3月2日 火曜日
上野23:33(23:38)→金沢6:29(6:43) 急行能登 金沢行 489系(H01編成)
9.クハ489-1 自由席
8.モハ489-6 自由席
7.モハ488-6 自由席
6.モハ489-19 自由席(半室ラウンジ)
5.モハ488-204 自由席
4.サロ489-23 グリーン車
3.モハ489-4 指定席
2.モハ488-4 指定席
1.クハ489-501 指定席(女性専用車)
※長岡~金沢間、進行方向逆向き
※高崎線人身事故の為( )の時刻で運転
急行能登と寝台特急北陸が廃止になるのが明らかになり、廃止日が近づくにつれ撮影者も増えてきた。北陸は何回か乗車したが、急行能登は1回だけしか乗ったことがなく、どうしても最後に乗りに行きたくなってしまった。今回は上野~金沢間の2列車が廃止になるので金沢までは能登、金沢からは北陸に乗車して最後の思い出作りに行ってきた。
自宅を出る前に高崎線人身事故の情報が入り、先行き不安の中上野駅に向かった。上野駅のコンコースではさよなら記念グッズの特設売店が設けられ記念プレートを購入。13番線ホームに向かうと北陸と能登を乗車する人や撮影する人でごった返していた。本来であれば、16番ホームから出発する能登であるが、2月27日から3月12日の最終日までは13番ホームからに変更となっていた。北陸が定刻通り出発した後、所定より4分遅れで能登が13番ホームに入線。鴻巣、古河へホームライナーで2往復した後なのでホームライナーのヘッドマークで入線。係員がヘッドマークを外す(能登のヘッドマークの上にホームライナーのヘッドマークが被せてある)と能登のヘッドマークが姿を現し、一斉にシャッターを切っていた。グリーン車に乗車して定刻より5分遅れの23時38分に上野駅発車。
上野駅発車後は東京音頭のメロディーが流れて車掌の案内放送が、大宮駅発車後は鉄道唱歌(能登編成オリジナル)のメロディーが流れて車内放送していた。6号車のラウンジでは高崎まで車内販売(さよなら記念グッズの販売)が行われていた。他の車両の様子を見に行くと、指定席とグリーン車は半数以上埋まっていて、自由席は3割程度の乗車率であった。人身事故の影響で先行列車に詰まるのでゆっくりとした速度で金沢へと向かっていく。高崎を過ぎて車内が暗くなり就寝。翌朝、車内が明るくなり鉄道唱歌(国鉄型車両にあるタイプ)が流れて車内放送再開。遅れを取り戻しているのかと思いきや12分遅れで走行していた。目覚めた時は日が射していたが金沢に近づくにつれ雨が降ってきたりと変わりやすい天候になっていた。結局、金沢には14分遅れで到着。ちなみに上記編成で能登としての運転は、この日が最後となった。
上野駅13番線で出発を待つ能登
グリーン車マークと方向幕
車内限定で売っていた品物
6号車にあるラウンジ