ロンドン日本語改革派教会(ロンドンJRC)

英国ロンドンの日本人キリスト教会です。正統プロテスタント信仰である改革派(リフォームド)の信仰に立っています。

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2月予定

2018年01月31日 | 日記

02日(金)祈祷会

04日()日本語礼拝、聖餐

06日(火)求道者会第4回目

11日()日本語礼拝、お別れお茶会

16日(金)ダリッチ集会

17日(土)ブライトン集会

18日()日本語礼拝

20日(火)セブンオークス集会

25日()日本語礼拝はありません


12月31日の礼拝後↑

小川牧師の本帰国に伴い日本語改革派教会は閉じるつもりでしたが、昨年、神戸改革派神学校を卒業されたキム・エステル姉(カーディフ在住)が、月に一度ロンドンに来られて日本語礼拝説教をしてくださることになりました。

韓国系英国人の御主人と日本・韓国を経てウェールズに住まわれることをお聞きしたのは、昨年春のことでした。そして、不思議な仕方でエステル姉と昨年12月30日に初めてお会いし、1月にエステル姉が私たちの日本語礼拝に出席してくださり、一同、主の遣わされた器であると確信した次第です。

まだまだ未定のことが多いのですが、希望の光を与えてくださった主に感謝するのみです。


 


2018年1月予定

2017年12月27日 | 日記


もう雪割草(スノードロップ)が咲いていました。
クリスマス礼拝の前に、教会となりのポストマン公園で。

**** 1月予定 ****

05日(金)祈祷会

07日()日本語礼拝、聖餐

12日(金)ダリッチ集会

14日()日本語礼拝

16日(火)セヴンオークス集会

19日(金)祈祷会

21日()日本語礼拝

22日(月)ブライトン集会

28日()日本語礼拝

29日(月)セントマーガレッツ集会

** お別れ会へのお招き **
2月11日(、いつもの日本語礼拝(14時半~)のあと、引き続き同じ教会堂で、小川牧師の日本帰国に伴う離英に際してのお別れのお茶会をいたします。
いつものお茶会の延長のようなリラックスしたときを持ちたいと思います。
どなたでも歓迎いたします。

なお、セントボトルフ教会堂での最後の日本語礼拝は、引っ越し作業や借家引き渡し手続きなどがあるため、2月18日(になる予定です。

小川牧師は3月1日のフライトでヒースロー空港から日本に向かいます(翌朝、関西国際空港着予定)。

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以下、12月のスナップショット

セントマーガレッツ集会


ダリッチ集会
      ダリッチ美術館のクリスマスツリー

12月24日は、クリスマス日本語礼拝を終えて、皆さんと近くで軽い食事をとって、有志が教会に戻り、ロンドンシティ長老教会(スコットランド自由教会ロンドン教会)のクリスマス・イヴの夕べの礼拝に出席しました。

礼拝の中でいつもより一曲多く賛美歌(パイプオルガンの伴奏)を歌い、アンディ牧師のいつも通りの力強い説教がなされ、礼拝後は持ち寄りのクリスマスのお菓子ミンスパイでお茶のときとなりました。

私たち日本語改革派教会に、2010年からここで毎週の礼拝をすることを、寛容にも無料で許してくれた前任のアンガス牧師が、1年後には奥様の故郷ペルーの教会に転任されたときは、どうなるかと思いましたが、後任のアンディがアンガスに劣らず日本改革派教会の礼拝を後押ししてくれて、本当に神様に感謝でした。

その主にある友愛は7年を経ても変わるどころか、いつもアンディと教会の皆さんの信仰による寛容と歓待で私たちは守られて来ました。

いつも元気なアンディは40歳くらいでしょうか。溌剌とした奥様とまだまだ小さな3人の子どもたちがこの教会のムードメーカーでもあります。

改革派や長老派の教会では、子供たちも大人の礼拝に一緒に出席することが多く、アンディの子どもたちも赤ん坊のときから、朝の礼拝も夕べの礼拝も、両親と共に出席し、ほとんど泣いたり騒いだりせず、また礼拝に飽きるというふうにも見えません。

アンディも他の家庭の子どもたちをも当然視野に入れて、礼拝の中でときどき敢えて子どもたちに向けて語りかけたり質問したりします。
そんなときには、アンディの長男初め他の子どもたちは、嬉々として手を挙げて、大声で答えます。大人たちは、そんな子供たちも一緒に神に拝する礼拝を、喜んでいます。
一般に礼拝説教は、説教者の一方的なお話を聴衆が聴くという形態がほとんどですが、ときどき織り込められるウィットの効いた子供たちへの説教者の問いや語りかけが、大人たちの聴く耳と理解する脳にとっても良いアクセントになっていると思います。

昨年は12月25日が日曜で、公共交通機関が全面的にストップだったので、やむなく日本語礼拝はお休みしましたが、今年は24日が日曜で良かったです。

24日夜8時ごろから26日朝8時ごろまで、すべての英国とロンドン公共交通機関が止まります。

クリスマスのご挨拶のカードをいただいた多くの皆様、今年はこれからできるだけ返礼させていただきます。今年は一枚もクリスマス挨拶状を書いていない失礼をお許しください。

善い年始を迎えられますようにお祈りいたします。

 



12月予定

2017年11月25日 | 日記


ダリッチ公園

11月30日(木)セヴンオークス集会(オーピングトン)

12月01日(金)祈祷会

03日()日本語礼拝、聖餐

04日(月)セント・マーガレッツ集会

05日(火)求道者会(セヴンオークス)

08日(金)ダリッチ集会クリスマス会

10日()日本語礼拝

11日(月)ブライトン&イーストボーン集会クリスマス

15日(金)祈祷会

17日()日本語礼拝

24日()日本語クリスマス礼拝

31日()日本語礼拝


クリスマス飾り(オーナメント)が吊るされたデルフト焼陶器の店(アムステルダム)

≪最後のオランダ宣教の旅≫

11月初め、オランダJRCの最後の奉仕で、アムステルダムに出張しました。

今回は、土曜午後にスキポール空港に着き、バスで40分ほどのハールレム市にまず入りました。


↑ハールレム聖バフォ教会

↓オランダルネッサンス様式の旧食肉市場

聖書の学び会まで、フランス・ハルス美術館で時間をつぶしました。

ゴッホもうらやんだハルス・ブラック(黒色)の実物を間近で観ると、その迫力が絵葉書や画集とはぜんぜん違います。

↓フランス・ハルス美術館そばのヴァイオリン工房のショーウィンドウ

18時前にJさん宅に着き、聖書の学びをしてSさんとJさんの手造りの夕食をいただき、楽しいときを過ごしました。

会を終えて鉄道でアムステルダムへ向かい、シンゲル運河沿いのホテルに着いたのは23時をまわっていました。


ホテル前公園

翌朝は、ホテルチェックアウトまで礼拝説教原稿に目を通して、正午から教会を訪れるまで、街を散歩しました。
ひょっとしたら、生涯でアムステルダムに来ることはもう無いかも知れない、と思うとアムスの通りや運河に架かる橋を一つでも足裏に刻もうと、たくさん歩きました。

ホテルを出てすぐそばのライツェ広場から、プリンセン運河北岸を東に歩いて、ニーウ・スピーゲル(アンティーク通り)に折れて、ガラクタ店でデルフト焼きの小皿と、磔刑の珍しい構図の古いタイルと、青いガラス玉の目が入った真鍮の梟(ふくろう;背丈25㎜)を手に入れました。


↑ニーウ・スピーゲル
↓“ガラクタ屋さん”

スピーゲル通りを北に歩き、ヘーレン運河南岸を西に向かい、ハウデン通り、ルン通り、戻って、ウィーデ小路を通り、アメリカン書店を経て、いつものカフェ「Hay Cafe」で休憩して、教会へ。

この日の礼拝には、オランダ南日本語教会とアムステルダム日本語教会からの2名のご婦人も、私の最後の奉仕と訊きつけて、出席してくださいました。礼拝後は、いつものお茶の時間で皆さんと楽しく過ごし、あっさりと教会裏通りの入口を出て、4年半(7回の聖書の学び会と39回の礼拝奉仕)のオランダJRCミッションは終了しました。

教会のあるスパイ広場からアムステルダム中央駅までほんの数分トラムに乗り、アムステルダム中央駅から鉄道でスキポール空港へ。スキポール空港駅構内のレストランで軽く夕食を摂って、空港内に。

いつも30分から2時間遅れるのが常なのに、今回の飛行機出発は時間通りでした。

ロンドン・ガトウィック空港着は20時半、広い空港を歩きに歩いて旅券検閲を通過して、鉄道で空港駅からクロイドンまで、そこからトラムでベッケナム・ジャンクション駅まで、そこからバス#54番で家のそばバス停まで、そして、ロンドン自宅に帰着したのは23時前でした。

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11月に入るとロンドンはクリスマスの飾り付けが始まります。
↓クリストファー小路

11月第二週日曜は、毎年「リメンブランス・デー」(主に第一次と第二次世界大戦の戦没者記念日)です。
↓セントポール寺院で式典を兼ねた礼拝が始まる様子

今月のダリッチ集会に行って気付いたのですが、ダリッチ公園の前にあるダリッチ絵画館で今秋、トーベ・ヤンソンの絵の展覧会がかかっています。
トーベ・ヤンソンはフィンランドの画家・作家で、日本でも知られている「ムーミン」の作者(絵も)です。


↑↓これらは、ヤンソンの展示品ではありません。
カフェと絵画館本館を結ぶ通路のガラスに張り付けられたムーミンのシールです。

以下、紅葉のダリッチ公園

↓今月のブライトン&イーストボーン集会は、ブライトンの丘の上にあるMさん宅でありました。

 


11月の予定とお知らせ

2017年11月02日 | 日記

10月31日 宗教改革500周年記念日;500年前のこの日、95箇条の提題が掲げられたヴィッテンブルク城教会門扉。

今は開かずの鉄扉に、マルティン・ルターの95箇条の公開質問状(ラテン語)が刻印され残されている。この扉は、当時のヴィッテンブルク大学の掲示板としても用いられていた。

カトリック司祭であり、アウグスティヌス修道院副院長であり、当時創設間もないヴィッテンブルク大学の神学教授でもあったルターは、毎週金曜に、修道士や教授たちを集めて神学勉強会を開いていて、95箇条の提題は、実は、次の勉強会(討論会)の課題内容予告だった。

その討論会に提起された神学問題の中心は、免罪符(免償状・免宥状とも呼ばれる)の問題だった。免罪符の売買は、赤裸々に言えば、カトリック教会の財政の拡張のためであった。

ルターは、その前年に、すでに自らのローマ書研究で、福音とは、信仰によってのみ義と認められ、罪赦されること、という確信に達していたが、“この95提題の本来の目的が、カトリック教会の浄化や、免償を与える教皇の権限を真っ向から否定しようとするものではなく、ただ、煉獄にある霊魂さえも免償されるという教えに疑問を投げかけ、その教えが生み出したキリスト信仰の歪みや悪弊を問題提起したに過ぎなかった”(W.ウォーカーsaid.:「キリスト教会の歴史」より引用)。

しかし、短的に言うことを許されれば、ルターの問うた問題点は、教皇に罪を赦す権威があるか、罪の赦しが金銭で売買できるか、ということ。
つまり、当時の教皇権を否定していると言われざるを得なくなる、それまでタブー視されて来たと言うより、気付きもされなかった問題に、ルターはセンセーショナルに切り込んだことになった。

95提題は、瞬く間にドイツ語に翻訳され、爆発的に各地に飛び火した。

実は、免罪符の元をさかのぼれば、11世紀の第一回十字軍遠征時の経済対策に始まる。そして、14世紀の教会分裂時代やイタリア各地の領主争いに巻き込まれた教皇庁は、虚栄と不道徳に塗れ、教会腐敗に拍車がかかった。

16世紀の宗教改革は、それ以前にも断続的に、すでに欧州各地で信仰復興の兆し・萌芽はあった。

ルターから遡ること150年前に英国のウィクリフによって聖書の権威が教皇権を上回ること、最高権はキリストにこそあること、聖書は母国語で誰でも読めること、ほかミサと化体説は聖書に反すること、を唱えていた。

その影響で後に、チェコのヤン・フス、イタリアのサヴォナローラらが、ローマ・カトリック教皇庁の腐敗を説き、その結果、それぞれに異端者の烙印が押されて殉教することとなった。

そして、ルターと同時期にスイス・チューリヒでツヴィングリがミサの廃止を提唱し宗教改革を行った。

ジュネーヴのカルヴァンの登場は、1530年代以降、宗教改革の第二期に当たる。

ルターとカルヴァンの影響は欧州ほとんどの地域に影響を与えた。

私たちのいる英国では、欧州のそれとは異なる独特の宗教改革がなされた。英国王ヘンリー8世(王位期間:1509~1547)の度重なる再婚(言い換えれば、王の欲望)が原因となって起こった宗教の変化・変遷であるので、歴史家W.ウォーカーは、宗教改革(Reformation)として扱わず、“反抗”として、欧州の宗教改革の項の後に、ピューリタンの序論的歴史を説きながら、「イギリスの反抗」と題して宗教改革とは一線を画して語っている。

11月2日(木)セヴンオークス集会

4日(土)牧師アムステルダム出張:JRCN聖書の学び会

5日()牧師アムステルダム出張:JRCN礼拝と聖餐
    ※ロンドンJRC日本語礼拝は休会

10日(金)祈祷会

12日()ロンドンJRC日本語礼拝、聖餐あり

17日(金)ダリッチ集会

19日()日本語礼拝

20日(月)ブライトン集会

26日()日本語礼拝

30日(木)セヴンオークス集会


ルターとカルヴァン

ブログで公式にお伝えするのは初めてですが、私、小川洋は、2018年3月をもって15年間の邦人伝道を辞し、日本に本帰国いたします。

理由は、自らの邦人伝道の働きの期間を、邦人伝道の働きに就いた初めから、この働きを退くのはある年齢までと決めて、現在ほぼその年齢に達した、と平安な思いで自覚したからです。

ロンドン日本語改革派教会の毎週の主日礼拝は閉じることになりますが、礼拝出席者および集会出席者は、大方すでにこの地の英語礼拝の教会会員で、礼拝・信仰の学びの継続の目途が立っています。

この地で信仰を手渡し委ねた皆様を、主はこれからも力強く導いてくださると信じます。

いくつかの教会や個人から献品された聖書、讃美歌、ならびに讃美歌演奏器は、これからも活用してもらえるように、日本人伝道を継続して行く集会に譲渡したいと考えています。

ロンドン邦人伝道を公に表明してから渡英まで4年、そして、2003年4月5日に渡英してから2018年3月末で丸15年です。23歳の時に、ロンドンで受洗し、同時に邦人伝道の志を与えられた時から数えると、36年が経つことになります。

それで、2018年3月を一つの区切りと覚え、私の海外邦人宣教を終了させていただきます。

終了と言っても、私自身の命がしばらく続くことを許されるなら、日本で所属する教派の教職引退年齢に従えば、私にはあと10年余あるので、定年まで招聘された日本キリスト改革派教会の一教会で、牧会伝道の働きを全うしたいと願っています。

2003年に英国に来る前、日本で神戸改革派神学校を卒業してから11,12年ほどの牧会の経験がありますが、来年春から、また、一よりのスタートに新鮮な気持ちで期待に溢れています。

主の御前に誇ることのできる働きは皆無ですが、これまで導き支えてくださった多くの皆様と神様に心から感謝いたします。

しかし、まだ、少なくとも2月終わりまでは、ロンドンJRCの活動はこれまで通りですので、残された日々のために、最後までお祈りご支援賜りますなら幸甚に存じます。

尽きない感謝をもって

小川洋

 

 

 

 

 

 

 


秋の遠足

2017年10月25日 | 日記

今月、二つの集会(聖書の学び会)の“遠足”がありました。

来春帰国する私を思って、9月には“最後の夏”ということでウィークエンド・リトリートとしてダリッチ集会のDさんがフランスの別宅に招いてくださり、今月はセヴンオークス集会とブライトン&イーストボーン集会のかたがたが“最後の秋”の遠足を企画して招いてくださいました。

一つ目:< Chiddingstone >

ケント州「チディングストーン」という小さな村で、セヴンオークス集会参加のかたがたとパブ・ランチをとりました。上の写真は、チディングストーン城。


村のメインストリート。パブも、郵便局を兼ねた“よろずや”的な何でも売ってる店も、並びの家々も、墓を備えた教会も、どれもつつましやかなたたずまいです。


城敷地に接するパブの前で

昼食後、トンブリッジ町からほど近いタドリ―村にある教会を訪ねました。

英国国教会の地区教会というよりは、シャガールのステンドグラスがある教会として知られています。

あまりにも小さな会堂ですが、12枚もシャガール作品が残されています。

もともと13世紀から存在する教会で、シャガールのステンドグラスで窓々が彩られる前は、別のステンドグラスがあったそうですが、それらは今は鐘楼部に保存されています。

会堂正面の講壇(祭壇)の、まさに“シャガール・ブルー”のステンドグラスには、この地にシャガールの作品が据えられたいきさつの元となる物語が描かれています。

お話は、今から50年ほど前にさかのぼります。この地にある名士夫妻がいました。

その夫婦には二人の娘がありましたが、ある夏の終わりに、上の娘が友だちと行った海で事故に遭い亡くなりました。まだ、21歳でした。

若すぎる死は、家族はもとより多くの人の心に衝撃と深い悲しみをもたらしました。
それで、家族と友人たちはモニュメントを残そうと考え、ついに父はシャガールにステンドグラスを依頼しました。

シャガールは熱心なユダヤ教徒で、死んだ娘の父もユダヤ人であるということも一因ですが、生前、娘が母とパリを旅したときに、ルーブル美術館で催されていたシャガールの展覧会で、シャガールの作品に魅了されたことがあったからです。



シャガールは、色付けされたガラスを用いただけではなく、三度にわたってはめ込まれたステンドグラスに、実際にこの教会を訪ねて一枚一枚直筆で文様を描きました。
12枚のどのステンドグラスも、シャガールの死んだ若者を悼む者たちへの思いやりが伝わります。

マーク・シャガール:(1887-1985)ロシア(現ベラルーシ)に生まれ、後にフランスに帰化。
多くの油絵などの作品は全世界の蒐集家や美術館が所蔵するが、ステンドグラスで他に有名なものは以下の通り。:

米国、ニューヨーク国連本部
スイス・チューリッヒ、フラウミュンスター聖母教会
ドイツ・マインツ、ザンクト・シュテファン教会
フランス・ランス、ノートルダム大聖堂
英国・ウェストサセックス、チチェスター大聖堂:※詩編第150編を題材にした全面赤色のステンドグラス

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二つ目:< Glyndebourne >

ブライトン集会&イーストボーン集会から、イーストサセックス州ルイス近郊のグラインドボーン・オペラハウスで今夏初演されたばかりの新作オペラ「ハムレット」に招いてもらいました。

「ハムレット」はシェークスピアの一大悲劇です。シェークスピア作品の中でも最も有名なものの一つで、“文学のモナ・リザ”とも呼ばれるほどです。サウス・バンク(ロンドン、テムズ川南岸の文化施設地区)に、ハムレット王子に扮した英国の“シェークスピア俳優”ローレンス・オリヴィエのオブジェがあります。それほど、英国人にとって特別な物語なのでしょう。


開演前のゆっくりした時間にピクニック

延々と続くなだらかな起伏の牧草地が続く中に、忽然と現れる巨大な建物がグラインドボーンのオペラハウスです。(現在の建物は25年前に改築されたもの)

この地の領主が85年前に始めたオペラ祭りが、今では世界的に有名になりました。

音楽ホールは、昔ながらのステージを中心とした馬蹄形ですが、装飾を省いて音響に重きをおいた造りになっています。

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聖書の学び会を喜んでくださるかたがたと、思い出に残る数々の“最後の**”となりました。