■■■■■■■■■■■■自然回帰■■■■■■■■■■■■
■「自然への回帰」
●中国武漢に端を発したコロナウィールスは、瞬く間に世界を翻弄した。
夏場を迎えた日本では、ようやく終息の状況だが、いま冬場を迎えた南半球の
ブラジルでは、これから蔓延の兆しがある。日本でも11月以降の第2波の到来
が、危惧される。
最近,世界の自然科学者が発表した学説によると、このコロナウィールスの根源
的な発生要因は、世界的なさまざまな自然破壊がもたらした所産だという。
そのためか改めて地球の自然回帰、自然環境への関心が高まりつつあるという。
●私ども人類が、自然回帰ですぐにでも取り組める事がある。
・地球の温暖化を防ぐこと。
・資源の持続的可能な利用を進めること。
・海や森の自然を守ること。
・野生動物を守ること。
既にプラスティクによる海洋汚染の防止活動は、世界レベルで実行に移されて
いる。また、石炭エネルギーの転換も進む。
当面、武漢コロナを徹底的に追い込むためには、これらの自然回帰の取り組み
を進めながら、一日も早いコロナワクチンの開発が、成功することだろう。
■「神の采配」
●人間という動物は、いかにも賢明に見えるが、しばらく何もなく安泰だと、
すぐに怠惰に流れてしまう。「反省」と言う貴重な武器を持てど、時すでに遅
い事が余りにも多い。
だから人は、相当のショックや被害を被って初めて、あまりの無防備な自分に、
やっと気ずくのである。賢明の様でいい加減、まさに反省、先に立たずである。
こうして、いつ来るかわからない様々な生活のリスクに対する平素からの構え、
いわゆる「予防」の必要性が、改めて叫ばれている。
実は、武漢コロナに対する予防も、領土侵略に対する国防も、巨大地震に備え
る予防対策も、予め備えるという事からすると、全て同じ予防の領域に思えて
くる。
見えない事を予め想定して、事前にリスクヘッジする。これは、相当レベルの
高い感性の所業と言えるが、安全に生活するためには、決して放擲してはなら
ない重要な課題である。
■「森と花の国の軌跡」
●タイは本来、米や天然ゴムの農業と観光が主要産業の新興国だった。のちに
日本から自動車産業を誘致して、今や自動車年産200万台の産業中進国へ変貌し
つつあるところだ。。
しかし,国土のほぼ40%を占める森林は、19世紀以降の乱伐で、政府は、1989年
に丸太伐採禁止令を出し、経済植林を通じて自然保護事業に格別の力を入れた時
期がある。それに呼応して日本の民間ボランチア団体が、こぞってタイの植林活
動に参加した。この活動を通じて学生時代に、タイを知った中年の人たちも多い
と聞く。
タイの森林政策には、時のプミポン国王の王妃が、特別な関心を寄せるところと
なり、チェンマイの王妃植物園は、世界的な存在としてあまりにも有名である。
それでも、タイの森林面積の減少は、深刻な状況が続いており、1906年に始まっ
たチーク造林をはじめ、ユーカリやビルマカリンなど主要樹木の育成に力を注い
でいる。何しろ樹木は、その育成に百年単位の年月を要するだけに、国を挙げて
の遠大な注力が求められる所以だ。
●私には、こんな貴重な経験がある。
いまから15年前、タイ・ロングスティの国際活動でチェンマイを訪れた時の事、
私どもの現地のパートナーが、案内してくれたのがチェンマイ国際園芸博覧会(俗称
花の万博)だった。
タイのプミポン国王在位60周年と80歳の誕生の祝賀を兼ねての祝賀行事として開催
されたもので世界主要30国が参加した。それは、タイ原産の花やチークなど森林素
材を有効に生かした、広大な大植物公園である。
日本でも、1990年に大阪市鶴見で開催された国際大阪花の万博があるが、2006年当
時の新興国タイとしては、相当思い切った政府の政策的投資に思えてならない。
●農業国を標榜するタイの北部地方の国民に、大いなる希望を持たすために、当時
の国王(前の国王と王妃)が主体なって、国を挙げて花の万博の誘致に成功し、それ
がきっかけで、アセアンの中核国としての発展の発端になったという。
またチェンマイ県が、世界的な花卉市場として、世界デビューの端緒になったとも
言われている。
●因みにタイ経済の足跡を振り返ると、タイの経済規模は、
・1960年わずか 589億バーツ ( 28億ドル)
・1970年には、 1483億バーツ( 71億ドル)
・1980年には、 6625億バーツ( 324億ドル)
・1990年には、2兆1835億バーツ( 853億ドル)30年で37倍の成長。
・1996年には、4兆5983億バーツ( 1814億ドル)
●1997年7月には、タイを震源とする「アジア通貨危機」という自国通貨の為替
レートの大暴落があつた。タイはドル固定相場制から、管理変動相場制移に移行して、
経済危機の防衛に努めたが、14%大暴落した。
危機はインドネシアやフイリピン、韓国にもおよび各国通貨は大暴落の危機に見舞わ
れたが、IMFがのりだし終息をみたが、金融機関や企業の破綻が相次いだ。
1997年から1998年までマイナス成長が続いた。
2001年には、5兆1001億バーツ(1141億ドル)を記録、完全復活した。
●この2000年当時をしのばせる日タイの貴重な経済指標がある。
2000年のタイ経済の規模を、当時の日本経済と名目GDPで比較したものである、
(GDP一人当たり) 2000年当時
・日本 4兆7600億ドル 100%
・タイ 1220億ドル 3%(人口換算後6%)
タイ人口は日本の約半分のため、1人当たりのGDPは、日本の僅か6%水準だった。
●タイは、アジア通貨危機を契機にして1999年GDP成長率はプラスに転換した、
2000年には5%とした。そして、中長期的な発展を目指して、持続可能な軌道を
探り「充足経済」に大きく舵をきった。
人材開発、農村開発、自然資源と環境管理、安定したマクロ経済管理、世界経済への
競争力、科学技術の発展、そのための経済システムの構造改革などが、当面の主要な
政策課題に決まった。折しも私どもがタイ政府と協働した「チェンマイロングスティ」
に着手した2000年と重なる。
振り返れば当時のタイは、戦後昭和の初期の日本と同様、北部地方のチェンマイ辺り
でも、人々の表情は、格別活気に溢れていた。チェンマイ花博は、それから約6年後に
開催されたことになる。
●それから20年タイの中進国への飛躍は、1996年のアジア危機を原点にして、大きく
政策転換した。途中何度かの政変やクーデタ、巨大な水害があったが、今や年産200万
台のアジア有数の自動車生産国であり、年間4000万人を超える外国人観光客を呼び
こむ観光大国でもある。
●「アジアのコロナ感染症発症者数」(2020,06,10現在)
(国名) (感染者数) (死亡数) (人口)人
・日本 17502 925 1億2650 ●
・タイ 3135 58 6779 ●
・マレーシア 8453 121 3239
・シンガポール 40818 26 564
・インドネシア 38277 2134 2億6416
・インド 332424 9520 13億3422
●今回のコロナ旋風では、近隣のシンガポールやインドネシアが、相当多大な発症数や
死亡者数を記録しているにも関わらず、タイは、圧倒的に少ない発症数で推移している。
その理由の一つが、花博に端を発した花と森による自然回帰という国の政策が、大きく
影響しているのではないか。また自然保護先進国タイへの自負が、極めて少ないコロナ
感染症数に、如実に現れていると見る向き(識者)も多い。 (続く)