「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

6月14日は日本サッカーにとっても記念日

2012年06月14日 17時31分15秒 | インポート

6月14日は日本サッカーにとっても記念すべき出来事が多い日だ。「日本サッカーにとっても」としたのは、当ブログの書き手にとっても記念の日だからだ。

こちらの記念日といえば、人間誰でも一つや二つの記念日があるわけで、いまさらという類いの記念日だ。もはや、うれしくもない日だが、こと日本サッカーにとっては永遠に語り継がれる日だけに、そういう日と重なる自分の記念日は運命的なものなのだろうと、一人でうなずいている。

手もとの全国紙に「10年前のきょう」という毎日掲載される記事がある。今朝は「W杯きょうチュニジア戦、興奮列島ゴールの行方は?」となっている。

そう、10年前の日本列島の6月はワールドカップ一色だった。すごい報道量だった。そして6月14日チュニジアに快勝して興奮はピークに達した。日本が決勝トーナメント進出を決めた日である。

10年前の6月14日よりインパクトのある6月14日は、1998年だ。ワールドカップのピッチに初めて足を踏みいれたフランス大会、アルゼンチンとの初戦がこの日だった。勝てるとは思わないまでも、何か起きないだろうかと祈る思いでテレビ観戦したあの日、結局、善戦したものの敗戦し、なんとも切ない思いが残った試合、重い一日だったことを思い出す。

6月はワールドカップの月でもありEUROの月でもある。これからも日本がワールドカップに出場すれば6月14日に何かが起きる可能性がある。サッカーをこよなく愛してやまない「おじさん」に与えられた天の恵みのようなものだ。

その6月14日に、また一つ記念すべき出来事を記すことができる。直前のブログで、これまで収録・収集してきたサッカー映像をビデオテープからエンコーダで変換してパソコン外付けHDDに収納し直す作業を始めますと告知したが、この数日間、試行錯誤を繰り返し、やっと1本目のテープの変換作業を終えた。

これから1本1本変換作業を続ける長い道のりの第一歩だ。1日1本、10日で10本、水前寺清子の唄のように、3本進んで2本戻る、というわけにはいかないが1年続けて365本、そのうち標準モードのテープになれぱ1日3本できるから、年間1000本ペースになることもあろう。5年続けて3000本ぐらい変換できれば、かなり進んだように感じると思うので、まずは5年を最初の目標にしよう。今日はその一歩、記念すべき日だ。あとは手帳に毎日ナンバリングして一歩一歩前進しよう。おじさんには目標があり、それを支えに前を向いて活動している。

記念すべき第一号は、86年ワールドカップ大会のグループリーグ、西ドイツVSスコットランド戦、ブラジルVS北アイルランド戦、そしてグループリーグダイジェストが前半分と後半分2本、いずれもNHKの映像。この当時のNHKのスポーツ番組というとイントロは必ず吹奏楽の「スポーツショー行進曲」という音楽だ。(いまはありがたいことに、検索で「NHKスポーツ番組のイントロに流れた吹奏楽」と入力すると、You Tubeかニコニコ動画(原宿)で演奏が聴ける動画に辿りつける)

NHKといえば、アナウンサーで知名度が高いのが「マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ~~~~~~」の実況で名をあげた山本浩さん、いまは法政大学教授の傍ら、NHK-BS土曜21時の「Jリーグダイム」も時々担当されているが、なにせ26年前。若々しい限りだ。もう一人、最近までフジテレビ朝の「めざましTV」を長年担当しておられた大塚範一さん、ご病気のため降板されたようだが、当時まだNHKの中堅アナとしてダイジェスト番組の司会に登場しておられた。

この当時、試合放送が1時間30分、ダイジェスト番組が55分とか1時間30分の枠だった。

対戦カードで、おやっと思われた方は、かなりの事情通だ。北アイルランドというチーム、聞き慣れないでしょう。この大会を最後にワールドカップ本大会出場はないので無理もない。しかし過去には3回ワールドカップ出場経験がある。歴史を感じさせるチームなのかも知れない。

もう一つ、こぼれ話、ダイジェスト番組に出てきたブラジルの試合の実況中のこと、ジーコが途中出場してアシストを決めた場面、いまなら「ジーコの見事なヒールパスからゴールが生まれました」となるが、当時はまだヒールパスという言い方がなく「ジーコの巧みなかかとパスから・・・・」という言い回しだった。

これからも、こういう時代を感じさせる場面やセリフを紹介することが時々あると思う。今回の映像にはコマーシャルがまったく映っていないが、1980年代後半のコマーシャルにはバブリーな感じのするものがふんだんにあり、ぜひお見せしたいと思うものが多い。

同じVHSテープには、一般番組ものが二つ入っていて、1986年6月放送だと思うが、一つは、当時放送されていた「たけしのスポーツ大将」という番組、たけし軍団の面々が持ち前の運動能力を生かして、いろいろなチームと対戦するというもの。サッカー、野球のほか何があったのか覚えていないが、週1回の放送だと思う。月に1回ぐらいのペースでサッカー編を放送していたようだ。この映像にはアミーゴという都内のチームとの対戦が10分ほど収められており、当時、読売クラブを引退したばかりの川勝良一さんや、まだ20歳そこそこの川平慈英クンのプレーも見られる。

試合はたけし軍が勝ったが、意外だったのは、いまや、すっかり東国原元知事となった「そのまんま東」が、うまいボールさばきでゴールを決めていたことだ。

もう1本の番組は、いまも続く長寿番組「徹子の部屋」で、この日はドイツから帰国したばかりの奥寺康彦さんがゲスト出演していた。29分の映像には黒柳徹子の軽妙なトークから奥寺さんのいろいろな話が引き出されている。この時、奥寺さんは新たに所属する古河電工とプロ契約を結んだばかりで、おそらく日本のプロサッカー選手としてテレビ出演した最初の映像ではないかと思う。

26年前の6月、このあとのVHSテープでは、マラドーナがスーパースターに上り詰めていく数々の伝説的プレー、シーンが再現されていく。実況しているスタッフたち、解説者たちもマラドーナの大会となっていくことをリアルタイムで感じていた様子をレポートできると思う。

ところで、2002年W杯大会というキーワードでyahooの検索をかけて驚いたのは、韓国が勝ち進んだ陰に誤審が大きく寄与しているという論調のサイトが次々と並んでいることだった。ちょうど10年経過した時期ということがあったのか、言い換えれば10年経っても、まだ、あの問題が尾を引いていることを実感させられる検索だった。

当プログでは、あの大会における韓国代表、ヒディング監督の勝負師としての凄味を感じさせた采配について触れたことがあったが、一方では韓国のあの勝ち進み方が歪んでいるとする論調も、いまだに大きいことも一つの側面だ。

また、それらの検索から拾い出したあるサイトに「トルシエは、大会前のスペイン国内での練習試合のあと、フランス人記者だけを集めた非公式会見の中で、『日本はワールドカップで準決勝まで勝ち進むべきではない。そのようなレベルではないチームが勝ち上がればワールドカップという歴史と権威のある大会の価値を下げることにつながる』と語った」というくだりが出てきた。これは当時、サンケイスポーツなどが報じていたようだ、少しは物議を醸したのだろうが、おそらく「今さらそんなことを言われても更迭しようにもどうしようもない」ということだったのだろう。

しかし、歴史の検証という観点からは、絶対この点はゆるがせにできない問題だ。こともあろうに日本の運命を託した代表監督が、このチームはある程度のところで負けてしかるべきだと考えていたのだから、日本代表、あるいは日本国民を冒涜していることこの上ない。

当プログでは、そうした彼の深層心理までつかめていなかったことから、トルコ戦の采配が「彼が戦闘の現場を指揮をとれる指揮官タイプの人間ではなく、いわば育成コーチ型タイプが故の限界だった」と論じたが、上記の発言と合わせて考えれば、彼はトルコ戦を負けてもいいと思って闘った確信犯だったわけで、明らかな契約違反、背任罪にあたる行為を犯したことになる。

これは、単にトルシエを監督に選んで残念だったというレベルではなく、彼を証人喚問して徹底的に糾弾しなければならないという事案ということになる。

当ブログは、このような不明瞭な部分を、手元の膨大な資料を駆使して明らかにしていくことも使命にしている。いずれ機会を捉えて、この点を取り上げていきたい。

「今日は記念日」という明るいテーマだったが、最後はトルシエ糾弾という感じになり、少し変な締めになった。サッカーの世界にも常に光と影がつきまとうということか。きれい事だけでは済まないことだけは確かだ。

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