JSP_Blog

JSPから発信するビジネスブログ

松本零士さん

2018-04-13 08:29:57 | 日記
先日、「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」等で有名になった、漫画家の松本零士さんにお会いする機会がありました。幼い頃、テレビで「銀河鉄道999」を観ていて、銀河鉄道の世界に憧れを抱いていたので、松本零士さんにぜひお会いしたいと思っていました。


松本零士さんについて紹介させて頂きたいと思います。


松本零士さんは福岡県久留米市出身。

父親である松本強さんは、帝国陸軍の軍人であり、また陸軍航空部隊の古参の操縦者(パイロット)であった。第二次世界大戦中、その父がテストパイロットをやっていた関係で、4歳から6歳まで兵庫県明石市の川崎航空機の社宅に住み、その後は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた。


戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、「敵の戦闘機には乗れない」と断固拒否。実家がある大平村での炭焼きや、小倉で野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落としたが、零士少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押したという。この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にハーロックや沖田十三のモデルとして、松本さんの作品に生かされていった。


終戦後、小学校三年から福岡県小倉市(現・北九州市)に移る。小学生のときからの漫画少年で、高井研一郎さんらと同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。


1954年、福岡県立小倉南高等学校1年生のときの投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』に掲載されデビュー。そのときから中央でも既に知られる存在で、手塚治虫さんが出奔先の九州で原稿を描くときに高井さん、松本さんら九州漫画研究会にアシスタントを頼んだというエピソードもある。高校卒業後の1957年、月刊少女雑誌『少女』の連載が決定して上京。


出世作となったのは1971年から『週刊少年マガジン』に連載した「男おいどん」である。同作は人気となり、1972年に講談社出版文化賞受賞。


1974年秋から放送されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』によって人気を得、1977年の劇場版アニメ公開時には社会現象を巻き起こした。また、自らも企画として温めていた『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』がヤマト人気によりアニメ化が決定され、特に『銀河鉄道999』は大ヒットし、松本零士ブームが到来。


1980年代後半からは、宇宙開発事業団などさまざまな団体の役職に就任。

2003年には、画業50周年記念作品として『銀河鉄道999』から派生した『銀河鉄道物語』が発表された。

2006年に宝塚造形芸術大学のメディア・コンンツ学部の教授に就任。

2010年に旭日小綬章受章。

2012年に芸術文化勲章シュヴァリエ受章。

以上が、松本零士さんの経歴になります。


松本零士さんの本を何冊か読ませて頂いていますが、「松本零士創作ノート」は松本零士さん自身が人生で気づいたこと、学んだことについて書かれています。一言一言、心に響くものがありました。情熱と人情の方だなと思いました。

あと、先日、松本零士さんにお会いした時、「自分の目で地球を見て、あの世に行きたい。火星にも冥王星にも行きたい。体験することは大事。」という松本零士さんの言葉が印象に残りました。松本零士さんは現在80歳ですが、80歳とは思えないくらい、非常に若く見えました。

松本零士さんは世の人々に、無限の可能性と真心を持つことの大切さを訴えられたように思います。

松本零士さんとの出会いに心から感謝します。私も松本零士さんの如く、無限の可能性を信じていきます。(横)


moniswitch
  今お使いの離床センサーがそのまま使える!
  離床センサーのスイッチ入れ忘れ事故防止に

monipet
  動物病院の犬猫の見守りをサポート
  病院を離れる夜間でも安心

ASSE/CORPA
  センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
  「できたらいいな」を「できる」に

OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
  短納期HEMS開発をサポート!

GuruPlug
  カードサイズ スマートサーバ

株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 席替え | トップ | ブログネタに困ったら »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事