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瀬古利彦

2007-12-19 14:23:01 | 名選手列伝
名選手列伝④
瀬古利彦(マラソン)

1956年三重県桑名市生まれ。四日市工業時代にインターハイ800と1500Mで優勝し注目を浴びる。早稲田大学入学後も1万・2万で日本新記録を樹立する。この時、生涯の恩師となる中村清と出会う。

箱根駅伝では3・4年連続で2区を走り区間新記録を出す快走を見せた。
早稲田2年の77年に福岡国際で5位、翌78年には優勝を果たす。
更に4年次の78年にはボストンマラソンで2位、福岡で優勝と言う凄まじい快進撃を見せ、翌80年のモスクワ五輪の代表に選ばれる。
早大卒業後は中村と共にエスビーに入社するが、モスクワはソ連のアフガン進攻に反対し日本がボイコットしたため出場はならなかった。
しかしその年の福岡でモスクワ金メダリストのチェルピンスキーを破り、実力世界一を証明する。

その後、怪我による低迷はあるものの、81年 ボストンマラソン優勝、 83年東京国際マラソン優勝、 そして福岡国際マラソンでイカンガーを振り切り優勝し、念願のロス五輪出場を果たす。
しかし調整ミスから14位と惨敗し限界説がささやかれるが、 86年にはロンドンマラソン優勝で見事復活し同年シカゴ優勝、87年ボストンでも優勝し完全復活を果たす。

ところがソウル五輪選考会をライバル中山にののしられながらも怪我で欠場し世間やマスコミから罵声を浴びるが、88年のびわ湖毎日で優勝し、かろうじて五輪出場を決めた。
結局ソウルでも9位と五輪での活躍には縁がなかったが、世界トップ選手との激戦を繰り返しての15戦10勝は、日本マラソン史上最高の選手と言っても良い。

指導はとしては実績は残せていないが、マラソン普及や低迷する男子マラソン復活への手腕には依然として期待が集まる。

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4 コメント

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世界的ランナー (かんきち)
2007-12-21 08:21:17
瀬古より早い選手は、以降現れていません。
中山も森下も谷口も瀬古さんにはかなわないと思います。
それにしても最近の男子マラソンはさびしいですね。
トップランナー (jrk1)
2007-12-21 19:00:39
男子マラソンは低迷を続けますが、瀬古以上の選手は当分現れそうにありません。
渡辺(引退)や藤田、先の福岡で快走した佐藤など有望な選手は、今も以前もいたのですが、箱根の弊害なのか世界のトップ選手にはなれずにいます。
マラソンビデオ (永瀬俊彦)
2009-12-15 21:56:03
今でも瀬古利彦選手が大好きで、瀬古利彦選手の練習用シューズを持っていますが、21歳の時にくも膜下出血で右半身不随になってしまいました。現在40歳です。1983年の福岡国際マラソンでイカンガーを振り切って優勝した2時間半丸々のビデオ(DVD・VHS・ベータ・8ミリ他何でも可)や1983年東京マラソンでゴメスを終盤で振り切ったビデオがどうしても見たいのです。また、その他のマラソンも視聴したいのです。著作権の問題がありますが、僕一人で必ず見る事を約束します。ヱスビー食品様にも早稲田大学陸上部にもNHK様にもメールにて質問しましたが、良い答えは返って来ませんでした。何卒、宜しくお願い致します。 神戸市 永瀬俊彦
おたずねします (みどりちゃん)
2014-06-17 09:11:36
お聞きしてみますが
瀬古選手が SBのゼッケンをつけて
過去 名古屋を走ったという記録を
ご存じないっでしょうか?

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