「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

「広島・森保監督論」書物を読んだようなNHK2番組

2016年08月30日 09時35分35秒 | Jリーグ・三大タイトル
昨夜(29日)NHK総合で放送された「プロフェッショナル~仕事の流儀」は、サンフレッチェ広島・森保監督が主人公でした。この番組、あらゆる分野の人を取り上げていますから、スポーツ関係の人は年に数回、サッカー関係の人となれば2~3年に1回ではないでしょうか。

そういう珍しい放送だと思いましたからライブで見たかったのですが、いかんせん夜遅すぎました。22時からだと思って頑張って起きていたのに、チャンネルを回したら始まらず、番組表を確認したら22時25分からでした。あきらめて寝て、今朝録画を見た次第です。

番組を見終わって感じたことを今回のタイトルにしたのですが「2番組」というのは、今回のと、さる3月21日に放送された朝の番組「ここから」の二つです。

「ここから」については3月21日に書き込みしておきました。今回の番組は、ちょうど3月に見た内容の延長線上にあるような感じでした。あたかも、2つの番組が前編・後編のような仕立てになっており「森保監督論」といった書物を読んだ気分でした。

したがって3月に感じたことの答えが今回出ていたり、3月には漠然としていた事について具体的なことがわかったので、それを書いてみたいと思います。

まず、3月の番組を見て、選手とのコミュニケーションについてこう書きました。
『監督の立場となれば、選手とは一定の距離を置くことも必要な中、いかに自分の方針を理解してもらい選手に最大限の力を発揮してもらうか、森保さんは「自分が伝えたいことが選手の中にスッと入っていくタイミングを見ることに心がけている」と話していた。』

この「自分が伝えたいことが選手の中にスッと入っていくタイミングを見ることに心がけている」というタイミングの見計らい方、そこが知りたいところですが、今回の番組で、その答えが出ていました。

練習場での森保監督、どの選手についても「やりとりしておきたいネタ」は持っており、あとは、その選手の心にスッと入っていけるタイミングだけを見ているようです。ですから、そのタイミングだと見たら、通路であれ駐車場であれ、どこでも、そしてどしゃぶりでも日が暮れて暗くても、気軽に声をかけるそうです。

しかも、その時は必ず選手に問いかけて話しを引き出すことから始めるといいます。そしてコミュニケーションの最後は必ず笑顔で終わる、選手がいいイメージで「やりとり」を終えたと感じられるようにするための重要な仕上げだといいます。

次に、3月の番組を見て、森保監督が学び取った二人の恩師からの教えについて、こう書きました。
『人間誰しも、学び取ることすら難しい、せっかく素晴らしい指導者から薫陶を受けても、なかなか自分のものにできない。

仮に自分のものにできても、それを今度は自分の仕事の中で、どう発揮していくか、次の難関だ。自分という人格が他者との関係性で、どう折り合いをつけながら自分の方針を貫いていくのか、言うは易し行うは難しだ。

そして、最終的に「結果を出す」というところまで持っていけるのは、大変な力量と言わざるを得ない。森保監督の人となりが結果を出せる指導者にふさわしい器量と資質を備えているのであり、凡人の域をはるかに超えたものなのだ。』

この「自分という人格が他者との関係性で、どう折り合いをつけながら自分の方針を貫いていくのか」という点について、今回、森保監督はぶれない考え方を示していました。

「監督として忘れてはならないこと、それは『選手の心を預かる仕事』だということです。采配においては選手を一つのコマとして扱わなければならない仕事ですが、選手はロボットではないので、試合に出るために日々努力を続けてくれていて、不安や葛藤を抱きながら頑張っている、そういう心を忘れないようにしなければならないと思っています」

そういう考え方があるから、コミュニケーションを大切にして、常に選手の心にスッと入っていけるタイミングを重視するという行動につながっているわけです。そこが森保監督の「人となり」ということだと思います。

選手が「監督はいつも自分を見てくれている、自分がいい状態になれば使ってくれる」と信じてくれる状況にしているということになります。

コミュニケーションの具体的な中身について監督はこうも語っています。
「パフォーマンスが落ちてしまった選手、なかなか結果が出ない選手とコミュニケーションをとる時は『逆境の時こそ自分の基本に立ち返れ』という考え方を伝えます。

選手は、なかなかうまくいかず試合にも出れない状況が続き、心が折れそうになります。けれども、やり続けなければ先がないサッカー人生だとしたら、自分の原点・基本に立ち返ることだと伝えるのです。自分の長所はなんなのだ、もう一度自分の特徴を生かすことに集中して、それを貫くしかないのだと・・・」

それで選手は自信をとり戻してくれるようです。

それは監督自身があの「ドーハの悲劇」を経験して、ポッキリと心が折れてしまった中で「それでも自分がサッカーを続けるとしたら、自分なりの基本に立ち返るしか道はない」と感じた経験からきています。

もう一つ森保監督が自分の経験から学んでいるサッカー哲学があります。それは「ミスは皆んなで修正する」という哲学です。「サッカーはスポーツの中で一番ミスの多い競技だと思います。ミスするのは当たり前、だから皆んなでカバーするんだという共通認識を大切にしています」

前回の書き込みの最後のほうで、私はこう書きました。

『最終的に「結果を出す」というところまで持っていけるのは、大変な力量と言わざるを得ない。森保監督の人となりが結果を出せる指導者にふさわしい器量と資質を備えているのであり、凡人の域をはるかに超えたものなのだ。

Jリーグ監督として3回優勝した初めての監督になった森保監督、私はもっと優勝して欲しいと思っているし、その実績をひっさげて日本代表監督に文句なしで推挙されて欲しいと思う。』

この、結果を出せる指導者にふさわしい器量と資質、凡人の域をはるかに超えた力量なるもの、実は森保監督の「自然体でやっていく」ところがキモになっているのかも知れません。

選手の心にスッと入っていけるタイミングを重視したコミュニケーション、心が折れそうになっている選手に語りかける「やり続けなければ先がないサッカー人生だとしたら、自分の原点・基本に立ち返ることだ」という話の内容、それらを自然体でやっていることが森保監督たるゆえんなのでしょう。

はためから見たら、細心の目配り、心配りをしているようには見えない自然体の行動、それこそが森保監督の器量と資質だと思います。

冒頭にも書きましたが2つの番組を見て「森保監督論」前編・後編を読み終えた感じです。それでも、実際の書物に出会えば、また新たな発見があるに違いありません。

今シーズンの広島、森保監督、ケガや移籍、リオ五輪等による選手の離脱で、なかなかチームとして形が作れず、どうやら優勝争いには絡めそうにありません。チャンピオンシップの出場権である年間3位以内が残された目標ですが、厳しそうです。

まぁ、なかなかうまくはいかないものです。6月にこのブログで「第三期黄金時代の到来か」と書き込んだ鹿島アントラーズがガタガタになっています。
まさに一寸先は闇という勝負の世界です。森保監督にはぶれずに続けて欲しいものです。

コメント
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