよ、
明治のころなら家も立て込んでいなかったろうしね。
もうちょい行った所に与謝野鉄幹・晶子も住んでいたという噂も、
確認されていないけど根岸の住所で友人に葉書が来ている。
いろいろほじくり返すと何が出てくるのか分からない、
結構な場所に職場を与えられてちょっぴり感謝かな。(^^♪