every day

日々感じたり思ったりしたことを書いていこうと思います。

集団的自衛権かぁ~

2014年04月07日 | 社会
「集団的自衛権」

文字だけ読むと
みんな、一緒に守ろうぜ!・・・か?

アフガニスタン、イラクの戦争の時、日本は確かに発砲はしていない。
それは憲法が足かせになっていたから。

そして、自衛隊を守る為にオーストラリアの軍人が殉職した。

その時、オーストラリアの軍人は思ったという
「こいつら、本当に自分たちが攻められたら助けてくれるのか?何で襲撃されてテントに逃げ込む奴を守らなきゃいけないんだ?」

確かに。

そりゃそうだろう!

日本が敗戦国となり、今の憲法で軍を持つことが出来なくなった。
そして、己の国が攻められて初めて応戦できる「自衛隊」というものになった。

要は

「攻撃されて死傷者が出たから、こりゃ応戦せにゃならんべ!」

ってことで、誰かが犠牲になるのが前提と考えた方が良い。
仮に、死傷者が出なかったとしても、何かしらの被害は被る訳なのよね。

平和ボケした日本人は
「戦争になっても、アメリカが守ってくれるから」
などと言っているけど。。。。。そりゃ当てにしちゃアカンでしょ!

理由なんて考えればいっぱいある。

「同じ国の人間でも無いのに、なんで命がけて自分の国の為じゃなくて他の国の為に戦わなきゃいけない?」
「そういえば、この国って基地を県外だの、国外だの云々言ってたくせに守ることは押し付けてくる」

その上、彼の地は経済が破綻しかけている。。。
(まぁ、世界中が大変な事になるから、ギリギリで真っかっかな経済であろうと破綻はさせないだろうけど)
何せ、自由の女神の観光は出来ないなど観光で収入を見込めるところさえ何ともならなかったことなど、つい最近のこと。

その国にすれば

「憲法なんて換えて自分の国くらい自分たちで守れよ!」と思っていても。。。。。不思議でもなんでもない。

そこで、少しでも日本という国が他国と共に守り合える唯一の作かもしれない
「集団的自衛権」
これで、連合国が思うことは一つ

「あぁ~これで、日本の前に進撃することになったとして攻められても、援護射撃がある。
これならフィフティ・フィフティだよな。
守り守られでなきゃやってらんないぜ!」てなもんですがな。

戦後60年
何処よりも平和な国の日本

居眠りが出来る電車の中
お尻のポケットに長財布を入れて歩けること
壊れているのではなく、壊されていない普通に使える自販機があること
夜遅くにコンビニに一人で行くことの出来ること

これは、当たり前のことでは無い
日本が平和だから

そりゃ、どこに行ったって危ないところくらいあるけど、やはり治安の良さは群を抜くというか毎年ベスト10どころか一桁なのです。

私たちが「危ないだろうなぁ~」と思うイラクですら4位
ワースト1ではない。
婦女暴行が横行するインドですらワースト10に入っていない。

とにかく、日本は平和だということを大前提にしなくてはいけない。

ところが、隣の芝は青く見えるどころか、実際に青いのだから妬み嫉みも半端無いことも意識した方が良い
韓国や、中国など良い例だ。

平和ボケした日本人が海外旅行に行ってスリや盗難に合う。
理由もなく暴言を浴びせられる。

で、日本人はどうかというと

「まぁ、そういう人もいるんじゃない。全部が全部そういう人だと限らないしねぇ~」

確かにそうだ。そうだけど、そうじゃないとは言い切れない。
誰もかれも疑ってかかるのはとても悲しいことだけど、人種が違うということはそういうこと。

嫌な思いをしたことは私もある。
その度に「こんな国、二度と来るか!」と思って。。。。二度と行かない(笑

日本人の人の好さが好かれる理由の一つだということも理解できる。
日本人の優しさが好かれる理由の一つだということも理解でききる。
日本人の秩序の良さが好かれる理由の一つだということも理解できる。

それでも、訳の分からん日本人はいる。

平和ボケは。。。やはりいかがなもんだろうか?

核兵器反対も良い。とっても良いことだと思う。

それでも今、時代は己の実は己で守る。
自国民は自国で守るという意識を持たなくてはいけない岐路に立たされているような気がする。

昔子供の頃に聞いた
「戦争は、一発の銃弾から始まる」
今、年齢を重ねて思うのは
「戦争が始まるのは一発の銃弾からでは無い。たった一言から始まることは充分可能性としてある」ということ。

沢山のことを考えた上で「集団的自衛権」は致し方ないことのような気がするし、必要なのかもしれない。

自衛隊員の命を一つでも失わない為にも。。。。。この世の中に不必要な命など一つもないと思うから。